【古事記】(原文・読み下し文・現代語訳)中巻・その参

出典:国立国会図書館デジタルコレクション

孝霊こうれい天皇

大倭根子日子賦斗邇命坐黑田廬戸宮治天下也 此天皇娶十市縣主之祖大目之女名細比賣命 生御子大倭根子日子國玖琉命【一柱玖琉二字以音】
又娶春日之千千速眞若比賣 生御子千千速比賣命【一柱】又娶意富夜麻登玖邇阿禮比賣命 生御子夜麻登登母母曾毘賣命 次日子刺肩別命 次比古伊佐勢理毘古命亦名大吉備津日子命 次倭飛羽矢若屋比賣【四柱】

大倭根子日子賦斗邇(おほやまとねこひこふとに)(みこと)黒田(くるた)廬戸宮(いほとのみや)(ま)天下(あめのした)(をさ)(なり)(こ)天皇(すめらのみこと)十市(とほち)県主(あがたぬし)(の)(おや)大目(おほめ)(の)(むすめ)細比売(くはしひめ)(みこと)(めあは)(あ)れまし御子(みこ)大倭根子日子国玖琉(おほやまとねこひこくにくる)(みこと)一柱(ひとはしら)玖琉二字(ふたもじ)(こえ)(もち)てす】(また)春日(かすか)(の)千千速真若比売(ちちはやまわかひめ)(めあは)(あ)れまし御子(みこ)千千速比売(ちちはやひめ)(みこと)一柱(ひとはしら)(また)意富夜麻登玖邇阿礼比売(おほやまとくにあれひめ)(みこと)(みあわ)(あ)れまし御子(みこ)夜麻登登母母曽毘売(やまととももそびめ)(みこと)日子刺肩別(ひこさしかたわけ)(みこと)比古伊佐勢理毘古(ひこいさせりびこ)(みこと)亦名(またのな)大吉備津日子(おほきびつひこ)(みこと)倭飛羽矢若屋比売(やまととびはやわかやひめ)四柱(よはしら)

大倭根子日子賦斗邇命おおやまとねこひこふとにみことは黒田の廬戸宮いおとのみやにいらっしゃいまして、天下を治められました。

この天皇は、十市とおち県主あがたぬしの親で、大目おおめの娘である細比売くはしひめみことめとり、御子みこ大倭根子日子国玖琉命おおやまとねこひこくにくるのみことが生まれました。

また、春日の千千速真若比売ちちはやまわかひめめとり、御子みこ千千速比売命ちちはやひめのみことが生まれました。

また、意富夜麻登玖邇阿礼比売命おおやまとくにあれひめのみことめとり、御子みこ夜麻登登母母曽毘売命やまととももそびめのみこと、次に日子刺肩別命ひこさしかたわけのみこと、次に比古伊佐勢理毘古命ひこいさせりびこのみこと、別名は大吉備津日子命おおきびつひこのみこと、次に倭飛羽矢若屋比売やまととびはやわかやひめの四柱が生まれました。

又娶其阿禮比賣命之弟蠅伊呂杼 生御子日子寤間命 次若日子建吉備津日子命【二柱】此天皇之御子等幷八柱【男王五女王三】故大倭根子日子國玖琉命者治天下也

(また)(そ)阿礼比売(あれひめ)(みこと)(の)(おと)蠅伊呂杼(はへいろど)(めあわ)(あ)れまし御子(みこ)日子寤間(ひこさめま)(みこと)若日子建吉備津日子(わかひこたけきびつひこ)(みこと)二柱(ふたはしら)(こ)天皇(すめらみこと)(の)御子(みこ)(ら)(あは)八柱(やはしら)男王(をのきみ)(いつ)女王(めのきみ)(み)(かれ)大倭根子日子国玖琉(おほやまとねこひこくにくる)(みこと)(は)天下(あめのした)(をさ)(なり)

また、その阿礼比売命あれひめのみことの妹、蠅伊呂杼はへいろどめとり、御子みこ日子寤間命ひこさめまのみこと、次に若日子建吉備津日子命わかひこたけきびつひこのみこと二柱ふたはしらが生まれました。

