【神道の源流】神道が生まれる前からあった、人々に信仰された神々

古代列島に住みついた人々は、それぞれの土地でどんな暮らしをしていたのでしょう。

そのヒントとなるのが

・海にも山にも家にもそのすべてに神が宿り、自然の中から自分たちを見守ってくださっているとする「自然信仰」

・祖先の霊が、大自然となって見守っていてくださるとする「祖霊信仰」

・山川草木などの自然物に宿る神霊が、人々と共に寄り添って暮らしているとする「精霊せいれい信仰」

です。

かつて彼らは農耕文化の中で、春に豊作祈願し・秋には収穫を感謝し・荒天であれば自然の中にいる神の怒りが静まるのを祈るなど、日々を紡ぎながら暮らしてきました。

そしてそうした信仰の中で、大自然と寄り添い生きることが当たり前な時代が、私たちの祖先にはありました。

この信仰は、神道が生まれる前からあり、さまざまな神々が信仰されてきました。

それは神道という宗教が創られ国教(国の宗教)となったあとも止むことはなく、人々はその代々伝わる信仰の原点をり所として暮らしを続けてきました。

そしてそれらは、今でも地域的儀式や神社での祭礼などの行事として受け継がれているのです。

地域を見守る神様

氏神うじがみ

はじめは、その家を護る祖先の霊を「氏神うじがみ」といいました。

その後、その血縁関係の一族を守る神になっていきます。

そして集落同士のいさかいが起こるようになると、その周辺一帯を護る守護神としての鎮守ちんじゅの神をまつるようになり氏神神社が建てられました。

これが、今に続く地方に多くある鎮守の神社の原型です。

時代が下り、神社の周辺に住む人々を「氏子うじこ」といい、氏神を祭る人々は「氏子中うじこじゅう」というようになっていきます。

そして、その代表者である「氏子総代うじこそうだい」を中心に神事を行うようになっていきました。

現代の氏神信仰

もとの意味は一族の神様が氏神様ということでした。

しかし、時代が下るにつれて土地の守護神という意味に変わっていきます。

そのため現代では引っ越した場合、その引っ越した先の土地の氏子になるという、元の意味からいえば変なことになってしまっているのでした。

道祖神どうそじん

もとは、くなどの神(の神・久那土くなどの神)といい、道の分岐点・峠・村境などで外敵や悪霊の侵入をふせぐ神でした。

その後、大陸の道祖信仰と融合して道祖神となります。

そして古事記・日本書紀が編纂されると、その中に出てくる猿田毘古神さるたびこのかみ猿田彦命さるたひこのみこと)とその妻の天宇受賣命あまのうずめのみこと(天鈿女命)と融合して、夫婦和合の神様ともなりました。

また、伊邪那岐命いざなぎのみこと(伊奘諾尊)と伊邪那美命いざなみのみこと(伊弉冉尊)の黄泉の国での話から、神域(常世とこよの国・黄泉よみの国)と集落を分かつ結界としての役割(間違って迷い込んだり、わざわいが入り込んでこないようにという役割)も持つようになりました。

その後時代が下ると、旅や交通安全の神であったりします。

全国的に広くある神様ですが、出雲大社いずもおおやしろがある島根県にはなぜかあまり見られません。

そしてその形やまつられ方、名前も地域によってさまざまです。

道陸神どうろくじんさいの神・さえの神・さえの神・手向たむけの神・仁王におうさんなどの名前の神様がいます。

産土神うぶすなかみ

産土神

その名の通り、産むことやその土地に住むことを守る神です。

かつては生まれた子の宮参りや七五三・成人式の祝いなどの神としてまつられていましたが、今では氏神や道祖神・子安神と融合していき、その名が残っている神社は少なくなってしまいました。

