【古事記】(原文・読み下し文・現代語訳)中巻・その伍

出典:国立国会図書館デジタルコレクション

崇神すじん天皇

御眞木入日子印惠命坐師木水垣宮治天下也 此天皇娶木國造名荒河刀辨之女【刀辨二字以音】遠津年魚目目微比賣生御子豐木入日子命 次豐鉏入日賣命【二柱】又娶尾張連之祖意富阿麻比賣生御子大入杵命 次八坂之入日子命 次沼名木之入日賣命 次十市之入日賣命【四柱】

御真木入日子印恵命(みまきいりひこいにえのみこと)師木水垣宮(しきみづがきのみや)(ま)天下(あめのした)(をさ)(なり)(こ)天皇(すめらみこと)木国造(きのくにのみやつこ)荒河刀弁(あらかはとべ)(の)(むすめ)【刀弁二字(ふたもじ)(こえ)(もち)てす】遠津年魚目目微比売(とほつあゆめまくはしひめ)(めあは)(あ)れまし御子(みこ)豊木入日子命(とよきいりひこのみこと)豊鉏入日売命(とよすきいりひめのみこと)二柱(ふたはしら)(また)尾張連(をはりのむらじ)(の)(みおや)意富阿麻比売(おほあまひめ)(めあは)(あ)れまし御子(みこ)大入杵命(おほいりきのみこと)八坂之入日子命(やさかのいりひこのみこと)沼名木之入日売命(ぬなきのいりひめのみこと)十市之入日売命(とほちのいりひめのみこと)四柱(よはしら)

御真木入日子印恵命みまきいりひこいにえのみこと師木水垣宮しきのみずがきのみや(志貴御縣坐しきみあがたにますじんじゃ神社=奈良県桜井市金屋896)にいらっしゃり、天下を治められました。

この天皇は、木国造きのくにのみやつこ、名は荒河刀弁あらかわとべの息女、遠津年魚目目微比売とおつあゆめまくわしひめめとり、御子みこ豊木入日子命とよきいりひこのみこと、次に豊鉏入日売命とよすきいりひめのみことが生まれました。

二柱です。

また、尾張連おわりのむらじの先祖、意富阿麻比売おおあまひめめとり、御子みこ大入杵命おおいりきのみこと、次に八坂之入日子命やさかのいりひこのみこと、次に沼名木之入日売命ぬなきのいりひめのみこと、次に十市之入日売命とおちのいりひめのみことが生まれました。

四柱です。

又娶大毘古命之女御眞津比賣命生御子伊玖米入日子伊沙知命【伊玖米伊沙知六字以音】次伊邪能眞若命【自伊至能以音】次國片比賣命 次千千都久和【此三字以音】比賣命 次伊賀比賣命 次倭日子命【六柱】此天皇之御子等幷十二柱男王七女王五也

(また)大毘古命(おほびこのみこと)(の)(むすめ)御真津比売命(みまつひめのみこと)(めあは)(あ)れまし御子(みこ)伊玖米入日子伊沙知命(いくめいりひこいさちのみこと)【伊玖米伊沙知六字(むもじ)(こえ)(もち)てす】次伊邪能真若命(いざのまわかのみこと)【伊(よ)り能(まで)(こえ)(もち)てす】次国片比売命(くにかたひめのみこと)千千都久和(ちぢつくやまと)(こ)三字(みもじ)(こえ)(もち)てす】比売命(ひめのみこと)伊賀比売命(いがひめのみこと)次に倭日子命(やまとひこのみこと)六柱(むはしら)(こ)天皇(すめらみこと)(の)御子(みこ)(ら)(あは)十二柱(とはしらあまりふたはしら)男王(をのみこ)(なな)女王(めのみこ)(いつ)(なり)

又、大毘古命おおびこのみことの息女、御真津比売命みまつひめのみことめとり、御子みこ伊玖米入日子伊沙知命いくめいりひこいさちのみこと、次に伊邪能真若命いざのまわかのみこと、次に国片比売命くにかたひめのみこと、次に千千都久和比売命ちぢつくやまとひめのみこと、次に伊賀比売命いがひめのみこと、次に倭日子命やまとひこのみことが生まれました。

六柱むはしらです。

この天皇の御子みこらは、あわせて十二柱とはしらあまりふたはしら、男子王は七柱ななはしら、女子王は五柱いつはしらです。

故伊久米伊理毘古伊佐知命者治天下也 次豐木入日子命者【上毛野君下毛野君等之祖也】妹豐鉏比賣命【拜祭伊勢大神之宮也】次大入杵命者【能登臣之祖也】次倭日子命此王之時始而於陵立人垣

