【神社にある不思議な存在】鳥居・手水舎・摂末社・狛犬・拝殿・本殿
神社という言葉は、神と社と言う文字で出来ています。
神とは、古代からこの列島に住む人々が祀ってきた、幾多の神様たちです。
そして、社とは神を祀る祭壇が置かれた場所のことです。
社は、はじめ屋代と書かれていました。
「屋」は住まいの意味で、「代」はかわりになるものと言う意味です。
その後屋代は、「社」という漢字が当てられ使われるようになりました。
神を祀る社は、いつしか時の流れの中で「神が住み人がその神を祀る場所である」として、かむやしろと呼ばれるようになっていきます。
そして時代が下り、近代になるとかむやしろは「神社」と呼ばれるようになっていったのです。
さて、この神社の敷地内である「境内」と呼ばれる場所には、いろいろな不思議な建物があります。
それでは、そうした不思議な建物のそれぞれを、入り口から順に見ていきましょう。
鳥居
鳥居は、神社に向かうとまず目に入ってくる建物で、神社への入口です。
そして地図でも、神社は鳥居マークです。
それほど鳥居は、神社と言う存在の象徴的な建物となっています。
しかし、そもそも「鳥居」とは一体何なのでしょう。
じつは、神道という宗教が始まるはるか以前から、鳥居はあったのです。
しかしその頃は、まだ神はまだ自然界を自在に行き来しているとされ、神社には社殿などの建物はありませんでした。
古代の人々は、儀式を行う場所を聖地であると決め、「かむやしろ」として儀式の際にだけその都度、そこに祭壇を設けました。
そしてその祭壇に、「御神体」と呼ばれる物質を「依代」として置きました。
樹木・石・幟・柱・御幣・動物などが依代となります。
人間の場合には尸童といいます。
古くは、神が神聖な自然の森や樹木に降りて来るという信仰でした。
その後、聖域が神社や広場に移動し、樹木やその一部を祭場に立てる形式に変化していきます。
また、神輿や山車は、こうした神の依りついた樹や枝を輿に乗せて神が巡幸することを意味していました。
その後、次第に装飾化していき、現在は神輿の屋根に名残りを留めるようになりました。
かつて彼らは、この「御神体」がある一帯は、聖地であり神事などの儀式以外では立ち入ってはいけない神域であるとしていました。
そしてまた、神事に従事する者以外は、立ち入ってはならない場所でした。
鳥居は、その神聖な場所への特別な入口だったのです。
また、神聖な場所の周辺のエリアは結界であり、鳥居はその境目を示す目印でした。
つまり、祭祀の儀式を行う頃には、我々人間が住む俗界との、明確な境界線だったのです。
鳥居の起源
「鳥が居る」と書いて鳥居と言います。
列島に渡来してきた人々は最初、鳥居とは集落の入り口にある門のことを指していました。
なぜならその門の上には、鳥のレリーフ(木彫像)が置かれていたからです。
それは、人間が住む集落の外は神の行き来する外界であり、そしてその境界線である門の上に鳥が居るのは、鳥が神の使いとして人間界との境界を見ているとされたからです。
大和王権が編纂した古事記には、鳥が神の使いとして「常世の長鳴き鳥」や「八咫烏」という鳥の話が出てきます。
参考記事
しかしその起源はもっと以前にありました。
中国や朝鮮半島などの東アジア大陸から東南アジアに渡っての広い範囲には、今でも太古から同じように、鳥の彫像を付けた門の遺跡があります。
この列島に渡ってきた人々も、その風習を引き継いで信仰していたのです。
しかし、集落の門にあった鳥居は、その後久那土(岐)の神や道祖神などの神に取って代わっていきました。
一方、神への祭祀は神社という決まったところで行うようになりました。
そしてその入り口に門を建てるようになり、鳥居は神がおられる神域とされる神社への入り口となっていきました。
こうしたことから、本来集落の入り口にあったはずの鳥居は、その役割と意味が移り変わり神の庭への入り口という役割を与えられ、それが現在にまで続いています。
鳥居の色
鳥居の色といえば、朱色というイメージがあります。
しかし、神道が始まるまでの信仰では、鳥居は朱色ではありませんでした。
それまでの鳥居は、樹木を切り出して表皮を剥いただけの白木だったのです。
神道が始まった頃、日本には仏教という宗教も渡来していました。
鳥居が朱色になったのは、この仏教寺院の伽藍(寺院の建物)に使われていた朱色の顔料を鳥居にも塗るようになったのが始まりです。
この朱色は、古代には鉱物を採掘した際に取り出していた丹という物質を塗布した色でした。
いまではこの朱は硫化水銀という名称になっています。
そしてこの硫化水銀という物質は、古くから防腐剤や医薬品としても使われていました。
そこから鳥居の朱色は魔除けの色とされました。
また鳥居の朱色は、宗教的意味合いから「太陽」や「血の色」・「生命力や力強さ」・「神々しさ」を象徴する色として認識されるようになってもいきました。
鳥居の形
鳥居は、その形状により大きく2つに分けられます。
神明鳥居と明神鳥居です。
神明鳥居
神明鳥居とは、円柱を二本建て上部に笠木・下部に貫の二本の横木を渡しただけの簡素な鳥居のことです。
伊勢神宮や靖国神社の鳥居は、この形でできています。
そして、地図で鳥居を表すときには、この形がモチーフになっています。
明神鳥居
明神鳥居は、進化系の鳥居といわれています。
神明鳥居より優雅になり、笠木を2段に組みそれがカーブしていることが特徴です。
柱も傾斜がつけられ下部に向けて広がっています。
春日大社や八幡神社などで見られる鳥居です。
その他の鳥居
現在鳥居の種類は、60以上あります。
ただその基本は、上記の二種類(神明鳥居・明神鳥居)にあり、そこから派生したものです。
また、その材質は最初檜や杉だったものが、現在では石や銅・青銅などからコンクリートや鉄製のものも建てられるようになっていきました。
参道
神社にお参りするためには、参道または石段と参道を通っていかなくていけません。
住宅地にある神社では、この参道はごく短い場合もありますが、古くからある神社は大抵長い石段と参道があり、拝殿にたどり着くまでの長い距離を歩かなくてはなりません。
それでは、なぜそんな遠い場所に神社があったのでしょうか?
