【神道の歴史】その伍~現人神を否定した神道指令からの戦後日本~
神国日本の名のもとに帝国主義をひた走った日本は、国内だけでも何百万人という死者を出し、そして天皇が降伏宣言をします。
これにより戦争は終わり、日本は敗戦を迎えました。
神道指令
戦勝した連合国によって送り込まれたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部=SCAPの通称)は、真っ先に国家神道の解体に手を付けようとしました。
なぜなら、日本の帝国主義及び軍国主義は、神国日本という観念論によって戦火を拡大したと考えたからです。
そして、その思想をそのままにしては、再び天皇のもと戦争を起こす可能性があると危惧したのです。
そのためGHQは当初、日本という国から神道という宗教そのものを抹消しようとしました。
しかし、それには日本側のあらゆる関係各所から反対がありました。
それは、「そもそも自然信仰の文化であった起源を持つ神道は、天皇という特殊な君主から生まれた宗教ではあっても、その信仰自体には関係がないのではないのか」という反発でした。
そうした大きな反対論の中でGHQは、当初の神道廃止論から転換して、政治や宗教の分離(政教分離)の理念はそのままで、その国家思想から皇室に関する関与を一切排除することで決着をつけました。
それが、神道の要素から天皇に関するものをすべて排除し、他の宗教と同じものとする「神道指令」でした。
「神道指令」とは「国家神道・神社神道に対する政府の保証・支援・保全・監督ならびに弘布の廃止に関する件」という題名の覚え書き書の通称のことです。
国教分離指令ともいいます。
これにより、天皇国家の思想はすべて否定されました。
そして天皇の祭祀は、皇室一族のみで行われる私的な信仰であるとする「皇室神道」として残ることになりました。
また、それまで国の統制下にあった教派神道やその他の神社は、「神社神道」として新たに発足することとなったのでした。
戦後民主主義と心の空白
日本人だけでも310万人以上が亡くなり、日本全土の都市が破壊され、日々の生活でさえも国民に困窮を与えた軍部政権は敗戦によって崩壊しました。
しかしそれは、国民が民主主義による再生を始めるきっかけとなりました。
ただ一方それは、それまで日本人の心を一つに結集していた天皇を中心とする一体的観念(日本人としての存在理由)が失われ、精神的な空白状態を日本人にもたらしてしまったことも確かでした。
精神文化の喪失
戦後の日本人は、戦時中に味わった日々の暮らしにも困っていた困窮の生活からの裏返しでもあるかのように、ひたすら経済や物質の繁栄を目標に走り続けてきました。
そして、高度成長時代が終わるころから、日本人の心は変質していきました。
拝金主義(金銭を無上のものとして崇拝すること)・唯物史観(物質的なもののみが世の中を動かしていくという考え方)・利己主義(自分さえ良ければいい)が横行するようになり、精神文化はさらになおざり(おろそか)になっていきます。
昨今、ニュースを見ていても自分本位・人間本位の暮らしの結果として、いろいろな自然災害(人為災害?)が起きているような気がしてなりません。
現代社会の閉塞感は、ある意味日本人の心神喪失による精神的混乱期とも言えるでしょう。
しかしそれは、すでに明治時代から始まっていました。
国家神道から神国日本になり、それが破れてしまった今、精神の拠り所はなくなってしまったのです。
かつて日本人は時代の中でいくども混乱期を経験し、そのたびに祈りの精神文化を心の原点として復活してきました。
そうしたことから、もしかして今日本人に一番必要なのは、太古の祈りの信仰という精神文化の原点に還る事かもしれません。
いま時代は、心ある人々が沈黙し自分勝手な価値観ばかりが大きく喧伝されてしまうような世の中になってしまいました。
そしてSNSが流行る中、自分の身分も明かさずに人の悪口が言えるような世の中になってしまっているのも事実です。
こうして価値観が変わっていく中で、日本人が日本人である限り本来の精神文化に立ち返り、いにしえから続いてきた信仰の心を失わないでいただきたいと願うばかりです。
古きを訪ねて新しきを知る
最近特に日本人は、世界の国々で称賛されています。
海外旅行に行かれた方はお分かりでしょうが、日本人の心にある信仰心による精神文化は外国人からみたら驚嘆に値するようです。
そうした意味も含めて、私達は日本人として日本に生まれたことに誇りを持っていいのではないのでしょうか。
「神道」という精神文化は世界に誇るべきものの一つです。
そのことからも私達は、かつての日本人をもう一度お手本にし、いにしえの彼らのように自然と寄り添いながら暮らすべきときに来ているのでしょう。
そして畏敬の念をもって、自然におられる神々とお付き合いをするという心を、もう一度思い出すべきときに来ているのかもしれません。
未来へ向けて
そうして、また「令和」という新しい元号の時代が始まりました。
「平成」という一つの時代が終わり、新たな時代が紡ぎ出されていこうとしています。
この先、未来においてもこの列島が日本であり、私達が日本人であるかどうかは誰にもわかりません。
ただ、この日本の神様の話題が今の若い方々にも関心を持たれているところを見ると、天皇制集権国家から始まったこの日本という国の人々の心の中からは、これからも日本人であるというプライドは消えることはないでしょう。
そしていにしえから続く日本人の祈りという信仰は、たとえ神道という名前が消えたとしても、これからも変わることなく継承されていくことでしょう。
それでは。
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