神道の原点と謂れ、そして始まり

2019年9月13日

神社に代表される神道は、日本人なら誰しも馴染みのある信仰です。

そしてこの信仰は、1700年以上に渡って永くこの国で続いてきています。

しかし永く続いてきたため、いろいろな形に変化してきました。

そのために、現代人には分かりにくくなってしまっています。

では、その 神道の原点といわれそして始まり とは、何だったのでしょう。

神道とは

そもそも神道とは何なのでしょう。

それは、およそ3世紀(西暦200年代)、時代区分でいえば弥生時代末期から古墳時代初期の頃のことでした。

やまと族を中心とする大和王権(大和朝廷)が、天皇集権国家を立ち上げるにあたって祭祀さいしのためのしきたりを創りました。

ただその中身は、神道発生以前からこの列島に住んでいた人々の、祈りという信仰の伝承(言い伝え)でした。

そうした列島各地の集落にあったいろいろな信仰を、大和王権はひとまとめにして国家宗教としたのでした。

それが、 神道 です。

神道の原点

それでは、大和王権以前に何万年と暮らしてきた、この列島の人々による信仰とはどんなものだったのでしょう?

それはまだ、はっきりとはわかっていません。

なぜなら、それ以前にあった集落の信仰は、大和王権にとっては都合の悪いものでしかないために、ほぼ消されてしまっているからです。

ただ近年、研究者たちによってその跡が見つかり始めています。

仏教やキリスト教などでも、その起源についての研究が進んでいるようですが、神道においても研究者たちによっていろいろなことがわかってきました。

例えば、各地の集落の古代文字や土器・土偶などを研究している学者たちは、その中に大和王権が編纂へんさんした古事記や日本書紀に書かれている神々の、その起源を見出しています。

その対象にはヲシテ文献釣手土器などがありますが、それらはまだ仮説であり確定したものではありません。

渡来した人々

太古の昔、海の向こうから渡ってきてこの列島に暮らし始めた人々がいました。その集落は三百余とも言われます。

大きい集落は何百人・小さな集落では何十人とさまざまでした。

現在では、西に衆夷しゅういと呼ばれる熊襲くまそ族などの集落が、東に毛人もうじんと呼ばれる蝦夷えみし族などの集落がかつてあったことがわかっています。
(この春・2019年4月19日にアイヌ民族支援法が成立しましたが、このアイヌと蝦夷えみし族とは別の民族なのか同一民族なのかは、まだはっきりとはしていません。)

何かと話題になる卑弥呼を代表とする邪馬台国もありました。
(邪馬台国は、大和王権の前身もしくは同一の国ではないかともいわれています。)

彼らがこの列島で暮らしていくためには、この土地特有の大自然とともに生きていかなくてはなりませんでした。

春夏秋冬という四季があるこの土地では、台風・雪害・地震・津波・雷・豪雨などさまざまな自然災害が起こりました。

また時には豊かな自然の恵みにより、豊富な作物という自然の恩恵を受けることもありました。

彼らはそうした自然をありのままに受け入れ、自然災害にはおびえつつまた自然の恩恵には感謝をし、日々をつむぎながら暮らしていました。

そして、そうした自然災害や豊作・暦の移り変わりなどの折々には、彼らが海の向こうの故郷でしていた儀式や風習を元にした祭祀さいしをすることで、大自然と向き合って暮らしてきたのです。

その後そうした儀式や祭祀さいしが、この列島独自の自然信仰・祖霊崇拝それいすうはい精霊せいれい信仰の文化を形作っていきました。

その信仰はやがて神々を生み出し、それが神祇祭祀じんぎさいしの対象となっていったのです。

今では、この信仰は宗教的概念の観点から見れば自然宗教(みんなが共感して生まれた宗教)とされます。(対して仏教やキリスト教は一人の人が提唱した創唱宗教と呼ばれています。)

