【古事記】(原文・読み下し文・現代語訳)上巻・その伍

故爾詔天宇受賣命此立御前所仕奉猨田毘古大神者專所顯申之汝送奉亦其神御名者汝負仕奉是以猨女君等負其猨田毘古之男神名而女呼猨女君之事是也故其猨田毘古神坐阿邪訶 【此三字以音地名】 時爲漁而於比良夫貝【自比至夫以音】其手見咋合而沈溺海鹽故其沈居底之時名謂底度久御魂 【度久二字以音】其海水之都夫多都時名謂都夫多都御魂【自都下四字以音】其阿和佐久時名謂阿和佐久御魂【自阿至久以音】

(かれ)(ゆえに)天宇受売(あめのうずめ)(みこと)(のたま)はく(こ)御前(みまへ)に立ち猿田毘古(さるたひこ)大神(おほみかみ)(つか)(まつ)る所(は)(もはら)(あらは)(まを)しし所(の)(な)が送り(まつ)(また)(そ)の神の御名(みな)(は)(な)(お)(つか)(まつ)是以(こをもち)猿女君(さるめのきみ)(ら)(そ)猿田毘古(さるたひこ)(の)男神(をのかみ)の名を(お)(しかるに)(をみな)猿女君(さるめのきみ)と呼びし(の)(こ)(なり)(かれ)(そ)猿田毘古(さるたひこ)の神(あ)(ざ)(か)(こ)三字(みもじ)(こえ)(もち)(ところ)(な)】に(ま)す時に為漁(すなど)りて(しかるに)(おいて)比良夫(ひらふ)貝【比(よ)り夫(ま)(こえ)(もち)てす】に(そ)の手を見咋合(くひあはせら)れて(しかるに)海塩(うしほ)に沈み(おぼ)(かれ)(そ)の底に沈み(を)りし(の)(なづけ)底度久御魂(そこどくみたま)【度久二字(ふたもじ)(こえ)(もち)てす】と(いひ)(そ)海水(うみみづ)(の)都夫多都(つぶたつ)(なづけ)都夫多都御魂(つぶたつみたま)【都(よ)(しも)四字(よもじ)(こえ)(もち)てす】と(いひ)(そ)阿和佐久(あわさく)(なづけ)阿和佐久御魂(あわさくみたま)【阿(よ)り久(ま)(こえ)(もち)てす】と(いひ)

そうしたことから、天宇受売命あめのうずめのみことにおっしゃいました。

猿田彦大神さるたひこのおおみかみ御前みまえにおまつりするやしろに向かうにあたっては、もっぱ猿田彦大神さるたひこのおおみかみを出現させたあなたが、送って差し上げなさい。またその神の御名みなを、あなたが受けて差し上げなさい。」

よって猿女君さるめのきみの人々は、男神おがみ猿田彦神さるたひこのかみの名を負いました。

女に猿女君さるめのきみと呼ぶのは、女に「君」をつけて呼ぶことの初めです。

そして、その猿田彦神さるたひこのかみは、阿邪訶あざかの地に滞在された時に漁をし、比良夫ひらふ貝(拾った貝)にその手を挟まれてうしお(海)に沈みおぼれました。

そして、底に沈んでいた時現れた御魂みたまの名を底度久御魂そこどくみたまといい、その海水の粒が飛び散った時現れた御魂みたまの名を都夫多都御魂つぶたつみたまといい、その泡が弾けた時現れた御魂みたまの名を阿和佐久御魂あわさくみたまといいます。

於是送猨田毘古神而還到乃悉追聚鰭廣物鰭狹物以問言汝者天神御子仕奉耶之時諸魚皆仕奉白之中海鼠不白爾天宇受賣命謂海鼠云此口乎不答之口而以紐小刀拆其口故於今海鼠口拆也是以御世嶋之速贄獻之時給猨女君等也

於是(こにおいて)猿田毘古神(さるたひこのかみ)送りて(しかるに)還到(かへりた)(すなは)(ことごと)鰭広物(はたのひろもの)鰭狭物(はたのせばもの)を追ひ(あつ)(もち)問言(とひたまはく)(な)(は)天神(あまつかみ)御子(みこ)(つか)(まつ)る耶(や)(の)諸魚(もろを)(みな)(つか)(まつ)ると(まを)(の)(なか)海鼠(こ)不白(まをさざ)りき(ここ)天宇受売命(あまのうずめのみこと)海鼠(こ)(のたま)(い)(こ)(くち)(や)不答(こたへざる)(の)(くち)なる(しかるに)紐小刀(ひもがたな)(もち)(そ)(くち)(さ)けし故於(ゆえにおいて)今に海鼠(こ)(くち)(さ)くる(なり)是以(こをもち)御世(みよ)(しま)(の)速贄(はやにへ)(まつ)(の)猿女君(さるめのきみ)(ら)(たま)はる(なり)

