【古事記】(原文・読み下し文・現代語訳)上巻・序文

古事記

現在、日本最古の書物であり歴史書と言われる「古事記」
それは、奈良時代初期の和銅5年(西暦712年)に完成しました。

天武10年(西暦681年)第40代天武天皇は、側仕そばづかえの稗田阿礼ひえだのあれに「帝紀ていき(天皇の系譜と歴史)と旧辞きゅうじ(神々の物語)を正しく選定しこの国の正しい歴史書を編纂へんさんせよ」と命じます。

しかし、天武14年(西暦685年)天武天皇が崩御ほうぎょ(死亡)すると、そのめい頓挫とんざ(計画が中止)します。

その後和銅4年(西暦711年)9月18日、第43代元明げんめい天皇がこの遺志を継ぎ、稗田阿礼ひえだのあれを呼び寄せその選定した書を学者の太安万侶おおのやすまろに書き取らせるよう命じました。
そして、翌和銅5年(西暦712年)1月28日、完成された「古事記」は天皇に献上されました。

古事記原文は全三巻です。

ただ、古事記の原本は現在まで見つかっておらす、現存する最古の三巻揃った完全な写本(書き写した本)は、現在の愛知県名古屋市中区大須にある大須観音おおすかんのん(北野山真福寺しんぷくじ宝生院ほうしょういん)で見つかった、いわゆる「真福寺写本しんぷくじしゃほん」と呼ばれるものです。
真福寺写本しんぷくじしゃほん」は、南北朝時代の応安4年(西暦1371年)頃に真福寺の僧・賢瑜けんゆが写本したものでした。

古事記の文体は、対句として2組を同義語に置き換えて書かれています。
そのため、語調を整えることが最優先され、内容が時系列ではなかったり因果関係が違っていたりします。
これは、当時先進国であった中華王朝の影響により漢詩風に記述したためで、一つの文章として見た時の格調を重んじたことによるものと言われています。

本記事は、この「真福寺写本しんぷくじしゃほん」に読みくだし文・現代語文を付けたものです。

(※注)
原文には区分分けはありませんが、わかりやすくするためにその内容により分けました。
各文字をクリックすれば、その区分の最初へと飛びます。
但し、現在読んでいただけるのは「上巻かみつまき」までです。
また、現代語文はあくまで個人的見解ですので、ご理解ください。

内容は以下のとおりです。

上巻かみつまき

中巻なかつまき
神倭伊波礼毘古命かむやまといわれびこのみこと(初代神武じんむ天皇)
・2代綏靖すいぜい天皇
・3代安寧あんねい天皇
・4代懿徳いとく天皇
・5代孝昭こうしょう天皇
・6代孝安こうあん天皇
・7代孝霊こうれい天皇
・8代孝元こうげん天皇
・9代開化かいか天皇
・10代崇神すじん天皇
・11代垂仁すいにん天皇
・12代景行けいこう天皇
倭建命やまとたけるのみこと
・13代成務せいむ天皇
・14代仲哀ちゅうあい天皇
神功皇后じんぐうこうごう
・15代応神おうじん天皇

下巻しもつまき
・16代仁徳にんとく天皇
・17代履中りちゅう天皇
・18代反正はんぜい天皇
・19代允恭いんぎょう天皇
・20代安康あんこう天皇
・21代雄略ゆうりゃく天皇
・22代清寧せいねい天皇
・23代顕宗けんぞう天皇
・24代仁賢にんけん天皇
・25代武烈ぶれつ天皇
・26代継体けいたい天皇
・27代安閑あんかん天皇
・28代宣化せんか天皇
・29代欽明きんめい天皇
・30代敏達びだつ天皇
・31代用明ようめい天皇
・32代崇峻すしゅん天皇
・33代推古すいこ天皇

そしてこの記事では、わかりやすくするために以下の順に記述しました。

原文

読み下し文

現代語文

それでは、記述順に見てまいりましょう。

上巻かみつまき(序文)