市神

大黒様

市取引の平穏を守護し,その場に集う人々に幸をもたらすと信じられている神のことで、市姫ともいいます。

蛭子ひるこ神・彦火火出見命ひこほほでみのみこと・大市姫・市杵島いちきしま姫・事代主命ことしろぬしのみこと大国主命おおくにぬしのみことなどを祭神としています。

家を守る神様

家神

屋敷神

屋敷神とも言い、一家を守る神様です。

その中にはかまど神や納戸なんど神などもありますが、これも地方によってまつり方も名前も違います。

ただ、かまど納戸なんどなどは今ではあまり見かけなくなってしまったため、馴染みのない人も増えました。

かまどとは

ガスや電気のコンロが普及するまではどの家でも使われていた調理道具です。

まきなどを下から燃やして火力にすることで、上に乗せたものを調理していました。

納戸なんどとは

その起源は、平安時代の貴族が大切なものをしまっておくところを指し、納殿おさめどのともいわれていました。

その後時代が下ると、一般庶民も納殿おさめどののような部屋を作るようになっていきました。

これは、今でいうクローゼットに近い、物をしまっておく部屋のことです。

現在でも地方の農家で残っているところも多く、寝室として使うこともあります。

古くからの信仰ではこういった家内の調度品にも、神が宿るとしていたのです。

また屋敷神は、石や木組みのほこら・神棚にまつられていることが多く、今でも地方に行くと旧家の敷地内の隅にほこらが立っていたりします。

かまど神は、西日本では荒神こうじんと呼ばれることもあります。

しかしこの神様も、今では氏神と融合してしまっていることが多くなっています。

子安神こやすかみ

安産や子育てを見守る神です。

木花之開耶姫このはなのさくやびめまつる子安神社と,観音さまや地蔵さんなどをまつる子安観音や子安地蔵とがあります。

子安観音は仏教の慈母観音さまに起源をもち、西日本に広くあります。

そして子安地蔵は、道祖神とも融合して道端みちばたまつられることが多く、東日本に多く見られます。

自然にある神様

山神

山の神も地域によって呼び名が変わりますが、総じて山を護る神として全国にあります。

山の神は女性と決まっており、そこから人々は自分の妻を謙遜けんそんして呼ぶときに、うちの山の神などとといったりもしました。

ただ、山に住む人々(猟師・きこり・炭焼き)と里に住む人々(農民)とは山の神に対する考え方が違っていました。

山に住む人々の山神

山神は、山に住む人々にとっては、自分たちの日々の糧(山菜などの植物やイノシシなどの動物)を与えてくれる大切な神でした。

そのため仕事に向かう際や帰宅の際には、かならず手を合わせ祈りをしていました。

また、山の神が一年に12人の子を産むという信仰もあり、子孫繁栄の産土神うぶすなかみでもあったので、12のつく日は入山を禁じていました。

里に住む人々

里に住む人々にとって山の神は、春になると里に降り田の神となり秋の収穫を終えると山に戻る神でした。

そのため春と秋に田の中に臨時の社をつくり、春には神をお迎えし秋になるとお見送りをするといったおまつりがされました。

また、死んだ者は山に還って子孫を見守ってくださるという祖霊崇拝もありました。

こうしたことから山の神の祭事は、今でも春や秋の祭りとして全国各地で行われています。

海神

わたつみとも言い、海の神は山の神とは違い海そのものを指して言う言葉です。

海神・綿津見わたつみとも書き、海原そのものを指す場合もあります。

綿津見わたつみわたは海の古語、は「の」という言葉を指し、は神霊を指します。

つまり、わたつみは海の神霊ということです。

また海を渡ってこの列島に住みついた人々にしてみれば、遥か海のかなたの祖国におられる祖霊こそが崇拝の対象でした。

そのため、その橋渡しとなる海そのものが神であるとしたのです。

こうしたことから、海に向かって鳥居だけが立っているという場所が、いまでも日本各地に残っています。

水神

水にまつわる神をまつる神社もあります。

農耕民族である日本人にとって水の確保は最重要課題です。

そのため水の神をあがめることは当たり前でした。

ただ、さきほどの山の神と同化して田の神となってしまっている神社もあります。

そして、その水の神の使いとして河童や蛇・竜などが従っているとされ、特に竜は神そのものの化身として龍神様という名称でまつられている神社もあります。

風神

風神は、風伯とも言われる風の神様です。

台風などの災害を起こす神で、おそれの対象としてまつられています。

雷神

雷神は、雷電様・雷様ともいわれ、雷を呼び寄せる神様です。

風神と共に、おそれの対象として天神様としてまつるようになりました。

東京・浅草寺南総門にある風神雷神像は有名です。

ただこの門の名称は最初、風神雷神門だったのがいつの間にか雷門となってしまっています。

八百万やおよろずの無名な神々

この他にも、まだまだ日本中にはその土地特有の多くの神様がいます。

そのほとんどには、日本書紀や古事記にあるような固有名詞はついておらず、無名の神様です。

こうした太古からおられる神様には、地域や家族の安寧あんねいを願い自然を敬うといった、人々の慈しみと信仰の心があふれていることがわかります。

あなたの住む街にも、きっとそういったいにしえからの神様たちがおられることでしょう。

もし機会があったなら、そうした古来から伝わる信仰を今一度紐解いてみることで、祖先の方々もきっと喜ばれることでしょう。

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Posted by 風社