(かれ)伊久米伊理毘古伊佐知命(いくめいりびこいさちのみこと)(は)天下(あめのした)(をさ)(なり)豊木入日子命(とよきいりひこのみこと)(は)上毛野君(かみつけののきみ)下毛野君(しもつけののきみ)(ら)(の)(みおや)(なり)(いも)豊鉏比売命(とよすきいりひめ)伊勢大神(いせのおほみかみ)(の)(みや)(をろが)(まつ)(なり)】次大入杵命(おほいりきのみこと)(は)能登臣(のとのおみ)(の)(みおや)(なり)】次倭日子命(やまとひこのみこと)(こ)(みこ)(の)始而於(はじめてにして)(みささき)人垣(ひとがき)立たせし

そして、伊久米伊理毘古伊佐知命いくめいりびこいさちのみこと(崇神天皇の息子=垂仁天皇)は、天下を治められました。

次に豊木入日子命とよきいりひこのみことは、上毛野君かみつけののきみ(「上毛野」=上野かみつけの国の「君」=地方豪族)、下毛野君しもつけののきみらの先祖です。

妹の豊鉏入比売命とよすきいりひめのみことは、伊勢大神いせのおおみかみの宮(伊勢神宮)を拝み祭られました。(皇居内でまつっていた天照大神あまてらすおおみかみを伊勢神宮に遷祭せんさいした。)

次に大入杵命おほいりきのみことは、能登のおみの先祖です。

次に倭日子命やまとひこのみこと、このみこの時、初めてみささぎ(墓所)に人垣を立たせられました。(古代中華王朝に「生きた人を並べて埋め殉死じゅんしさせた」とする伝説をもとに、埴輪はにわを並べて立たせました。)

此天皇之御世 伇病多起人民死爲盡 爾天皇愁歎而坐神牀之夜 大物主大神顯於御夢曰 是者我之御心故 以意富多多泥古而令祭我御前者 神氣不起國安平 是以驛使班于四方求謂意富多多泥古人之時 於河內之美努村見得其人貢進

(こ)天皇(すめらみこと)(の)御世(みよ)伇病(えやみ)(さは)(お)人民(おほむたから)(しに)(ことごと)(な)(かれ)天皇(すめらみこと)(うれ)(なげ)(しかるに)神牀(かむとこ)(ま)(の)(よ)大物主大神(おほものぬしのおほかみ)(お)御夢(みいめ)(あらは)(いは)是者(こは)我之(わの)御心(みこころ)(かれ)意富多多泥古(おほたたねこ)(もち)(しかるに)(わ)御前(みまへ)(まつ)(し)(は)神の(け)不起(たたず)(やすらか)(たひら)がむ是以(こをもち)駅使(はゆま)(に)四方(よも)(あか)意富多多泥古(おほたたねこ)(い)ふ人求めし(の)時於(ときにおき)河内(かふち)(の)美努村(みぬのむら)(そ)の人見ゆを(え)進め(まつ)りき

この天皇の御世みよには、疫病が多く起こり人民の死が日常となりました。

そのため、天皇は憂い嘆いておられました。

そして、神床(神棚をしつらえた部屋)に横になっていらっしゃった夜、大物主おおものぬし大神おおかみ御夢みゆめあらわれ、このように告げました。

「これは、わが御心みこころである。意富多多泥古おおたたねこ(大田田根子)を用い、わが御前を祭らせ(祭神としてまつれ)。さすれば神のたず国は平安となるであろう。」
そこで、早馬の使いを四方に分け、意富多多泥古おおたたねこという人を探索させたところ、河内かわち美努みの村でその人を発見することができ、奏上そうじょうつかまつりました。(ご報告いたしました。)

爾天皇問賜之 汝者誰子也 答曰 僕者大物主大神娶陶津耳命之女活玉依毘賣生子名櫛御方命之子 飯肩巢見命之子建甕槌命之子 僕意富多多泥古白
於是天皇大歡 以詔之天下平人民榮

(かれ)天皇(すめらみこと)問ひ(たま)(これ)(いまし)(は)誰子(たがこ)(なり)答へ(まを)さく(やつかれ)(は)大物主大神(おおものぬしのおおかみ)陶津耳命(すえつみみのみこと)(むすめ)活玉依毘売(いくたまよりびめ)(めあは)(あ)れまし子名櫛御方命くしみかたのみこと(の)飯肩巣見命(いひかたすみのみこと)(の)建甕槌命(たけみかつちのみこと)(の)(やつかれ)意富多多泥古(おおたたねこ)(まを)於是(こにおき)天皇(すめらみこと)(おほ)きに(よろこ)(もち)(これ)(みことのり)天下(あめのした)(たひ)らぎ人民(おほみたから)(さか)

そこで、天皇は尋ねられました。

「お前は、どういう者か。」

お答え申し上げました。

「 私めは大物主大神おおものぬしのおおかみ陶津耳命すえつみみのみことの息女の活玉依毘売いくたまよりびめめとって生んだ子の櫛御方命くしみかたのみことの子の飯肩巣見命いいかたすみのみことの子の建甕槌命たけみかつちのみことの子が、私め意富多多泥古おおたたねこと申します。」