古事記 : 国宝真福寺本 1

出典:古事記 : 国宝真福寺本. 上 – 国立国会図書館デジタルコレクション

要約

古事記上卷幷序

(ふる)(こと)(ふみ)上巻(かみつまき)(つぎて)(あわ)せむ

古き事の記録の上巻かみつまきに、そのいとぐちを合わせて書きしるします。

臣安萬侶言夫混元既凝氣象未效無名無爲誰知其形然乾坤初分參神作造化之首

(やつかれ)安萬侶(やすまろ)(まを)(そ)(まじり)(はじめ)(すで)(こ)気象(かたち)(いま)(あらは)さず名無く(わざ)も無く(たれ)(そ)の形を知らむ(しかるに)乾坤(あめつち)に初めて分かれ参神(さんしん)造化(ぞうけ)(はじめ)となし

わたくしめ安萬侶やすまろが申し上げます。
さて、混沌こんとんとした世界が固まり始めました。
まだ、自然界の大気の形は現れておらず、その名前も無く何も起こってはいませんでした。
ところが、初めて世界が天と地とに別れ、三柱みはしらの神が万物ばんぶつの創造主となりました。

陰陽斯開二靈爲群品之祖所以出入幽顯日月彰於洗目浮沈海水神祇呈於滌身

陰陽(めを)(かく)開き二霊(ふたたま)群品(もろもろ)(おや)(な)所以(このゆえに)幽顕(よみとうつと)(いで)入り目を洗ふに(おいて)(ひるめ)(つくよみ)(あらは)海水(うしほ)に浮き(くく)りし身を(あら)ふに(おいて)(あまつかみ)(くにつかみ)(あらは)

そして男女の陰陽いんように分かれ、その2体の霊が世界のすべての祖先となりました。(伊邪那岐命いざなぎのみこと伊邪那美命いざなみのみこと)
こうしたことから、幽冥かくりよ(死者の世界・神域)から顕世うつしよ(人間の世界)に出て、目を洗ったことにより日の神(天照大神あまてらすおおみかみ)と月の神(月読つくよみ)が現れ、海に浮き沈みして身を洗ったことにより天津神あまつかみ(天の神)と国津神くにつかみ(地の神)が現れました。

故太素杳冥因本教而識孕土產嶋之時元始綿邈頼先聖而察生神立人之世

(かれ)太素(おほもと)(はる)かに(とほ)かれど(もと)(をしへ)(よ)りて(しかるに)(つち)(はら)(しま)を産まむを(この)(し)元始(おほもと)綿(はる)かに(とほ)(さき)(ひじり)(よ)りて(しかるに)神を生まみ人を立てたまいし世を(あきらか)にす

ゆえに、起源ははるか昔でしたが、伝承によって大地ができ島ができたことを知りました。

そして、いにしえの聖なる方により、神を産み人が現れたこの世が明らかになりました。

寔知懸鏡吐珠而百王相續喫劒切蛇以萬神蕃息與議安河而平天下論小濱而淸國土

(まこと)に知る鏡を(か)(たま)(は)きて(しかるに)(よよの)(おほきみ)(あひ)(つ)がみ(つるぎ)(か)(をろち)を切り(もち)(よろづ)(かみ)蕃息(はんそく)せしを安河(やすかは)(はか)りて(しかるに)天下(あめのした)(やは)さむことに(あづか)小浜(をはま)(あらそ)ひて(しかるに)国土(くに)を清む

まことに、知ったのです。

鏡を掲げたまを吐き剣を噛み、数多くの大王おおきみ(天皇)が代々相続し、剣により大蛇を切りよろずの神々が現れてきたことを。

そして、安河やすのかわ(高天原にある川または天の川を指す)の河原において会議が開かれ、葦原中国あしはらのなかつくに(日本列島)を平定へいていするために力を合わせ、小浜おばま(稲佐の浜・島根県出雲市大社町にある砂浜とされる)で話し合いを行ない国土が平定されたのです。

是以番仁岐命初降于高千嶺神倭天皇經歷于秋津嶋

是以(こをもち)番仁岐命(ほのににぎのみこと)(はじめて)高千(たかち)(みね)(おいて)(お)神倭天皇(かむやまとすめらみこと)秋津嶋(あきつしま)経歴(めぐ)るに(おいて)

