【古事記】(原文・読み下し文・現代語訳)上巻・その肆

ゆず

天照大御神之命以豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者我御子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命之所知國言因賜而天降也於是天忍穗耳命於天浮橋多多志【此三字以音】而詔之豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者伊多久佐夜藝弖【此七字以音】有那理【此二字以音下效此】告而更還上請于天照大神

天照大御神(あまてらすおほみかみ)(の)(みこと)(も)豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(とよあしはらのちあきながいほあきのみづほのくに)(は)(わ)御子(みこ)正勝吾勝勝速日天忍穂耳(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみ)(みこと)(の)知らす所の国なりと言因(ことよ)(たま)ひて(しかるに)天降(あも)らしき(なり)於是(これにおいて)天忍穂耳(あめのおしほみみ)(みこと)天浮橋(あめのうきはし)(おいて)多多志(たたし)(こ)三字(みもじ)(こえ)(もち)てす】て(しかるに)詔之(のらさく)豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(とよあしはらのちあきながいほあきのみづほのくに)(は)伊多久佐夜芸弖(いたくさやぎた) 【(こ)七字(ななもじ)(こえ)(もち)てす】有る那理(なり) 【(こ)二字(ふたもじ)(こえ)(もち)てす(しも)(こ)(なら)ふ】と(の)りて(しかるに)更に(かへ)(のぼ)天照大神(あまてらすおほみかみ)(おいて)(まを)しき

天照大御神あまてらすおおみかみみことのり(命令)を発しました。

とよあしはらあきながあきみずほのくには、私の御子みこまさかつかつかちはやあめのおしみみのみことの統治するべき国だ。」

これにより、天下りさせました。

そこで、天忍穂耳あめのおしほみみみことは、天浮橋あまつうきはしに立ちおっしゃいました。

とよあしはらあきながあきみずほのくには、ひどく騒がしい。」

そして、そのまま天に戻り、天照大御神あまてらすおおみかみに申し上げました。

爾高御產巢日神天照大御神之命以於天安河之河原神集八百萬神集而思金神令思而詔此葦原中國者我御子之所知國言依所賜之國也故以爲於此國道速振荒振國神等之多在是使何神而將言趣爾思金神及八百萬神議白之天菩比神是可遣故遣天菩比神者乃媚附大國主神至于三年不復奏

(これに)高御産巣日(たかみすび)の神と天照大御神(あまてらすおほみかみ)(の)(みこと)(も)天安河(あめのやすかは)(の)河原(かははら)(おいて)八百万(やほよろづ)の神神集(かむつどひ)(つどへ)(しかるに)思金神(おもひかねのかみ)に思はせて(しかるに)(の)らさく(こ)葦原中国(あしはらなかつくに)(は)我が御子(みこ)(の)所知(しらすところ)国と言依(ことよ)らし(たま)ひし(の)所の国(なり)(しかるに)以為(おもへ)らく(おいて)(こ)の国道は速振(はやぶ)荒振(あらぶ)る国つ神(ら)(の)(さは)(あ)(ここ)(いづ)れの神を使(し)(しかるに)(まさ)言趣(ことむ)けさせむや(これに)思金神(おもひかねのかみ)(と)八百万(やほよろづ)の神と(はか)白之(まをさく)天菩比(あめのほひ)の神(こ)(つかは)(べ)(かれ)天菩比(あめのほひ)の神を(つかは)(ば)(すなは)大国主(おほくにぬし)の神に(こ)(つ)三年(みとせ)(おいて)至り不復奏(かへりまをさざ)りき

そこで、高御産巣日たかみむすびの神と天照大御神あまてらすおおみかみみことのり(命令)を出し、天安河あめのやすかわの河原に八百万やおよろずの神を招集させ、思金神おもいかねのかみを中心に考えさせながら、おっしゃいました。

「この葦原中国あしはらなかつくには、私の御子みこが統治する国と依頼して差し上げた国です。しかるに思うにこの国を行く道には、猛々しく荒々しい国津神くにつかみ(地上の神)たちが多くいます。そこにどの神をつかわして説得に向かわせたらいいだろうか。」

そこで、思金神おもいかねのかみ八百万神やおよろずのかみは議論して申し上げました。

天菩比あめのほひの神をつかわすべきです。」

そこで、天菩比神あめのほひつかわしたところ、そのまま大国主神おおくにぬしのかみびへつらい、三年経っても報告がありませんでした。

是以高御產巢日神天照大御神亦問諸神等所遣葦原中國之天菩比神久不復奏亦使何神之吉爾思金神答白可遣天津國玉神之子天若日子故爾以天之麻迦古弓【自麻下三字以音】天之波波【此二字以音】矢賜天若日子而遣於是天若日子降到其國卽娶大國主神之女下照比賣亦慮獲其國至于八年不復奏