このようにして、猿田彦神さるたひこのかみを送り帰ってきた後、はた(ひれ)の広い魚狭い魚たちを追い集め尋ねました。

「お前たちはあまつ神の御子みこにおつかえ申し上げるか。」

魚たち皆がおつかえしますと申し上げる中、しかし海鼠なまこは申し上げませんでした。

そこで天宇受売命あまのうずめのみことは、海鼠なまこにおっしゃいました。

「この口か、答えぬ口は。」

こうして、紐小刀ひもがたなでその口を裂いたので、今でも海鼠なまこの口は裂けているのです。

そしてそれからは、代々島々から速贄はやにえ(初物の漁獲物)を献上する時は、猿女君さるめのきみの人々にこの海鼠なまこを献上するようにんぜられたのです。

於是天津日高日子番能邇邇藝能命於笠紗御前遇麗美人爾問誰女答白之大山津見神之女名神阿多都比賣【此神名以音】亦名謂木花之佐久夜毘賣 【此五字以音】又問有汝之兄弟乎答白姉石長比賣在也爾詔吾欲目合汝奈何答白僕不得白僕父大山津見神將白

於是(こにおいて)天津日高日子番能邇邇芸能命(あまつひこひこほのににぎのみこと)笠紗(かささ)御前(みさき)於麗美人(くはしおみな)(あ)ひき(ここ)に問ひたまふ(たが)(むすめ)ぞ答へ(まを)さく(これ)大山津見(おほやまつみ)の神(の)(むすめ)名は神阿多都比売(かむあたつひめ) 【(こ)の神の名(こえ)(もち)てす】 (また)の名は木花之佐久夜毘売(このはなのさくやひめ)(こ)五字(いつもじ)(こえ)(もち)てす】と(い)ふ又問ひたまふ有汝之兄弟乎(ながはらからやある)答へ(まを)さく(わが)(あね)石長比売(いはながひめ)(あ)(なり)(ここ)(のたま)はく(わ)(いまし)目合(めあ)はさむと(おも)ふや奈何(いかに)答へ(まを)さく(やつかれ)不得白(まをしえず)(やつかれ)が父大山津見(おほやまつみ)の神の将白(まを)さむ

ここで、天津日高日子番能邇邇芸能命あまつひこひこほのににぎのみことは、笠紗かささの岬で、うるわしき美人に出会いました。

そこで「誰の娘か。」と問いました。

大山津見おおやまつみの神の娘で、名は神阿多都比売かむあたつひめ、別名木花之佐久夜毘売このはなのさくやひめと申します。」とお答え申し上げました。

さらに「あなたに姉妹はあるか。」と問いました。

「私の姉に石長比売いわながひめがおります。」とお答え申し上げました。

そこで「私は、あなたを妻に迎えたいが、いかがですか。」とおっしゃいましたが、

「私は申し上げることはできません。私の父、大山津見おおやまつみの神が申し上げます。」とお答え申し上げました。

故乞遣其父大山津見神之時大歡喜而副其姉石長比賣令持百取机代之物奉出故爾其姉者因甚凶醜見畏而返送唯留其弟木花之佐久夜毘賣以一宿爲婚爾大山津見神因返石長比賣而大恥白送言我之女二並立奉由者使石長比賣者天神御子之命雖雨零風吹恒如石而常堅不動坐亦使木花之佐久夜毘賣者如木花之榮榮坐宇氣比弖自【宇下四字以音】貢進此令返石長比賣而獨留木花之佐久夜毘賣故天神御子之御壽者木花之阿摩比能微【此五字以音】 坐故是以至于今天皇命等之御命不長也

(かれ)(そ)の父大山津見(おほやまつみ)の神に(つか)はさむと(ねが)ひし(の)(おほ)きに歓喜(よろこ)びて(しかるに)(そ)の姉石長比売(いはながひめ)(そ)百取(ももとり)机代(つくえしろ)(の)(もの)を持た(し)奉出(まつりいで)(かれ)爾(ここ)に(そ)の姉(は)(いと)凶醜(しこめ)きに(よ)(かしこ)(え)(しかるに)返し送り(ただ)(そ)(おと)木花之佐久夜毘売(このはなのさくやひめ)(と)(ひと)宿(ね)(もち)(みとのまぐはひ)(す)(ここ)大山津見(おほやまつみ)の神石長比売(いはながひめ)を返さるるに(よ)りて(しかるに)大きに(はぢ)(まを)し送り(まを)さく(わ)(の)(むすめ)(ふた)(なら)びに立奉(たてまつ)(よし)(は)石長比売(いはながひめ)使(つか)はします(は)天神(あまつかみ)御子(みこ)(の)(いのち)(ふ)り風吹け(ども)(つね)(いは)(し)きて(しかるに)(つね)(かた)不動坐(うごきまさ)まじく(また)木花之佐久夜毘売(このはなのさくやひめ)使はします(は)木花(このはな)(し)きて(これ)栄栄(さかえさかえ)(ま)さむを宇気比弖(うけひて)(よ)り【宇(しも)四字(よもじ)(こえ)(もち)てす】進め(まつ)りき(こ)石長比売(いはながひめ)を返さ(し)(しかるに)(ひとり)木花之佐久夜毘売(このはなのさくやひめ)(と)めし(かれ)天神(あまつかみ)御子(みこ)(の)御寿(みいのち)(は)木花(このはな)(の)(あ)(ま)(ひ)(の)(み)(こ)五字(いつもじ)(こえ)(もち)てす】(ま)さむ(かれ)(こ)に今に(おいて)至るに(もち)天皇命(すめらみこと)(ら)(の)御命(みいのち)不長(ながからず)(なり)