その後、番能邇邇芸命ほのににぎのみことが初めて高千穂たかちほみねに降りました。

そして、神倭伊波礼毘古天皇かむやまといわれひこのすめらみこと(初代神武天皇)は秋津島(本州)を巡りました。

化熊出爪天劒獲於高倉生尾遮徑大烏導於吉野列儛攘賊聞歌伏仇

(ほのかなる)(くま)爪を(いだ)天剣(あまつつるぎ)高倉に(おいて)(え)尾の(は)(みち)(ふさ)大烏(おほからす)吉野に(おいて)導く(まひ)(つらな)(あた)(はら)ひ歌を聞きて(あた)(ふ)せす

熊の化身が爪を出すも、高倉によりあまつるぎを得てそれをおさえ、生尾いくお(吉野の先住民=井氷鹿いひかまたは石押分之子いわおしわくのこ)に道をさえぎられましたが、大烏おおからす(八咫烏やたがらす)によって吉野の土地まで導かれました。
そして、盛大な饗宴きょうえん(もてなしの酒盛り)をもうけて敵を誘い、これを打ち取りました。(「神武東征じんむとうせい」の話)

出典:古事記 : 国宝真福寺本. 上 – 国立国会図書館デジタルコレクション

卽覺夢而敬神祇所以稱賢后望烟而撫黎元於今傳聖帝定境開邦制于近淡海正姓撰氏勒于遠飛鳥雖

(すなは)(いめ)(み)(しかるに)(あまつかみ)(くにつかみ)(うやま)所以(このゆえ)賢后(さかききさき)(たた)へ煙を望みて(しかるに)黎元(れいげむ)(あはれ)び今に伝ふる聖帝(ひじりのみかど)(さかひ)を定め(くに)を開き(ちか)淡海(あふみ)(をさ)(かばね)を正し(うじ)(え)りし(とを)飛鳥(あすか)(しる)

すなわち、夢のお告げにより神々をうやまわれたことにより賢后けんごうと称えられ(14代仲哀ちゅうあい天皇の皇后こうごう神功皇后じんぐうこうごう)、煙を眺め民衆を愛しみ(16代仁徳にんとく天皇)、今に伝わる聖帝(13代成務せいむ天皇)は国境を定められ国を開かれ近淡海ちかつおうみ(琵琶湖)で執政しっせいされかばねを正しうじを定めなされ、天皇(19代允恭いんぎょう天皇)は遠い飛鳥あすか(大和の国)で統治なさりました。

步驟各異文質不同莫不稽古以繩風猷於既頽照今以補典教於欲絶

(あゆみ)(はしり)(おのもおのも)(こと)にし(あや)(しろ)不同(おなじからざ)(ど)(いにしへ)(かむが)(も)ちて(すで)(くず)れしに(おいて)風猷(ふうゆう)(ただ)すこと今に照らし(も)ちて(まさ)に絶へむとすに(おいて)(のり)(をしへ)(おきな)ふこと莫不(あらざるなし)

進む速さはそれぞれ異なり、文化の質は同じではないとしても、過去を振り返り、すでにすたれてしまったことに対して気風や道理を正すこと、現在に目を向け、まさに途絶えようとすることに対して法規や教養を補うこと、これらをおこたったことは決してありませんでした。

天武天皇の業績(壬申じんしんの乱)

曁飛鳥淸原大宮御大八洲天皇御世濳龍體元洊雷應期開夢歌而相纂業投夜水而知承基然天時未臻蟬蛻於南山人事共給虎步於東国

飛鳥(あすか)清原(きよみがはら)大宮(おほみや)にて大八洲(おほやしま)(をさめ)たまふ天皇(すめらみこと)御世(みよ)(およ)びて潜龍(せむりよう)(もと)(あらは)洊雷(せむらい)(まさ)(こころざ)さむとす(いめ)の歌を(と)きて(しかるに)(あつま)りし(つとめ)(み)(よ)(みづ)(くくり)(しかるに)(もと)(う)けむと知る(しかれども)(あめ)(とき)(いた)らず南の山に(おいて)(せみ)(もぬ)(ひと)(こと)(とも)(そな)はり東国(あづま)(おいて)虎歩む