太古の昔から、神を祀る場所は集落から離れた場所にあったのです。
そして、特に多かったのは山の頂上です。
なぜなら、神は山の上に訪れるとされていたからです。
奈良県にある大神神社などは、今でも山そのものをご神体としていたりします。
また、古代から「集落で亡くなった者はその神のもとへ行き、神とともに里に住む子孫を見守っていてくれている」とされていました。
そのため、集落を守る神や祖先は山の上に祀られたのです。
こうしたことから、大抵の神社の社殿は山や森のなかにあるのです。
そして、その祭壇で儀式を執り行うために向かうまでの道のりに、石段や参道が設えられたのです。
その後参道は、宗教的意味合いから「神域に向かう時に心を清浄させるため、その距離を歩くのだ」とされ、それは例えどんな肩書を持つ人でさえ、乗り物を降り歩く事が求められました。
そしてそれは、時の権力者である征夷大将軍や天皇や皇族でさえ、例外ではありませんでした。
手水舎
参拝する前に、手を洗う場所です。
なぜ手を洗わなくてはいけないのでしょう.
それは、神と対面するためには人間界(俗界)の「穢れ」を「祓う」必要があるとされたからでした。
穢れとは
「穢れ」とは、物質的に肉体が汚れているということではありません。
かといって、悪霊に取り憑かれたなどというオカルティックなことでもありません。
そもそもこの概念は、「神道」が始まるはるか以前の古代からありました。
穢れたとされる人物は、精神的なことからなにか行動を起こし、集落などの共同体の秩序を壊すとされていました。
それは、具体的には作物の生育を阻害する行為や、疫病・近親相姦や人を傷つける行為(今で言う傷害罪や傷害致死罪)などです。
これは、集落全体にとって一歩間違えば滅亡につながり、何より一番の恐怖だったのです。
そのため、そうした行為により集落の共同体に害を成すであろう者を、穢れた者としたのです。
そして、穢れの状態の人間は、心の平静を保っていないとされ集落の共同体に損害を与えるものとされました。
例えば、近親者に亡くなった人がいる遺族は穢れの状態とされ、家内で過ごすべきということになっていました。(神道では、これを50日祭としています。)
これは、仏教の法事としてある49日とは全く違う考え方です。
神道では、死に至る病気や事故などの苦しみや、家族の誰かが逝き遺された人達が悲しみ嘆く状態の事を、気が枯れた状態=気枯れ=ケガレとしているのであり、死そのものが穢れであるとか、死んだら穢れた存在になるとか、そういった意味ではありません。
ですので、神道では遺族に配慮して、葬式は死者が出た家の敷地内では行わず、埋葬された場所で行うのが普通でした。
これを、日本の仏教界が転用して、死者の自宅で葬式をしその後、初七日、49(しじゅうく)、新盆、3回忌、7回忌などの法要をおこなうようになっていった事により、一般に広まっていったのでした。
それは、初七日、49(しじゅうく)、新盆、3回忌、7回忌などの法要は、原始仏教にはもともとなかったことからもわかります。
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本来、神道のしきたりでは気枯れの状態のものが神に会うことは失礼な事であるとされ、穢を祓うための禊をしなくては、神事に参加するために鳥居をくぐることは許されなかった事なのです。
こうしたことからすれば、現代のパワースポットブームはむしろ逆の意味になってしまっています。
なぜなら、何か悩みごとがある「気枯れの人間」が神に頼み事をするために会いに行くなどということは、本来神に対して相当に失礼なことであるからです。
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