【古事記】について
古事記が書かれたいきさつ
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現在、日本最古の書物であり歴史書と言われる「古事記」。
それは、奈良時代初期の和銅5年(西暦712年)に完成しました。
天武10年(西暦681年)第40代天武天皇は、側仕えの稗田阿礼に「帝紀(天皇の系譜と歴史)と旧辞(神々の物語)を正しく選定しこの国の正しい歴史書を編纂せよ」と命じます。
しかし、天武14年(西暦685年)天武天皇が崩御(死亡)すると、その命は頓挫(計画が中止)します。
その後和銅4年(西暦711年)9月18日、第43代元明天皇がこの遺志を継ぎ、稗田阿礼を呼び寄せその選定した書を学者の太安万侶に書き取らせるよう命じました。
そして、翌和銅5年(西暦712年)1月28日、完成された「古事記」は天皇に献上されました。
古事記の原本と写本

古事記原文は全三巻です。
ただ、古事記の原本は現在まで見つかっておらす、現存する最古の三巻揃った完全な写本(書き写した本)は、現在の愛知県名古屋市中区大須にある大須観音(北野山真福寺宝生院)で見つかった、いわゆる「真福寺写本」と呼ばれるものです。
「真福寺写本」は、南北朝時代の応安4年(西暦1371年)頃に真福寺の僧・賢瑜が写本したものでした。
本サイトでは、この「真福寺写本」を原文とし、それに読み下し文・現代語文を付けました。
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古事記の内容とその意味
上巻では、天地が生まれ神々が次々と現れその子孫の話が続き、最後に初代天皇が生まれるところまでが書かれています。
古事記本文の冒頭現れる神様は「天津神」と呼ばれ、天上界とされる高天原にいる神です。
対して、人間の住む葦原中国(地上界)にいる神とされる「国津神」は、古事記ではわき役として登場します。
古事記の神話部分の主な物語は、「天津神」の命により「国津神」が地上づくりにあたり、完成したところで「国津神」から「天津神」に国譲りをするというものです。
つまり、「天津神」とは大和王権を指し「国津神」とはその他の集落を指しているのです。
そして、この物語の中で伊邪那岐神が天照大御神には高天原(天上界)を治めるように命じたとしていますが、これは葦原中国(地上界)も当然治めるということなのです。
そしてまた、高天原から降り立った天照大御神(伊邪那岐神の子供)は、後に天皇とつながる祖先であるとしています。
こうした描写により、天皇がこの国を統治することの正当性を、その支配する列島各地の集落の人々に示したのでした。
古事記の目的
古事記編纂の理由は他にも、威力を増す中華王朝の圧力に対抗するために集権国家の完成が差し迫っており、そのために民衆の精神的統合をしようとしたということもありました。
そうしたことから、天皇の歴史と系図を定め各氏族は途中の枝分かれとして列島各地の全氏族を天皇の親戚としようとし、同時に民衆レベルでも国の形を浸透させようとしました。そのために工夫して書かれたのが、古事記でした。
そして、「頂点に天照大御神の子孫である天皇がいて、民衆はその恩恵を受けるのであり、そのためには租庸調(納税、兵役)の義務がある」という事を民衆レベルまで徹底させようとしたのです。
それには民衆が興味を持つような神話が必要だったのです。
古事記は、中華王朝の人々の言葉である漢字で書かれていますが、読み下すときは大和かな言葉(万葉がな)で行い、民衆にそれを読み聞かせることで理解できるようになっています。
そのため、平易な漢文を読み下す程度の力を持つ村の長老か学のある者がおれば、近所の住民や子どもを集めて写本を読み聞かせることができ、古事記の目的は果たせたのです。
そして中巻・下巻では、33代推古天皇までの歴代天皇が行った業績が、時系列で書かれています。
こうして、歴代の天皇によりこの国が成り立っているということにより、その権威性をも高めようとしていたのでした。
漢字という当て字