飛鳥浄御原宮あすかきよみがはらのみやにて全国を治められた天皇の時代のことです。(40代天武天皇の時代)

御子みこ(天皇の子)は、潜竜せんりゅう(龍になる前の、雄伏している)ことを身にしみて体感し、今ついに水が至り雷鳴がとどろく時を迎えたのです。

夢のお告げにあった歌の謎を解いたところすべしであるとなり、みそぎをし占ったところ重大な使命をけるべきだと告げられたのです。

とはいえ、天の時(天皇即位の時)はいまだ至らず南の山(吉野山)におられましたが、前天智天皇の崩御ほうぎょ(死亡)により脱皮してせみとなるように天子てんし(天皇)となられました。

そして、人々が集まりいくさの準備ができたので、東国(不破の関=岐阜県関が原付近より東全部)に向かって虎のような大軍が進まれたのです。

皇輿忽駕淩渡山川六師雷震三軍電逝杖矛擧威猛士烟起絳旗耀兵凶徒瓦解

(すめら)輿(こし)(たちま)ちに(か)け山川を(しの)ぎ渡る六師(りくし)雷震し三軍(みいくさ)電逝(でんせい)(ほこ)(と)(い)(あ)(たけ)(つはもの)煙起(けぶりにたち)(はた)(あか)くして(つはもの)耀(かがや)凶徒(あた)瓦解(ぐわかいす)

天皇(大海人皇子おおあまのおうじ天武てんむ天皇)の輿こし(くるま)はたちまち兵を起こし、山を越え川を渡り、六師団は雷のとどろく音をさせ、三軍は稲妻のように素早く進軍しました。
矛を手にして威を高らかに示し、勇猛な士は狼煙のろしに決起し、旗を赤々と掲げて武器を輝かせ、ぞく軍(大友皇子おおとものおうじの軍)は瓦解がかい(ばらばらにくずれ落ちる)しました。

乃放牛息馬愷悌歸於華夏卷旌戢戈儛詠停於都邑歲次大梁月踵夾鍾淸原大宮昇卽天位

(すなは)放牛(ほうぎう)息馬(そくば)愷悌(がいてい)華夏(かか)(かへ)り旗を巻き(ほこ)(をさ)舞詠(ぶえい)(みやこ)(むら)(やす)(ほし)大梁(たいれふ)(やど)り月は夾鍾(けふせふ)(あた)りて清原(きよみはら)大宮(おほみや)にて昇りて天位(あまつくらひ)(つ)

すなわち牛を放ち馬を休ませ、そのおだやかさは都に戻り、旗を巻き武器を収納し、踊り舞い歌を詠み、京はくつろぎました。
そうしてとしこよみのこと)は大梁たいりょうとり年)、月は夾鍾きょうしょう(陰暦の二月)となり、浄御原きよみはら大宮おおみや飛鳥浄御原宮あすかのきよみはらのみや=奈良県明日香村飛鳥にあったとされる天武てんむ天皇の居住地)に昇殿され、天皇に即位されました。

道軼軒后德跨周王握乾符而摠六合得天統而包八荒乘二氣之正齊五行之序設神理以奬俗敷英風以弘國重加智海浩汗潭探上古心鏡煒煌明覩先代

(みち)軒后(けむこう)(す)(とく)周王(しうわう)(こ)へり乾符(けむふ)(と)りて(しかるに)六合(りくごう)(す)天統(あまつすめら)を得て(しかるに)八荒(はちくわう)(かね)二気(ふたき)(これ)を正しきに乗り五行(ごぎやう)(の)(つぎて)(ととの)(あや)しき理(ことわり)(ま)けて(も)ちて(ひと)(すす)(すぐ)れたる(のり)(し)(も)ちて国を(ひろ)重加(しかのみにあらず)(さと)き海は浩汗(かうかに)にして(ふか)上古(いにしへ)(さぐ)心鏡(しむきやう)煒煌(いくわう)にして明らかに先代(さきのよ)(み)たまふ

