【神社の社格】社号という神社の格付け、その種類と目的
現在の神社には、「社格」などといったものはありません。
それは、昭和21年(1946)に「神社の国家管理」の禁止により「社格制度」が廃止されたからです。
ただ、神社によってはかつての社格の名残が残っていたりします。
そもそも太古の昔にも、神社には「社格」などという等級分けはありませんでした。
「社格」を最初に決めたのは大和王権とされています。
なぜなら、現在わかっている最古の社格は、「日本書紀」巻5に10代崇神天皇についての話に見える、天社・国社の社号だからです。
その後、大和王権の中央集権国家を堅固なものとするために、律令制度が整備されていきました。
大宝律令・養老律令と整備されていき、養老律令の中で律令の補助法令として作られた「延喜式」に詳細な格式が見えます。
延喜式の巻9・10にある神名帳には、大和王権の勢力が及ぶすべての神社が格付けされていました。
その中で一番社格が高いのは、もちろん天皇家の祖先神である天照大御神が祀られる伊勢神宮でした。
古代の社格制度
式内社
神社の格式づけは、神道が始まった当初(平安時代)から延喜式という法律によりありました。
神名帳という一覧には、2861社の神社が記されています。
式内社は神への捧げものである幣帛を奉じることができたり、神田(神社の祭祀などの運営経費にあてる領田=寺社領のこと)が与えられたりと言った優遇措置が取られました。
そして、式内社とされていない神社は、式外社といい、神社として国から認められていませんでした。
官幣社・国幣社
また式内社には、「官幣社」・「国幣社」の区分けがありました。
官幣社とは朝廷が運営する神社で、国幣社とは朝廷から地方に派遣された国司が運営する神社でした。
大社と小社
官幣社・国幣社は、それぞれ大社と小社に分けられていました。
官幣による大社は198社、小社は375社、国幣による大社は155社、小社は2133社でした。
そして、この官幣大社・国幣大社それぞれのうち重要とされた神社を、名神大社として224社指定しました。
二十二社
平安時代の後期になると、律令制の衰退とともに式内社の意味も薄らいでいくようになり、朝廷により近い22社を選び幣帛を奉るようになっていきました。
それにより、朝廷の力が及ぶ近畿地方の神社のうち22社を、特別な神社として指定しました。
そしてそれを、上七社・中七社・下八社として、三つに分け指定しました。
・石清水~石清水八幡宮
・賀茂~賀茂別雷神社・賀茂御祖神社(下鴨神社)
・松尾~松尾大社
・平埜~平野神社
・稲荷~伏見稲荷大社
・春日~春日大社
・大神~大神神社
・石上~石上神宮
・龍田~龍田大社
・住吉~住吉大社
・梅宮~梅宮大社
・吉田~吉田神社
・廣田~廣田神社
・祇園~八坂神社
・北野~北野天満宮
・丹生~丹生川上神社(中社)・丹生川上神社上社・丹生川上神社下社
・貴布禰~貴船神社
この二十二社とともに、地方では格式の高い順に一宮・二宮・三宮という呼び名に変わっていくことになりました。
近代の社格制度
明治政府は、新しい国造りの基本として「王政復古」を掲げました。
つまり、それまで朝廷と実際に国を支配する武家による幕府という二重構造をやめ、再び王(天皇)による政を行う国造りを目指したのです。
そのために必要なことは、神道による祭祀の儀式のトップであった天皇をこの国の王にするからには、神道もまた国の宗教、つまり国家宗教にすることでした。
そして、この方針のもと新たに規定されたのが、近代の社格制度でした。
まず伊勢神宮は、「全ての神社の上にあり、社格のない特別な存在」だとして、この社格制度には含みませんでした。
その他の基本は、平安時代の延喜式を踏襲しました。
ただ詳細は延喜式より細分化されました。
延喜式で認められていた官幣社と国幣社をまとめて「官社」とし、その内訳は「官幣(大社・中社・小社)」・「国幣(大社・中社・小社)」・「別格官幣社」としました。
「別格官幣社」とは、国家に功績を挙げた忠臣や、国家のために亡くなった武将・志士・兵士などを祭神として祀る神社のことを指し、27社が登録されました。
・小御門神社
・福井神社
・唐沢山神社(唐澤山神社)
・湊川神社
・霊山神社
・藤島神社
・談山神社
・日光東照宮
・豊国神社
・護王神社
・久能山東照宮
・名和神社
・梨木神社
・常磐神社
・阿部野神社
・上杉神社
・豊榮神社
・結城神社
・北畠神社
・尾山神社
・佐嘉神社
・山内神社
・菊池神社
・四條畷神社
・照国神社
・建勲神社
そして、その他の神社を「諸社(民社)」として、府社・県社・郷社・村社・無格社に分けました。
官社と諸社の違いは、前者が国から幣帛を受けるのに対して。後者は地方の行政機関から幣帛を受けることになったことでした。
ただし無格社は、幣帛を受けることはありませんでした。
この無格社は、全国に6万社ほどあったとされます。
社格制度の消滅
この社格制度が廃止されたのは、第二次世界大戦後日本を実効支配したGHQによる「神道指令」です。
これにより今まで国の保護家にあった神社は、国からの保護がなくなりました。
その後、民間団体として「神社本庁」という宗教法人ができ、ほとんどの神社はここに加盟することとなりました。
現在神社本庁は、各都道府県に神社庁を置き、全国に8万社ほどあるとされる神社のうち7万9千社ほどを包括しています。
ただ近年、年月が立つうちにその組織のあり方自体が、問題視されてくるようになりました。
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