これに天皇は大いによろこび、これを命じられたところ天下は平安となり、人民は栄えたのです。

卽以意富多多泥古命爲神主而 於御諸山拜祭意富美和之大神前 又仰伊迦賀色許男命作天之八十毘羅訶【此三字以音也】 定奉天神地祇之社 又於宇陀墨坂神祭赤色楯矛 又於大坂神祭黑色楯矛 又於坂之御尾神及河瀬神 悉無遺忘以奉幣帛也 因此而 伇氣悉息國家安平也

(すなは)意富多多泥古命(おおたたねこのみこと)(もち)神主(かむぬし)(な)而於(しかにおき)御諸山(みもろやま)意富美和(おほみわ)(の)大神(おほかみ)(みまへ)(おろが)み祭らむ(また)伊迦賀色許男命(いかがしこをのみこと)(おほ)せて天之八十毘羅訶(あめのやそびらか)作らしめ【(こ)三字(みもじ)(こえ)(もち)てす(なり)天神(あまつかみ)地祇(くにつかみ)(の)(やしろ)(まつ)らむを定め(また)宇陀(うだ)墨坂神(すみさかのかみ)(おいて)赤色(あかいろ)楯矛(たてほこ)祭り(また)大坂神(おほさかのかみ)(おいて)黒色(くろいろ)楯矛(たてほこ)祭り(また)(さか)(の)御尾神(みをのかみ)(およ)河瀬神(かはのせのかみ)(おいて)(ことごと)(わす)(や)る無く(もち)幣帛(みてくら)(まつ)(なり)(こ)(よ)(しかるに)伇気(ときのけ)(ことごと)(や)国家(くに)(やすらか)(たひら)(なり)

こうして、意富多多泥古命おおたたねこのみことを用いて神主とし、御諸山みもろやま(ごしょやま=三輪山みわやま)に大美和おおみわ大神おおかみ(大物主大神おおものぬしのおおかみ)の御前を拝祭させました(祭神としてまつりました)。

また、伊迦賀色許男命いかがしこをのみことに命じてあめ八十平瓮やそびらか(たくさんの平たい皿のような器)を作らせ、天神あまつかみ地祇くにつかみやしろを定めました。

また宇陀うだの墨坂の神に赤色の楯矛たてほこを祭り、また大坂の神に黒色の楯矛を祭り、また坂の峰の神及び河の瀬の神にも、すべて忘れ無いようにして、幣帛みてくらまつりました。

これによって、疫病はことごとく終息し、国家に平安となりました。

此謂意富多多泥古人 所以知神子者 上所云活玉依毘賣其容姿端正 於是有神壯夫其形姿威儀 於時無比 夜半之時儵忽到來 故相感共婚共住之間 未經幾時其美人妊身 爾父母恠其妊身之事問其女曰 汝者自妊 无夫何由妊身乎 答曰 有麗美壯夫不知其姓名 毎夕到來共住之間自然懷妊

(こ)意富多多泥古(おほたたねこ)(い)ふ人神の子と知る所以(ゆえ)(は)(うへ)所云(いはゆる)活玉依毘売(いくたまよりびめ)(そ)容姿(すがた)端正(うるはし)於是(こにおいて)(くすしき)壮夫(ますらを)有り(そ)形姿(すがた)威儀(かしこし)於時(ときにおいて)無比(くらぶべきもなし)夜半(よは)(の)儵忽(たちまちに)到り(く)(かれ)(あひ)(かな)ひ共に(よば)ひ共に(すみし)(の)(ま)(いまだ)幾時(いくとき)(へ)(そ)美人(くはしめ)妊身(はらめ)(かれ)父母(ちちはは)(そ)妊身(はらめ)(の)(あやし)(そ)(むすめ)問曰(といいは)(な)(は)(みづから)(はら)めり(つま)(な)何由(なゆえ)妊身(はらめ)(や)答へ(まを)さく麗美(うるはし)壮夫(ますらを)有り(そ)(かばね)(な)不知(しらず)毎夕(ゆふへごと)到り(き)共に(すみし)(の)(ま)自然(おのづから)懐妊(はらみ)たり

この意富多多泥古おおたたねこという人が、神の子だと知られたわけですが。

前に述べた活玉依毘売いくたまよりびめは、たいそう容姿端正でありました。

そこに、姿に威厳があり比類なく立派な男性が、夜半に忽然こつぜんとやって来ました。

そこで互いに心にかない、二人共に求婚し共に過ごしたところ、未だ幾時を経ずしてその美女は身籠みごもりました。

そのため、父母はその妊娠を不審に思い、その娘にこのように問いました。

「お前は一人ではらんだが、夫もいないのにどうやって身籠みごもったのか。」

答えて言いました。

「麗しい男性が、その姓名は知りませんが、毎夕やって来て、共に過ごしたところ、自然に懐妊かいにんしました。」

人気ブログランキング

古事記

Posted by 風社