その道は黄帝を超え、その徳は武王を越えておられました。

乾符けんぷ(天のおすみ付きを示す吉兆の札)を握り六合(東西南北天地)を支配し、天統てんとう(天よりの血筋)を得て八荒はちこう(東・西・南・北・南東・北東・南西・北西の周辺地域=中華思想)を統治します。

二気(陰陽)において順を正してり所とし、五行ごぎょうにおいて序を正して浄めます(世の秩序を正しく直して平安にすること)。

神によることわりを明らかにして人民に奨められ、すぐれた気風を知らせ国中に広げられました。

さらに加えまして、智は海のように大いにたたえられ、その深みにはるか古い歴史を探り、心は鏡のように澄みきって輝き、その明るさに賢き先人の業績を見ることができます。

編纂へんさん経緯いきさつ

於是天皇詔之朕聞諸家之所賷帝紀及本辭既違正實多加虛僞當今之時不改其失未經幾年其旨欲滅

(これ)(お)いて天皇(すめらのみこと)(これ)(つ)(ちん)聞くに諸家(の)帝紀(ていき)及び本辞(ほんじ)(もたら)す所は(すで)に正実を(たが)(おほ)きに虚偽(くは)はる(も)し今の時に(あた)りて(そ)れ失ふを改めざれば幾年(いくとし)(へ)ずして(そ)(むね)(まさ)に滅ばむとす

ここに、天皇すめらみことはこうげられました。

ちんの聞くところでは、諸家(各豪族)に伝わる帝紀ていきみかどの系譜)、本辞ほんじ(旧辞・言い伝え)はすでに真実と違ってきており、多くはうそいつわりを加えられた。

もし、今この時失われてしまうのを改めねば、何年も経たぬうちに本当の内容が消滅してしまうであろう。

斯乃邦家之經緯王化之鴻基焉故惟撰錄帝紀討覈舊辭削僞定實欲流後葉時有舍人姓稗田名阿禮年是廿八爲人聰明度目誦口拂耳勒心

(これ)(すなは)(はう)(け)(の)経緯にて(わう)(け)(の)(こう)(き)となす(なり)(ゆえ)(おも)ふに帝紀を撰録(せんろく)旧辞を(たう)(かく)す偽を削り実を定め後葉(のちのよ)(つた)えむと(おも)ふ時に舎人(とねり)(かばね)稗田(ひえだ)名を阿礼(あれい)とするもの有り年(こ)れ二十八人聡明を為し目に(わた)り口に(とな)へ耳を払ひ心に(きざ)

これすなわち、邦家(支配下の各地の豪族)のいきさつであり、また王化(王権国家にするため)の大いなる基本である。

そこで、帝紀ていき(帝の系図)を整理記録し、旧辞きゅうじふるい出来事)を調査検討しようと思う。

うそいつわりを削り真実を定め、後世に伝えたい。

そこにたまたまいたのが、姓を稗田ひえだ名を阿礼あれいというつかえ人でした。

年齢は28歳で、その人は聡明で、一通り目を通すだけで難読文字も難なく理解し、音訓も瞬間に判断して話し言葉に直し意味の分かる言葉で読み上げられることができました。

古事記 : 国宝真福寺本 3

出典:古事記 : 国宝真福寺本. 上 – 国立国会図書館デジタルコレクション

卽勅語阿禮令誦習帝皇日繼及先代舊辭然運移世異未行其事矣

(すなは)阿礼(あれい)(ちょく)帝皇(すめらみこと)日継(ひつぎ)及び先代旧辞を誦習(しょうしゅう)(し)(しか)るに(めぐ)りは移り世は異なり未だ(そ)の事行わざりき

そのような訳で、阿礼あれちょくし(命令を下し)膨大な帝紀ていき(天皇の系図)・旧辞きゅうじ(先人の言い伝え)の資料をしっかり読み込み、全体像を把握しておくよう命じられました。

