ナレーション 音読さん

「日本人は無信仰で、日本には宗教がない。」

そんな話は、宗教の話題になるとよく出ます。

確かに私達は、クリスマスのあと一週間も立たないうちに、お寺や神社に初詣に行ったりしています。

さらに若者は、ハロウィンだといっては大騒ぎ、しかしその一方で誰かが亡くなれば仏壇に手を合わせたりもします。

また結婚式はといえば、多くの女性は「ウエディングドレスがいい」などといいます。

そんな一貫性が無いような、無分別に見える日本民族に宗教観などは見当たらないというのです。

現に日本人の信仰心は、過去20年間で薄くなっているという調査結果があります。

NHK放送文化研究所が、2,018年10月から11月にかけて実施した、宗教に関する調査では、信仰している宗教の割合は変わらないものの、信仰心があると答えた人は32%から26%に減少し、まったくないと答えた人は14%から22%に増加しています。

また、神仏を拝む頻度も低下しており、毎日拝むと答えた人は8%から5%に減り、年数回以下と答えた人は72%から79%に増えています。

神道という宗教

ナレーション 音読さん

しかし、本当に「無宗教だ!」と言っている人たちは「無宗教」なのでしょうか?

「日本人は、無宗教だ。」という人は、何と比較して言っているのでしょう。

例えば、キリスト教・イスラム教・仏教などの世界に名だたる宗教と比較して言っているのではないのでしょうか?

現に、それらの宗教を信奉しんぽうする外国の方々から見れば、日本人は理解不能で不思議な民族であるようですから。

ただ、他宗教を信奉する外国人ならいざしらず、日本人であるあなたがそう思うのはちょっと違うのではないでしょうか。

なぜなら、あなたが意識するとしないとに関わらず、神道という信仰は厳然げんぜんとしてあなたの生活に根付いているからなのです。

「私は、神道なんていう宗教に入信した覚えはない!」とおっしゃるかもしれません。

しかし、私の言う「神道」とは、最近流行りの新興宗教でいう「神道」とは全く違うものです。

例えば、日本人の年中行事である初詣に始まり、ひな祭り、こどもの日、お盆、お月見、大掃除に至るまで、やったことのない人は、まずいないと思います。

これらの行事は、すべて神道由来の行事なのです。

この「神道」という「宗教」は、何千年も前からこの列島に暮らす人々の、生活の一部として溶け込んでしまっています。

そのため大多数の自称無信仰の日本人は、他宗教の信徒の方々とは違い、それを宗教としてあえて意識することもなく、普段の日常を送っているのです。

そして現代の日本人は、「宗教」という言葉を聞くと無意識に身構えてしまいます。

これは、「宗教」という名を使い金儲けをしようとする団体が、特に戦後あまりにもはびこってしまったからなのです。

本来の「神道」は、それとは全く異質のものです。

本来の「神道」を信仰するには、入信する必要もなくしてはいけないような戒律などもありません。

なぜなら本来の神道は、太古の昔から日本人の多くの人々が持つ、自然を尊び清らかさや純真さを美徳とし、和を重んじ調和や均衡を美しいと感じる価値観のことであり、日本人本来の民族信仰なのだからです。

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宗教という言葉

ナレーション 音読さん

そもそも、「宗教」とは明治時代にできた造語でした。

それまで、仏教用語に「宗(真理)」・「教(教え)」という別々の言葉は、ありました。

ただそれは、一般庶民には、知られてはおらず、あくまでも修行をする際の、専門用語でしかなかったのでした。

それが、明治時代になって、諸外国と付き合うようになり、彼らが信奉するキリスト教に対抗するものとして、天皇を頂点とする神道を担ぎ上げ国教とするに当たり、英語の「Religion」を翻訳する、適当な言葉が見当たらなかったのです。

そこで、元々、仏教用語であった、宗、と教、を合わせて、「宗教」、と言う日本語を、作ったのでした。

それにより、江戸時代までは神道・仏教など区別することなく暮らしてきた人々に、宗教という観念を植え付けてしまったのでした。

日本人の宗教観

ナレーション 音読さん

先程も言いましたように、神道には、戒律かいりつはありません。

例えば、ヒンドゥー教徒の「牛をたべてはいけない」というような、日々の暮らしの中で、食べてはいけないものはありません。

そして、キリスト教徒の「食前の祈り」のような、食事の前に祈りをささげなくてはいけない、ということもありません。

食事の前に「いただきます」とは言いますが、これは「他の生命をいただくことについて、自然に感謝する」ということなので、祈りを捧げるのとは、違います。

また、イスラム教徒の「一日5回の礼拝」のように、毎日同じ時間に礼拝しなくてはいけない、ということもありません。

しかし、そういった強制的な決まりごともなく、普段の生活の中で意識することもないのにも関わらず、それでも日本人の大部分の人々は、日本の神々を信じ手を合わせて、うやまってきたのでした。

また他宗教と違い入信という考え方もありませんから、自分たちの信仰する宗教に帰依きえしない人々を、異教徒として迫害はくがいしたり否定することもありえないのです。

もっともかつて日本でも、江戸時代に日本人キリスト教徒が迫害されたこともあります。

しかし、それはそもそもポルトガル人宣教師たちが、「キリスト教の布教」と言っておきながら、実はそれが植民地化戦略のための「先兵」であったことがわかったからでした。

また、彼らとともに、奴隷商人たちも入り込み、日本の貧しい子どもたちが、おおぜい売られていった、ということがあったからでした。

参考記事

そもそも、神道には無数の神様(八百萬やおよろずの神=数限りなく多い神様)がり、他宗教の神様も迎え入れています。

なぜなのでしょうか?