この天皇の御子みこらは、あわせて八柱やはしら【男王は五柱いつはしら、女王は三柱みはしら】です。

そして、大倭根子日子国玖琉命おおやまとねこひこくにくるのみことは天下を治められました。

大吉備津日子命與若建吉備津日子命二柱相副而 於針間氷河之前居忌瓮而針間爲道口 以言向和吉備國也 故此大吉備津日子命者【吉備上道臣之祖也】次若日子建吉備津日子命者【吉備下道臣笠臣祖】 次日子寤間命者【針間牛鹿臣之祖也】 次日子刺肩別命者【高志之利波臣 豐國之國前臣 五百原君 角鹿海直之祖也】天皇御年壹佰陸歲御陵在片岡馬坂上也

大吉備津日子(おほきびつひこ)(みこと)(と)若建吉備津日子(わかたけきびつひこ)(みこと)二柱(ふたはしら)(あひ)(す)而於(しかるにお)き針間(はりま)氷河(ひかは)(の)(さき)忌瓮(いはひへ)(す)(しかるに)針間(はりま)(みち)(くち)(し)(もち)言向(ことむ)吉備(きび)の国(やは)しき(なり)(かれ)(こ)大吉備津日子(おほきびつひこ)(みこと)(は)吉備(きび)上道(かみつみち)(おみ)(の)(おや)(なり)】次若日子建吉備津日子(わかひこたけきびつひこ)(みこと)(は)吉備(きび)下道(しもつみち)(おみ)(かさ)(おみ)(おや)】次日子寤間(ひこさめま)(みこと)(は)針間(はりま)牛鹿(うじか)(おみ)(の)(おや)(なり)】次日子刺肩別(ひこさしかたわけ)(みこと)(は)高志(こし)(の)利波(となみ)(おみ)豊国(とよのくに)(の)国前(くにさき)(おみ)五百原(いほはら)(きみ)角鹿海(つぬかのあま)(あたひ)(の)(おや)(なり)天皇(すめらみこと)御年(みとし)壱佰陸歳(ももとせあまりむとせ)にて御陵(みささき)片岡馬坂上(かたをかのむまさかのへ)(あ)(なり)

大吉備津日子命おおきびつひこのみこと若建吉備津日子命わかたけきびつひこのみこと二柱ふたはしらは助け合って、針間はりま(播磨=兵庫県の南西部)の氷河ひかは(加古川)の先方に忌瓮いみへえ(神まつりの儀式)、針間はりまを攻め口として制圧に向かい、吉備きびの国(今の岡山県全域・広島県東部・香川県島嶼とうしょ部・兵庫県西部)を服従させました。

そして、この大吉備津日子命おおきびつひこのみことは、吉備きび上道かみつみちおみの先祖です。

次に若日子建吉備津日子命わかひこたけきびつひこのみことは、吉備きび下道しもつみちおみかさおみの先祖です。

次に日子寤間命ひこさめまのみことは、針間はりま牛鹿うじかおみの先祖です。

次に日子刺肩別命ひこさしかたわけのみことは、高志こし利波となみおみ豊国とよのくに国前くにさきおみ五百原いほはらきみ角鹿海つぬかのあまあたいの先祖です。

天皇は御年おんとし百六歳にて、御陵みささぎ(墓所)は片岡馬坂かたおかうまさかの上にります。

孝元こうげん天皇

大倭根子日子國玖琉命坐輕之堺原宮 治天下也 此天皇娶穗積臣等之祖內色許男命【色許二字以音下效此】妹內色許賣命 生御子大毘古命 次少名日子建猪心命 次若倭根子日子大毘毘命【三柱】又娶內色許男命之女伊迦賀色許賣命 生御子比古布都押之信命【自比至都以音】又娶河內青玉之女名波邇夜須毘賣 生御子建波邇夜須毘古命【一柱】此天皇之御子等幷五柱

大倭根子日子国玖琉命(おほやまとねこひこくにくるのみこと)(かる)(の)堺原宮(さかひのはらのみや)(ま)天下(あめのした)(をさ)(なり)(こ)天皇(すめらみこと)穂積(ほづみ)(おみ)(ら)(の)(おや)内色許男命(うつしこをのみこと)【色許二字(ふたもじ)(こえ)(もち)てす(しも)(これ)(なら)ふ】(いも)内色許売命(うつしこめのみこと)(めあは)(あ)れまし御子(みこ)大毘古命(おほびこのみこと)少名日子建猪心命(すくなひこたけいこころのみこと)若倭根子日子大毘毘命(わかやまとねこひこおほびびのみこと)三柱(みはしら)(また)内色許男命(うつしこをのみこと)(の)(むすめ)伊迦賀色許売命(いかがしこめのみこと)(めあわ)(あ)れまし御子(みこ)比古布都押之信命(ひこふつおしのまことのみこと)【比(よ)り都(まで)(こえ)(もち)てす】(また)河内青玉(かふちのあをたま)(の)(むすめ)波邇夜須毘売(はにやすびめ)(めあわ)(あ)れまし御子(みこ)建波邇夜須毘古命(たけはにやすびこのみこと)一柱(ひとはしら)(こ)天皇(すめらみこと)(の)御子(みこ)(ら)(あは)五柱(いつはしら)