古事記の記述は、当時の先進国であった中華王朝で使われていた最先端の表示言語である「漢字」を使っています。
しかしこれは列島の一般庶民にとって意味がわからず聞き慣れない外国語でしかありませんでした。
そのため、それをそのまま音読み(中華王朝の人々の発音)をした場合、よほどの教養人でもない限り何を言っているのか伝わらなかったのです。
当時の日本人にとって漢字は、今で言う英語のような感覚でした。
そうしたことから大和王権の人々は、和製英語ならぬ「和製漢字」として読み下すことにしたのです。
古事記の目的は、国内(大和王権の支配下にある集落群)の一般庶民に、倭族(天孫族)がこの列島を支配する正当な血統であるという証明のためのものでしたので、あまねく人々にその内容を理解してもらう必要がありました。
そのため、例えば現代の人々が英語をカタカナに直して使っているように、当時の各集落の教養人は、この漢文を通常会話で使われていた「大和かな言葉」で読み下し、一般庶民に読み聞かせ伝えていたのでした。
こうした理由により原文では、本文の後に少し小さな文字を書き加えることにより、読み方を指定しています。
本サイトではこの少し小さい文字を【 】で閉じて、読み下しをするときの注意書きとしています。
古事記の文体
古事記の文体は、対句として2組を同義語に置き換えて書かれています。
そのため、語調を整えることが最優先され、内容が時系列ではなかったり因果関係が違っていたりします。
これは、当時先進国であった中華王朝の影響により漢詩風に記述したためで、一つの文章として見た時の格調を重んじたことによるものと言われています。
内容の区分分け
原文には、区分分けはありません。
わかりやすくするために、本サイトでは内容ごとに区分分けをしました。
各題名をクリックすれば、その区分の最初へと飛びます。
但し、現在読んでいただけるのは「上巻」までです。
また、現代語文はあくまで個人的見解ですので、ご理解ください。
内容の区分分けは以下のとおりです。
中巻
・神倭伊波礼毘古命(初代神武天皇)
・2代綏靖天皇
・3代安寧天皇
・4代懿徳天皇
・5代孝昭天皇
・6代孝安天皇
・7代孝霊天皇
・8代孝元天皇
・9代開化天皇
・10代崇神天皇
・11代垂仁天皇
・12代景行天皇
・倭建命
・13代成務天皇
・14代仲哀天皇
・神功皇后
・15代応神天皇
下巻
・16代仁徳天皇
・17代履中天皇
・18代反正天皇
・19代允恭天皇
・20代安康天皇
・21代雄略天皇
・22代清寧天皇
・23代顕宗天皇
・24代仁賢天皇
・25代武烈天皇
・26代継体天皇
・27代安閑天皇
・28代宣化天皇
・29代欽明天皇
・30代敏達天皇
・31代用明天皇
・32代崇峻天皇
・33代推古天皇
本サイトの表記
また本サイトでは、わかりやすくするために以下の順に記述しました。
原文 【注意書き】
読み下し文 【注意書き】
現代語文
古事記の表記文字と読み下しについて
さて、原文の途中に「/上/」という表現が出てきます。
これは「上声」といい「四声」の内の一つです。
中華王朝の人々が使っていた漢字は、声のトーンによって意味を表す「声調(Tone)」というイントネーションにより発声します。
古事記で使われている「四声」は「中古音」とも言われ、隋・唐・五代・宋の初め頃まで使われた4種類の声調のことです。
平声(低平調)・上声(高平調)・去声(尻上調)・入声(尻下調)からなっていました。
この「四声」は、現代中国語でも上声=第一声(高く平らに発音)・去声=第二声(下から上に上がる発音)・陰平=第三声(低い音を保つ発音)・陽平=第四声(上から下に下がる発音)として使われています。
日本では、平安時代までは大和かな文字にも使われていましたが、鎌倉時代以降使われなくなり現代日本語には平と上のみが残っています。
古事記では、これにより文章を読み下す時の声の調子を指定し、感情を表す間投詞としても使われています。
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