それは神道という宗教の本質が、世界中にある宗教と呼ばれるものとは全く異質のものだからです。

そうしたことから、神道を他宗教と比較すること自体がおかしいとも言えるのです。

日本にある自然宗教

ナレーション 音読さん

遠いいにしえの昔から、日本人はこの列島の、変化の激しく豊かな四季のある自然と、共に暮らしてきました。

この列島の、大自然の豊かさは、厳しい自然環境とも、表裏一体だったのです。

そのため、その人間の力など及ばない克服できない存在を、日本人は神としておそれ・うやまい・祈りを捧げて来ました。

これこそが、本来日本人の持つ宗教観の原点であり、神道の本質なのです。

かつて私達の祖先は、山を神の住む場所とし神社を建て、また巨石に注連縄しめなわを渡し祈りの場とし、そして巨木に神を見たのです。

そしてそこから生まれた信仰は、教祖が言いだしたいわゆる創唱そうしょう宗教ではなく、その場にいた皆が共感した自然宗教です。

自然宗教と言うと欧米の人々は、未開の地に住む人々の儀式のようなものを想像するようですが、現に日本にはいまだにそれが息づいているのです。

ちなみに、かつて古代ヨーロッパにも、ドルイド教という自然宗教がありましたが、キリスト教の浸透とともにほぼ消滅してしまいました。

ただ、近年のエコブームの中で、ネオドルイドと呼ばれる概念が出てきてはいるようです。

参考記事

つまり、神道という宗教は、古代の、自然信仰を源流とし、日本国の誕生、そして天皇の発生から始まり、今の日本人の心のなかにも普通に染み込んでいる、世界的にも不思議で奇跡的な宗教なのです。

日本固有の宗教を知らない日本人

ナレーション 音読さん

ところが、第二次世界大戦へと突き進んだかつての日本は、神道を利用した思想により天皇を神様にしてしまい、そのため神国日本という軍国主義がはびこってしまいました。

しかし、日本が戦争に負けると戦勝国であったアメリカは、この思想が日本を戦争へと導いたのだとし、かつては学校教育の場でも教えられていた神道を抑え込んでしまいます。
(実のところは戦争の発端は、それだけでもなかったのですが。)

そして、一時は、天皇は一般庶民とし、神道は廃絶する、とまで話がいきました。

しかしそれは、日本側の強い抗議によりまぬがれましたが、国家神道は廃絶となり天皇家は象徴となり、神道は神社本庁という民間法人の預かりとなってしまいました。

これにより戦後生まれの日本人は、日本固有の宗教である神道になじみがなくなってしまい、興味もなくなってしまいました。

そして、その孫やひ孫である最近の若者たちなどは、「天皇というのは、なんであんなに偉そうなのか?」などと言い出す始末になってしまいました。

本当のところは天皇は偉いわけではなく、この日本という国の名前と国家体制を興し、伝統と歴史を継続させてきた天皇家という家系が、神道という日本固有の宗教を継承してきた象徴としてある、というだけなのですが。

そしてこうしたことから、戦後の人々はかつての日本人が持っていた神道という宗教の信仰観に、実感を持てないというだけなのです。

神道を知るという事

ナレーション 音読さん

「神国思想」は、日本の第二次世界大戦の敗戦により戦勝国によって断絶させられました。

そうして、戦後に生まれた人々は、神道というもの自体に馴染なじみがなくなってしまいました。

それにより、よくも悪くも神道を知らない人が増えてしまっているのも仕方がないことなのでしょう。

戦争を知らない世代はすでに第3世代から第4世代に移り変わりつつあります。

お父さんお母さん世代は言うに及ばず、おじいさんおばあさん世代でさえよくわかっていないのかもしれません。

そして、戦争時代を経験した人も、それは歪んだ神国日本の思想でしかないかもしれません。

ただその一方、地方ではまだまだ大家族で暮らす人々たちもいて、いにしえからの祭祀さいしの伝統を受け継いでいたりもします。

実は、それこそが本当の「神道という信仰」なのです。

神道自体は「日本」という国の始まりとともにあり、そしてそれ以前から人々の暮らしとともにあった、祈りの信仰でした。

ただその後の歴史の中で、神道にとっては不幸な時代もありました。

その最たるものが、国家神道でした。

昨今若い方々の中には、「神道ってなんだかよくわからないから、簡単に説明してくれ。」などという人たちも多くいます。

しかし、この長い年月の中で続いてきた信仰は、そんなに簡単に説明できるものではありません。

このサイトでは、この国の起源とともに生まれた神道について興味を持っていただき、日本人としての誇りを持ってもらえたらと願い書いていきます。

ご自身の産まれた国、故郷ふるさと日本の心を感じていただくための一助となれば幸いです。

風社

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Posted by 風社