是以(こをもち)高御産巣日(たかみむすび)の神天照大御神(あまてらすおほみかみ)(また)諸神(もろかみ)(ら)(と)はさく葦原中国(あしはらなかつくに)(つかは)し所(の)天菩比(あめのほひ)の神久しく不復奏(かへりまをさざ)りき(また)(いづ)れの神を使(つかは)すが(これ)(よ)爾(しかる)思金神(おもひかねのかみ)答へ(まを)さく天津国玉(あまつくにたま)の神(の)天若日子(あめのわかひこ)(つかは)(べ)故爾(しかるゆえ)天之麻迦古弓(あめのまかこゆみ)【麻(よ)(しも)三字(みもじ)(こえ)(もち)てす】 天之波波(あめのはは) 【(こ)二字(ふたもじ)(こえ)(もち)てす】矢とを(もち)天若日子(あめのわかひこ)(たま)ひて(しかるに)(つかは)於是(これにおいて)天若日子(あめのわかひこ)(そ)の国に(を)り到り(すなは)大国主(おほくにぬし)の神(の)(むすめ)下照比売(したてるひめ)(めあは)(また)(そ)の国を(と)らむを(おもひはか)八年(やとせ)(おいて)至り不復奏(かへりまをさざ)りき

こうしたことがあって、高御産巣日神たかみむすびのかみ天照大御神あまてらすおおみかみは、再び神々に問われました。

葦原中国あしはらのなかつくにつかわした天菩比あめのほひの神は、久しく報告がありません。もう一度どの神を遣わすのがよいだろうか。」

これに思金神おもいかねのかみが答え申し上げました。

天津国玉あまつくにたまの神の子、天若日子あめのわかひこつかわすべきです。」

このゆえに、天之麻迦古弓あめのまかこゆみ天之波波矢あめのははやとを天若日子あめのわかひこに授けてつかわしました。

そして、天若日子あめのわかひこはその国に降り到りました。

ところが大国主神おおくにぬしのかみの娘である下照比売したてるひめめとり、そしてその国をろうと画策かくさくし、八年を経ても報告がありませんでした。

故爾天照大御神高御產巢日神亦問諸神等天若日子久不復奏又遣曷神以問天若日子之淹留所由於是諸神及思金神答白可遣雉名鳴女時詔之汝行問天若日子狀者汝所以使葦原中國者言趣和其國之荒振神等之者也何至于八年不復奏

故爾(しかるゆえ)天照大御神(あまてらすおほみかみ)高御産巣日(たかみむすび)の神(また)諸神(もろかみ)(ら)に問ひたまはく天若日子(あめのわかひこ)久しく不復奏(かへりまをさざ)りき又(いづれ)の神を(つか)はし(も)ちて天若日子之(あめのわかひこ)(ひさ)に留(とど)まる所(よし)を問はしむや於是(これにおいて)諸神(もろかみ)(と)思金神(おもひかねのかみ)答へ(まを)さく(きぎす)名は鳴女(なきめ)(つか)はす(べ)し時に詔之(のりたまはく)(なれ)(ゆ)きて天若日子(あめのわかひこ)に問ふべき(ありさま)(は)(いまし)(も)ちて葦原中国(あしはらなかつくに)に使はす所(は)(そ)の国(の)荒振(あらぶ)る神(ら)言趣(ことむ)(やは)すなれ(の)(は)(なり)(な)八年(やとせ)(おいて)至り不復奏(かへりごとまをさざ)りけるなり

そこで、天照大御神あまてらすおおみかみ高御産巣日神たかみむすびのかみは、再び諸神たちに問いました。

天若日子あめのわかひこながく報告がない。今度はどの神をつかわし天若日子あめのわかひこ淹留えんりゅうする理由を尋ねさせようか。」

これに神々と思金神おもひかねのかみが答え申し上げました。

きじ鳴女なきめつかわしましょう。」

そこで命じられました。

「お前が行って天若日子あめのわかひこに、このように問うてきてくれ。」

「お前を葦原中国あしはらなかつくにつかわしたのは、その国の荒ぶる神たちを説得し帰順させるためだ。どうして八年たってもなんの報告もないのか。」

故爾鳴女自天降到居天若日子之門湯津楓上而言委曲如天神之詔命爾天佐具賣【此三字以音】聞此鳥言而 語天若日子言此鳥者其鳴音甚惡故可射殺云進卽天若日子持天神所賜天之波士弓天之加久矢射殺其雉爾其矢自雉胸通而逆射上逮坐天安河之河原天照大御神高木神之御所是高木神者高御產巢日神之別名