大倭根子日子国玖琉命おほやまとねこひこくにくるのみことかる堺原宮さかいのはらのみや(今の軽之堺原宮跡=奈良県橿原市見瀬町718)にいらっしゃり、天下を治められました。

この天皇は、穂積臣ほづみのおみらの祖先です。

内色許男命うつしこおのみことの妹、内色許売命うつしこめのみことめとり、御子みこ大毘古命おほびこのみこと、次に少名日子建猪心命すくなひこたけいこころのみこと、次に若倭根子日子大毘毘命わかやまとねこひこおほびびのみこと三柱みはしらが生まれました。

また、内色許男命うつしこをのみことの息女、伊迦賀色許売命いかがしこめのみことめとり、御子みこ比古布都押之信命ひこふつおしのまことのみことが生まれました。

また、河内青玉(こうちのあおたま)の息女、名は波邇夜須毘売はにやすびめめとり、御子みこ建波邇夜須毘古命たけはにやすびこのみことが生まれました。

この天皇の御子みこらは、あわせて五柱いつはしらです。

故若倭根子日子大毘毘命者治天下也 其兄大毘古命之子建沼河別命者【阿倍臣等之祖】次比古伊那許士別命【自比至士六字以音 此者膳臣之祖也】比古布都押之信命 娶尾張連等之祖意富那毘之妹葛城之高千那毘賣【那毘二字以音】生子味師內宿禰【此者山代內臣之祖也】又娶木國造之祖宇豆比古之妹山下影日賣 生子建內宿禰

(かれ)若倭根子日子大毘毘命(わかやまとねこひこおほびびのみこと)(は)天下(あめのした)(をさ)(なり)(そ)(せ)大毘古命(おほびこのみこと)(の)建沼河別命(たけぬまかはわけ)(は)阿倍(あべ)(おみ)(ら)(の)(おや)】次比古伊那許士別命(ひこいなこしわけのみこと)【比(よ)り士(まで)六字(むつもじ)(こえ)(もち)てす(こ)(は)(かしはで)(おみ)(の)(おや)(なり)比古布都押之信命(ひこふつおしのまことのみこと)尾張(おはり)(むらじ)(ら)(の)(おや)意富那毘(おほなび)(の)(いも)葛城之高千那毘売(かつらぎのたかちなびめ)(めあわ)し【那毘二字(ふたもじ)(こえ)(もち)てす】(あ)れまし子味師内宿祢(うましうつのすくね)此者(こは)山代内(やましろうち)(おみ)(の)(おや)(なり)(また)木国造(きのくにのみやつこ)(の)(おや)宇豆比古(うづひこ)(の)(いも)山下影日売(やましたかげひめ)(めあわ)
(あ)れまし子建内宿祢(たけのうちのすくね)

さて、若倭根子日子大毘毘命わかやまとねこひこおほびびのみことは天下を治められました。

その兄、大毘古命おほびこのみことの子、建沼河別命たけぬまかわわけのみことは、阿倍臣あべのおみらの先祖です。

次に比古伊那許士別命ひこいなこしわけのみことは、膳臣かしわでのおみの先祖です。

比古布都押之信命ひこふつおしのまことのみことは、尾張連おわりのむらじらの先祖です。

意富那毘おおなびの妹、葛城之高千那毘売かつらぎのたかちなびめめとり、子の味師内宿祢うましうつのすくねが生まれました。

これは山代内臣やましろうちのおみの先祖です。

また、木国造きのくにのみやつこの先祖、宇豆比古うづひこの妹、山下影日売やましたかげひめめとり、子の建内宿祢たけのうちのすくねが生まれました。

此建內宿禰之子幷九【男七女二】波多八代宿禰者【波多臣林臣波美臣星川臣淡海臣長谷部君之祖也】次許勢小柄宿禰者【許勢臣雀部臣輕部臣之祖也】次蘇賀石河宿禰者【蘇我臣川邊臣田中臣高向臣小治田臣櫻井臣岸田臣等之祖也】次平群都久宿禰者【平群臣佐和良臣馬御樴連等祖也】次木角宿禰者【木臣都奴臣坂本臣之祖】次久米能摩伊刀比賣 次怒能伊呂比賣 次葛城長江曾都毘古者【玉手臣的臣生江臣阿藝那臣等之祖也】又若子宿禰【江野財臣之祖】此天皇御年伍拾漆歲 御陵在劒池之中岡上也