そこで、その父大山津見おおやまつみの神に妻としてつかわすようお願いされたところ大いに歓喜し、その姉石長比売いわながひめを添え多くの机代之物つくえしろのもの(数々の飲食物)を持たせ、送り出して差し上げました。

ところが、その姉はとてもみにくかったので恐ろしがられて送り返され、ただその妹木花之佐久夜毘売このはなのさくやひめのみを留め、一夜を共にし交わりました。

そこで大山津見おおやまつみの神は、石長比売いわながひめを返されたことをとても恥じ、次の言葉をお送り申し上げました。

「私の息女を二人並べて差し上げましたのは、石長比売いわながひめにおいては天津神あまつかみ御子みこの命が雨が降り風が吹いてもつねに石のごとく常に堅く不動でありますように、そして木花之佐久夜毘売このはなのさくやひめにおいては、の花のごとく繁栄されますようとの意味で、うけひ(神への誓い)をしてお勧めしたのでございます。ところが石長比売いわながひめを返され一人木花之佐久夜毘売このはなのさくやひめを留めらてしまったことにより、天津神あまつかみ御子みこ御命おいのちの花が天から授かった日数のみとなられてしまうことでしょう。」

このようなことから、現在に至るまで代々の天皇すめらみこと御命おいのちは長くないのであります。

故後木花之佐久夜毘賣參出白妾妊身今臨產時是天神之御子私不可產故請爾詔佐久夜毘賣一宿哉妊是非我子必國神之子爾答白吾妊之子若國神之子者產不幸若天神之御子者幸卽作無戸八尋殿入其殿內以土塗塞而方產時以火著其殿而產也故其火盛燒時所生之子名火照命【此者隼人阿多君之祖】 次生子名火須勢理命【須勢理三字以音】次生子御名火遠理命亦名天津日高日子穗穗手見命【三柱】

故後(しかるのち)木花之佐久夜毘売(このはなのさくやひめ)(まい)(いで)(まをさ)(われ)妊身(はらみ)今産む時に(のぞ)(こ)天神(あまつかみ)(の)御子(みこ)(わたくし)不可産(うむべくもあらぬ)(かれ)(うけひ)しまつらむ(ここ)(のたま)わく佐久夜毘売さくやひめ一宿(ひとね)(や)(はら)むは(こ)(わ)(みこ)(あら)ず必ず国神(くにつかみ)(の)(ここ)に答へ(まを)さく(わ)(はら)(の)(も)国神(くにつかみ)(の)(は)産み不幸(さきくあらじ)(も)天神(あまつかみ)(の)御子(みこ)(は)(さきは)(すなは)(う)(つ)(や)(ひろ)殿(どの)作り(そ)殿(との)(うち)(い)(はに)(もち)て塗り(ふた)(しかるに)(まさ)に産まむの時(もち)(そ)殿(との)火を(つ)(しかるに)産めり(なり)(かれ)(そ)(ほ)(さか)り焼きし時(ところ)(う)みし(の)(みこ)火照(ほでり)(みこと)(こ)(は)隼人(はやひと)阿多君(あたのきみ)(の)(おや)】次に生まれし(みこ)火須勢理(ほすせり)(みこと)【須勢理三字(みもじ)(こえ)(もち)てす】次に生まれし(みこ)御名(みな)火遠理(ほをり)(みこと)(また)天津日高日子穂穂手見(あまつひこひこほほでみ)(みこと)三柱(みはしら)

この後木花之佐久夜毘売このはなのさくやひめは、火瓊瓊杵命ほににぎのみことにおうかがいし申し上げました。

「私は身重みおもで、間もなく出産する時期となりました。これは天津神あまつかみであるあなたの御子みこであり、決して違う父親の子ではありませんので、うけひいたします。」

天孫てんそんはおっしゃいました。

佐久夜毘売さくやひめとは一晩をともにしただけである。それなのに妊娠したということは、私の御子ではない。間違いなく国津神くにつかみの子である。」

そこで答えて申し上げました。

「私のお腹の子が、もし国津神くにつかみの子ならば、産んでも無事ではないでしょう。しかしもし天津神あまつかみ御子みこであれば無事に産まれることでしょう。」

そう言って、ただちに戸のない広大な御殿を作り中に入り壁土を塗ってふさぎ、産まれる直前に御殿に火を着けましたが無事に産み終えたのでした。

こうして、その火が盛んに燃えていたとき生まれた御子みこは、火照命ほでりのみことと名付けられました。【この神は隼人阿多はやとあた(古代の南部九州の居住民・熊襲くまそ)のきみの祖先です。】

次に生まれた御子みこは、火須勢理命ほすせりのみことと名付けられました。

次に生まれた御子みこは、火遠理命ほをりのみことまたの名は天津日高日子穂穂手見命あまつひこひこほほでみのみことという御名みなが付けられました。

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Posted by 風社