けれども、天皇継承などの複雑ないきさつにより混乱し、時が移り世も変わりいまだそのことは行われませんでした。

元明げんめい天皇の業績

伏惟皇帝陛下得一光宅通三亭育御紫宸而德被馬蹄之所極坐玄扈而化照船頭之所逮日浮重暉雲散非烟

(ふ)して(おも)ふに皇帝陛下は徳一(とくいつ)にて光宅(こうたく)通三(つうさん)にて亭育(ていいく)紫宸(ししん)(ぎょ)(しか)して徳は馬蹄(ばてい)(きは)む所を(おほ)玄扈(げんこ)(ま)(しか)して(ならひ)は船頭(の)(とら)ふ所を照らす日は浮かび重ねて(かがや)き雲は散り(けぶ)るに(あらざ)

つつしんでただ、陛下が一代で徳を国に大きく広げられ、三統さんとう(天・地・人)の徳にて民衆を養い育てられたことを、御推察すいさつ申し上げます。

紫宸ししん(北極星を指す言葉=天皇の威光)において国中を治められその徳は馬がけて行ける限りをおおい、玄扈げんこ(東アジア大陸の故事で伝説上の帝が座したという場所=天子の座す場所)におかれまして御風習みならい(その威厳)は船をいで行ける限りを照らします。

日は浮かび輝きを増し、雲は消えかすむこともありません。

連柯幷穗之瑞史不絶書列烽重譯之貢府無空月可謂名高文命德冠天乙矣

連柯(れんか)并穗(へいずい)(こ)(しるし)(ふみ)(しる)すこと(た)へず(とぶひ)(つら)(をさ)(かさ)(ここ)(みつ)(みくら)(むな)しき月無し名は文命(ぶんめい)より高し徳は天乙(てんいつ)(まさ)れりと(い)(べ)(かな)

連柯れんか連理木れんりぼく=一つの枝が他の枝と連なって木目が通じた様)并穗(へいずい)嘉禾かか=穂がたくさんついた立派な稲)は吉祥きっしょうきざし(繁栄することの前触まえぶれ)であり、歴史書への記録は絶えることがありません。

また、国境いには烽火れんか(のろしび)を並べ言葉の違う遠い国から貢物みつぎものがあり、倉がからになる月はありません。

その高名は禹王うおう(最古の中華王朝・夏朝かちょうを創始した王)を越え、その徳は成湯せいとう夏朝かちょうを滅ぼし殷朝いんちょうを創始した湯王とうおう)をしのぐと言ってよいほどであります。

記述方法の解説

於焉惜舊辭之誤忤正先紀之謬錯以和銅四年九月十八日詔臣安萬侶撰錄稗田阿禮所誦之勅語舊辭以獻上者謹隨詔旨

(これ)(お)いて旧辞の誤忤(ごご)を惜しみ先紀の謬錯(びゅうさく)を正す和銅四年九月十八日を(も)って(やつかれ)安万侶(やすまろ)稗田阿礼(ひえだのあれ)(こ)勅語(ちょくご)されし旧辞(きゅうじ)(よう)す所を撰録(せんろく)せむを(しょう)(もち)て献上するは(つつし)みて詔旨(みことのり)(したが)

そこで、旧辞きゅうじ先紀せんきの誤りや食い違いを惜しまれながら正されました。

和同四年九月十八日に至り、わたくし安万侶に稗田阿礼が先にみことのりされた旧辞を読み上げるところを撰録せんろく(選び記録)するよう、みことのり(命令)されました。

このたびこれによって献上けんじょうしますは、つつしんで御旨おんむね(その命令)に従うところであります。

子細採摭然上古之時言意並朴敷文構句於字即難已因訓述者詞不逮心全以音連者事趣更長是以今或一句之中交用音訓或一事之內全以訓錄卽辭理叵見以注明意況易解更非注

子細(しさい)採摭(せき)(しか)るに上古(いにしへ)の時(こと)(おも)ひ並びて(ぼく)にて文に(し)き句に(かまは)ずは(もじ)(お)いて(すなは)(がた)(すで)(よみ)(よ)りて(の)ぶれば詞心(うたごころ)(とら)へず全て(こえ)(も)って(つら)ぬるは事の(おもむき)更に長し(こ)(も)ちて今(ある)ひは一句の中に(こえ)(よみ)(とも)(もち)(ある)ひは一事の內に全て(よみ)(しるし)(な)(すなは)辞理(じり)見るに(かた)しは(つ)ぐを(も)て明らかとなし(おもひ)(ありさま)(と)くに(やす)しは(さら)(つ)ぐに(あら)