(こ)建内宿祢(たけのうちのすくね)(の)(あはせ)(きゅう)(をのこ)(なな)(めのこ)(ふた)波多八代宿祢(はたのやしろのすくね)(は)波多(はた)(おみ)(はやし)波美(はみ)(おみ)星川(ほしかは)(おみ)淡海(あふみ)(おみ)長谷部(はつせべ)(きみ)(の)(おや)(なり)】次許勢小柄宿祢(こせのをからのすくね)(は)許勢(こせ)(おみ)雀部(さざきべ)(おみ)軽部(かるべ)(おみ)(の)(おや)(なり)】次蘇賀石河宿祢(そがいしかはのすくね)(は)蘇我(そが)(おみ)川辺(かはべ)(おみ)田中(たなか)(おみ)高向(たかむく)(おみ)小治田(をはりだ)(おみ)桜井(さくらい)(おみ)岸田(きしだ)(おみ)(ら)(の)(おや)(なり)】次平群都久宿祢(へぐりのつくのすくね)(は)平群(へぐり)(おみ)佐和良(さわら)(おみ)馬御樴(うまみくひ)(むらじ)(ら)(おや)(なり)木角宿祢(きのつぬのすくね)(は)(き)(おみ)都奴(つぬ)(おみ)坂本(さかもと)(おみ)(の)(おや)】次久米能摩伊刀比売(くめのまいとひめ)怒能伊呂比売(ぬのいろひめ)葛城長江曽都毘古(かつらぎのながえそつびこ)(は)玉手(たまで)(おみ)(いくは)(おみ)生江(いくえ)(おみ)阿芸那(あきな)(おみ)(ら)(の)(おや)(なり)(また)若子宿祢(わくごのすくね)江野財(えののたから)(おみ)(の)(おや)(こ)天皇(すめらみこと)御年(みとし)伍拾漆歳(いとせあまりななとせ)御陵(みささき)剣池(つるぎのいけ)(の)中岡上(なかのをかのへ)(あ)(なり)

この建内宿祢たけのうちのすくねの子は、あわせて九柱きゅうはしらで男王七柱ななはしらと女王二柱ふたはしらです。

波多八代宿祢はたのやしろのすくねは、波多臣はたのおみ林臣はやしのおみ波美臣はみのおみ星川臣ほしかわのおみ淡海臣おうみのおみ長谷部はつせべきみの先祖です。

次に、許勢小柄宿祢こせのをからのすくねは、許勢臣こせのおみ雀部臣さざきべのおみ軽部臣かるべのおみの先祖です。

次に、蘇賀石河宿祢そがいしかわのすくねは、蘇我臣そがのおみ川辺臣かわべのおみ田中臣たなかのおみ高向臣たかむくのおみ小治田臣おはりだのおみ桜井臣さくらいのおみ岸田臣きしだのおみらの先祖です。

次に、平群都久宿祢へぐりのつくのすくねは、平群臣へぐりのおみ佐和良臣さわらのおみ馬御樴連うまみくひのむらじらの先祖です。

次に、木角宿祢きのつぬのすくねは、木臣きのおみ都奴臣つぬのおみ坂本臣さかもとのおみの先祖です。

次に、久米能摩伊刀比売くめのまいとひめ

次に、怒能伊呂比売ぬのいろひめ

次に、葛城長江曽都毘古かつらぎのながえそつびこは、玉手臣たまでのおみ的臣いくはのおみ生江臣いくえのおみ阿芸那臣あきなのおみらの先祖です。

また、若子宿祢わくごのすくねは、江野財臣えののたからのおみの先祖です。

この天皇は御年おんとし五十七歳にて、御陵みささぎ(墓所)は剣池つるぎのいけの中の岡の上にあります。

人気ブログランキング

古事記

Posted by 風社