しかし、私達の祖先である彼らにとっては、ただ日々の暮らしが平穏であれという祈りそのものでしかなかったのです。

これが 神道の原点 です。

そうして、彼らのその想いは子孫である私達に引き継がれ、今でも日本の各地に当時から続くお祭りや儀礼などの信仰が現存しています。

神道のいわ

紀元2世紀頃まで、この列島はひとつの国ではなく、各地に集落が点在するだけの地域でした。

対して海の向こうの東アジア大陸には歴代、中華王朝という強大国家がありました。

そして東アジア地域においては、歴代中華王朝がその武力により自らを宗主国とし、私達の祖先が住むこの列島や朝鮮半島などを属国として支配していたのです。

しかし紀元3世紀頃、倭族が当時の王朝国家であった随から独立し、新たな王権国家を創ろうと乗り出しました。

ただそのためには、「やまと族の大王おおきみがこの国を統治するのは当然である。」という、自分たちの統治する政治的国家権力を正当化する大義名分が必要となったのです。

そこでこの列島のそれぞれの集落の人々が、いにしえから伝えていた信仰の言い伝えを取りまとめて古事記・日本書紀という書物にし、その中で「この列島は我々やまと族(天孫族)の祖先である神が創造したのであって、天皇(大王おおきみ)はその直系の子孫である。」としたのです。

そして、この列島を創造した神の子孫である天皇が、その祖先である創造神を祭祀するための儀式を創り、これを神道と呼びました。

神道という名称

では、神道という名称の起源は何だったのでしょう。

そもそも神道という言葉は、大陸から来た言葉でした。

大和王権が、日本国を興した頃国造りの手本としたのは、ずいやその後おこったとうなどの大国から見聞きした文化でした。

その中に神道という言葉もありました。

ただ大陸では、時代により神道という言葉の意味は変わっていきました。

古くは、しゅうという国で生まれたえきの思想において、天地の道自然のことわりという意味で使われていました。

この思想では、神をまつるときには、まず手を洗いそののち供物くもつを捧げるといった精神を説いていました。
(これが、のちにけがれはらえみそぎという神道の基本思想となりました。)

その後かんの国では、死者を葬った陸墓に通じる道呪術的な仙道・真道という意味で使われたりもしていました。

そして、しんの国の時代になると、道教・仏教は真道・神道の教えによるものとされていました。

大和王権は、こういった東アジア大陸の思想を取り入れると共に、自分たち及び支配下の信仰文化をひとつの祭祀さいしにまとめ、神道という宗教にしたのでした。

これが 神道のいわ です。

神道の始まり

本来人々の信仰であった祈りの文化は、国家独立のための国教としておこり、神道という宗教になりました。

そして天皇という権力者により形式化され、天皇家の祖先だという神をあがめさせることが教義となりました。

これが、 神道の始まり です。

信仰文化という心の原点

その後、時代が下り明治時代には、神道は国家神道として利用されることにもなりました。

これに関しては、いまだ賛否両論の対象となっています。

ただある意味国家神道は、日本という国を発展させるための原動力となっていったのも確かでした。

こうして神道は、幾時代の中で時の権力者が変わろうと連綿と現代まで続いてきました。

なぜならそれは神道というものが、本来人々の祈りの文化であった信仰をもとにしていたからに他なりません。

この国の人々は、国家権力とは別に祖霊崇拝・精霊崇拝・自然崇拝といった心のり所によって暮らし、それを継承していった事で日本という国を現代までつなげてきたのです。

対して西欧や東アジアの大国では、新しい国家権力者が現れるとそれ以前の文化をすべて打ち壊し否定することを繰り返してきました。

そのため神道は、諸外国の人々に奇跡の宗教として驚嘆されているのです。

日本という国の神道という宗教は、世界的に見ても全く異質の宗教文化として継承されてきました。

そしてその信仰文化は取りも直さず、私達の祖先たちが永く伝えてきた日本人としての 心の原点 なのでした。

神道

Posted by shinichi