なるべく、そのままを細部まで記録しようと努めました。

しかし、古い時代は全体に今では使わなくなった言葉が使われ、文章化しようとして漢字を使うことは困難です。

訓読みで記述してみましたが、うまく分かるようには表せませんでした。

かといって全文音で書き連ねれば、長くなりすぎて困ります。

このようなわけで今、ある場合は一つの区切りのなかに音読み訓読みの両方を用い、ある場合は一つの部分のうちに訓読みだけとします。

そして、言葉の理解が困難な場合は注をつけて分かるようにし、語句の解釈が容易な場合は全く注をつけないことにします。

亦於姓日下謂玖沙訶於名帶字謂多羅斯如此之類隨本不改大抵所記者自天地開闢始以訖于小治田御世

(また)(かばね)日下に(お)いて玖沙訶(くさか)(い)ひ名帯の字に(お)いて多羅斯(たらし)(い)此之(これの)類の如くにして(もと)(したが)ひ改め(ず)大抵記す所は天地開闢(かいびゃく)(よ)り始めて(も)ちて小治田(おはるた)御世(みよ)(に)(いた)

また、姓「日下」においては「くさか」と読み、名「帯」においては「たらし」と読みます。

これに類する場合は元のままに従い、改めないこととします。

全体として記録した範囲は、天地の開闢かいびゃく(世界が初めてできた時)から、小治田宮おはるたのみやの時代(33代推古天皇の時代)までです。

故天御中主神以下日子波限建鵜草葺不合尊以前爲上卷神倭伊波禮毘古天皇以下品陀御世以前爲中卷大雀皇帝以下小治田大宮以前爲下卷幷錄三卷謹以獻上

(かれ)天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)以下(しもつかた)日子波限建鵜草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)以前(さきつかた)上巻(かみつまき)(な)神倭伊波礼毘古天皇(かむやまといわれびこすめらみこと)以下(しもつかた)品陀(ほむた)御世(みよ)以前(さきつかた)中巻(なかつまき)(な)大雀皇帝(おほさざきのみこと)以下(しもつかた)小治田大宮(おはりだのおほみや)以前(さきつかた)下巻(しもつまき)(な)(あは)せて(み)つの(まき)(しる)(つつ)しみ(も)ちて(たてまつ)(あげ)

そのうち、天御中主神あめのみなかぬしのかみから日子波限建鵜草葺不合尊ひこなぎさたけうがやふきあえずのみことまでを上巻かみつまきとし、神倭伊波礼毘古天皇かむやまといわれびこすめらみこと(初代神武天皇)から品陀和気命ほむたわけのみこと(15代応神天皇)の時代までを中巻なかつまきとし、大雀皇帝おおさざきのみこと(16代仁徳天皇)から小治田大宮(33代推古天皇)までを下巻しもつまきとしました。

合わせて三巻に収録し、つつしんで献上いたします。

臣安萬侶誠惶誠恐頓首頓首和銅五年正月廿八日正五位上勳五等太朝臣安萬侶

(やつかれ)安万侶(やすまろ)誠惶(せいくわう)誠恐(せいきょう)頓首(とんしゅ)頓首(とんしゅ)和銅五年正月(しやうぐわつ)廿八日(はつかあまりやうか)正五位上勳五等(おほの)朝臣(あそみ)安万侶(やすまろ)

わたくし 安万侶やすまろ

誠惶誠恐(おそれかしこまり=かしこみかしこみ)

頓首頓首(ぬかずきます=のみまをす)

和銅五年(西暦712年)正月二十八日

正五位上勳五等太朝臣安万侶

Posted by まれびと