【穢(けが)れ】~霽(は)れと褻(け)の概念~
この列島の人々は、はるか古代(現代の時代区分では、縄文時代)、まだ日本人という呼称もなく神道もない頃から、自然信仰とともにありました。
大陸から水稲(今のお米)が伝わる前から、陸稲というお米を育て主食としまた野菜を育て、それらを食物として生活していたのです。
この頃からすでに、朝明るくなったら起きて畑や田んぼで働き、日が暮れ夜になったら寝るといった日常生活があったのです。
「霽れ」と「褻」
「褻」とは
この日常の平穏な生活を、当時の人々は「ケ」と言っていました。
「ケ」は、後に大陸から漢字が伝わると「褻」という文字が当てはめられました。
人々は「ケ」を大変尊重し、貴重な幸せと考えていました。
なぜなら、当時の人々の生活は、否応にも自然界と共存せざるを得ず、大きな災害があればすぐにでも日常がなくなってしまうような暮らしだったからです。
そのため、普通に生命エネルギーが満ちて(自然界が穏やかで食物が豊富にある状態で)暮らしていられる日常はとてもありがたい(有り難い=あることが普通ではない)ものだったのです。
また、人々はまず食事が満足に摂れることが何よりも大事なことから、「ケ」とは食物のことも指しました。
今でも残っている言葉で、「朝餉」、「昼餉」、「夕餉」などは、朝昼晩ご飯の古称でした。
また、食事時のことを「ケ時」と言ったりしていました。
つまり、彼らにとっては、平穏な暮らし=満足な食事=米や稲が豊富にある状態のことが「ケ」だったのでした。
「霽れ」とは
対して「霽れ」とは、冠婚祭などの特別な日のことでした。
これは例えば、豊作で豊饒祭などの神に感謝する祭りや、結婚などで新たな家族を迎える日、あるいはその集落で若者が何かの役目に就く儀式などの、特別で非日常的な日の事です。
そして、この言葉は今でも生きています。
例えば「ハレの日」といえば、なにか特別なお祝い事を指し、「晴れ着」といえば、そのときに着る特別な服のことだったりします。
穢れとは?
この「霽れ」と「褻」の概念から、「穢れ」という考え方が生まれました。
「穢れ」とは、「ケ」(気)が「枯れる」ことであり、生命エネルギーの満ちていない状態のことを指しています。
そして「穢れ」た者(気枯れた者)は、集落の人々に災いをもたらすとし、人々の「ケ」の暮らしを守るために、遠ざけなければならない存在とされました。
ただ、現代でも人間関係などのストレスや、人災天災などの災害による被害を考えれば、「穢れ」というものの本質はあまり変わっていないのかもしれませんが・・・。
「穢れ」を起こす対象
「穢れ」を起こす対象は多岐にわたり、また伝染するものとされ、人々にとって嫌なもの・避けるべきもの(忌み)でした。
「穢れ」を起こすものは、おもに「大自然によるもの」と「人によるもの」との二つに分類できます。
大自然による「穢れ」
台風や大雨・日照り・地震などの自然災害により、たとえば家屋が喪失するなどして起こる食料の不足のことです。
こうしたとき人々は、自然災害そのものを「穢れ」とし、「地鎮祭」などの祀りを行いました。
また、火そのものも「穢れ」とし、火伏せの神を祀ったりしていました。
秋になり稲を刈り取ったあとの田んぼなども「穢れ」(気枯れ)とされました。
この「穢れ」は、「豊饒祭」の祀りにより祓うことができるとされました。
つまり、祀りなどの「霽れ」の日は、こうした自然災害による「穢れ」を祓い「褻」の日に戻すための儀式だったのです。
人による「穢れ」
これは、天つ罪(天津罪)・国つ罪(国津罪)の二つに別れています。
・溝埋「畔と畔の溝を埋め、田圃に水が入らなくする行為のこと。」
・樋放「木で作った灌漑用水路を壊して、水を流してしまうこと。」
・頻播「他の人が種を蒔いた所に、重ねて種を蒔いて作物の生長を妨げること。」
・串刺「他人の土地に、自分の所有権を示す竹や木の神聖な串を刺して、それを主張すること。」
・生剥「 生きているけものの皮をはぎとること。」
・逆剥「獣などを殺し、その皮を尻の方から剥ぐこと。」
・糞戸「神事に際して祭場を糞などの汚物で汚すこと。」
・死膚断「死んだ人の肌に傷をつけること。(死体損壊罪)」
・白人「白斑病(しろなまず=皮膚の色が白く抜ける病気)にかかること。」
・胡久美「いぼや瘤(筋肉が固くなるなどして、皮膚が高く盛り上がること)が、象皮病のようになること。」
・己が(自分の)母犯せる罪「実母との近親相姦。」
・己が子犯せる罪「実子との近親相姦。」
・母と子と犯せる罪「女と相姦し、後にその女の子と相姦すること。」
・子と母と犯せる罪「女と相姦し、後にその女の母と相姦すること。」
・畜犯せる罪「獣姦(馬婚・牛婚・鶏婚・犬婚など)のこと。」
・昆虫の災「地に這う虫(昆虫や蛇など)から蒙る病気や障害など、有害な動物による災害。」
・高つ神の災「落雷などの天災地変災害。」
・高つ鳥の災「空を飛ぶ鳥による家屋損傷などの被害、害鳥による災害。」
・畜仆蠱物せる罪「家畜類を殺し、その血で悪神を祭り、人々をのろう呪いをすること。」
そして、これらの罪は神の忌み嫌うことであるから、その神の怒りを収めるために祓えの儀式を行う必要があるとしたのでした。
しかし、実際にはそれが人々が住む集落を乱すものであったために、その集落の秩序を維持するために行う必要があったのでしょう。
また、この内容を見る限り、天つ罪と国つ罪とはかなりの隔たりがあり、もともと別のものをひとつの穢として扱ったというようにも見えます。
国つ罪については、大和王権が興るはるか以前から取り決められていたとする説もあり、その頃は個人祓いとして、それらの罪を犯したものは島流しにされたといいます。
つまり、かつては穢れたものはその社会から追放していたものが、後に祓の儀式として残り現在に至っているのです。
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