故爾(しかるゆえに)鳴女(なきめ)(あめ)(よ)り降り到り天若日子(あめのわかひこ)(の)(と)湯津楓(ゆつかつら)の上に(を)りて(しかるに)(あま)つ神(の)詔命(みことのり)(ごと)委曲(つばら)を言ひき(かれ)天佐具売(あめのさぐめ) 【(こ)三字(みもじ)(こえ)(もち)てす】 (こ)の鳥の(こと)を聞きて(しかるに)天若日子(あめのわかひこ)に語り(い)はく(こ)の鳥(は)(そ)の鳴く(こえ)(いと)(あ)しき(ゆえ)(い)殺す(べ)しと(まを)し進め(すなは)天若日子(あめのわかひこ)(あま)つ神に(たま)はりし(ところ)天之波士弓(あめのはじゆみ)天之加久矢(あめのかくや)を持ち(そ)(きぎす)(い)殺しき(それ)(そ)の矢(きぎす)の胸(よ)り通し(しかるに)(さか)しまに射上(いあ)がり天安河(あまのやすかは)(の)河原の天照大御神(あまてらすおほみかみ)高木神(たかぎのかみ)(の)御所(みところ)(とら)へられ(ま)しき(これ)高木神(たかぎのかみ)(は)高御産巣日神(たかみむすび)(の)別名(ことな)なり

それをうけたまわった鳴女なるめは、天よりくだって行き、天若日子あめのわかひこの門のところの湯津楓ゆつかつらの枝に留まり、天つ神の言われた命令をそのまま、くわしく話しました。

すると天佐具売あめのさぐめが、この鳥の言葉を聞き天若日子あめのわかひこに進言申し上げました。

「この鳥は、その鳴き音がはなはだ悪いので射殺いころしてしまいましょう。」

直ちに天若日子あめのわかひこは、天つ神にたまわった天之波士弓あめのはじゆみ天之加久矢あめのかくやを持ち、そのきじ射殺いころしました。

すると、その矢はきじの胸を突き抜け逆に射上いあがり、天安河あめのやすかわの河原の天照大御神あまてらすおおみかみ高木神たかぎのかみのいらっしゃるところに達し、つかみとられました。

ここで、高木神たかぎのかみとは高御産巣日神たかみむすびのかみの別名です。

故高木神取其矢見者血著其矢羽於是高木神告之此矢者所賜天若日子之矢卽示諸神等詔者或天若日子不誤命爲射惡神之矢之至者不中天若日子或有邪心者天若日子於此矢麻賀禮【此三字以音】云而取其矢自其矢穴衝返下者中天若日子寢朝床之高胸坂以死【此還矢之本也】亦其雉不還故於今諺曰雉之頓使是也

(かれ)高木(たかぎ)の神(そ)の矢を取らし(め)したまへ(ば)血の(そ)の矢羽(やばね)に(しる)於是(これにおいて)高木(たかぎ)の神告之(のらさく)(こ)の矢(は)天若日子(あめのわかひこ)(たま)ひし(の)(ところ)矢なり(すなは)諸神(もろがみ)(ら)に示し(の)らす(は)(ある)天若日子(あめのわかひこ)(みこと)不誤(あやまたな)(あ)しき神を(い)し之(の)矢と(な)(これ)に至ら(ば)天若日子(あめのわかひこ)不中(あたらじ)(ある)(よこしま)なる心(あ)(ば)天若日子(あめのわかひこ)(こ)の矢に(おいて)麻賀禮(まかれ)(こ)三字(みもじ)(こえ)(もち)てす】と(い)ひて(しかるに)(そ)の矢を取り(そ)の矢穴(よ)(つ)き返し(お)ろせ(ば)天若日子(あめのわかひこ)(い)ぬる(あした)の床(の)高胸坂(たかむなさか)(あた)(もち)て死しき【(こ)還矢(かへしや)(の)(もと)(なり)(また)(そ)(きぎす)不還(かへらぬ)故於(しかるにおいて)(ことわざ)(いは)(きぎす)(の)頓使(ひたつかひ)(これ)(なり)

そこで高木神たかぎのかみがその矢をお取りになり御覧になったところ、血がその矢羽に付いていました。

そこで、高木神たかぎのかみがおっしゃいました。

「この矢は天若日子あめのわかひこに与えた矢である。」

そうして、そのまま神々らに示しおっしゃいました。

「もし、天若日子あめのわかひこみことのり(命令)にそむいていなければ、悪神を射た矢だと考えられるに至るので、天若日子あめのわかひこには当たらないであろう。 そうではなく邪心じゃしんがあるなら、天若日子あめのわかひこはこの矢に当たってこの世から去れ。」

こうおっしゃりその矢を手に取り その矢穴から突き返し落としたところ、天若日子あめのわかひこは寝ていた朝の床で胸に当たって死にました。

これが、返し矢という言葉の元です。

またそのきじが帰ってこなかったことは、今に伝わる諺の「雉之頓使きぎしのひたつかい」がこれです。

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Posted by 風社