【神社にある不思議な存在】鳥居・手水舎・摂末社・狛犬・拝殿・本殿

けがれはらうためのみそぎ

古くから、儀式や祭祀さいしのために神と対面する前には、神社のそばにある川や海で身体を洗うあるいは滝に打たれるといったけがれをはらうためのみそぎを行わなくてはならないとされていました。

しかし中世以降、一般庶民も日常生活の中で神社に参拝するようになり、神と対面する人々が増えたため、この考えが形式化し簡略化していきました。

こうしたことから、簡易的なみそぎの場所として手水舎ちょうずしゃが建てられました。

手水舎ちょうずしゃは、必ず拝殿の手前にあります。

それは、神と対面する前に拝殿に向かう前に、ここに立ち寄り「けがれをはらうためのみぞぎを行う」ということなのです。

手水舎ちょうずしゃでのみぞぎの仕方は決められています。

手水舎ちょうずしゃでの作法
1.右手に柄杓ひしゃくを持って水をすくい左手を清めます。
2.次に柄杓ひしゃくを左手に持ち替え右手を清めます。
3.その後右手に持ち替え左手で水を受け口をすすぎます。
4.一連の動作は、最初にすくった一杯の水で行います。

摂末社せつまつしゃ

本殿とは、別の神様がまつられているやしろのことです。

摂社せっしゃ末社まつしゃとがあり、それを合わせて摂末社せつまつしゃといいます。

そして、境内に立つ境内摂社けいだいせっしゃ・境内末社(境内社)と、境外に立つ境外摂社けいがいせっしゃ・境外末社(境外社)とがあります。

また、本殿>摂社>末社といった格式の違いがあります。

摂社せっしゃ

いろいろな理由により、本殿にまつることができない神様が、ここにまつられています。

地主神じぬしのかみまつやしろ

  

本来、その土地にまつられていた神様のためのやしろです。

地主神じぬしのかみといわれるこの神は、神道よりずっと古くから集落の一族を守る氏神様や屋敷神様でした。

しかし、神道の神をまつる本殿が建立こんりゅうされたことで、摂社せっしゃまつられるようになったのでした。

そのため、神道がおこったあとに建立こんりゅうされた神社にはありません。

列島各地の集落の人々は、大和王権に支配されたとはいえいにしえからまつってきた神をいきなり否定するようなことはできなかったのでした。

そこで、彼らの信仰する神々をまつるための摂社せっしゃを建立したのです。

そのため全国各地の神社には、こうした地主神じぬしのかみのための摂社せっしゃが今も残っています。

系譜が連なる神々のやしろ

日本神話に登場する神々にも、人間と同じように親や兄弟がいます。

そこで、それらの神々もまつることで、神道という宗教を全国に浸透させようとしました。

そして神社側もその社格を高めるために、本殿にまつられている神様の親族をまつるための社が、摂社として建立されていったのでした。

そのため、摂社を持つ神社は、全国に多くあります。

荒魂あらたままつやしろ

神の霊魂の一面とされる荒魂あらたままつやしろもあります。

この概念が、いつ頃できたのかはわかりませんが、神道という宗教ができた頃にはすでにありました。

これは、神様には「荒魂あらたま」と「和霊にぎたま」という二面性があり、その両方をまつることで神を支えることができるという考え方でした。

荒魂あらたまは、その名の通り荒ぶる魂のことで、時には天災を起こし被害を及ぼしますが、他方新しい物事や物質を生み出す力も持つという利益も与えてくれるとされていました。

一方和霊にぎたまは、平和で優しい魂のことで、幸魂さちたま(収穫を与えてくれる)と奇魂くしたま(学問・知識・才能を与えてくれる)とがあります。

このため、本殿には和霊にぎたまとして、摂社には荒魂あらたまとしてまつられている神社も少なくありません。

末社まつしゃ

本殿の神様とは特に深い関係がない神様がまつられているやしろです。

いわゆる、その神社にとってのお客様としての神様です。

これは、有名神社(伊勢・春日・日吉・加茂等)の神様を分祀ぶんし(もとの神社でまつられている神様を、別の神社でまつること)していただいたものです。

古来から流行神はやりがみとして、ある土地で急激に人気が出て参拝者が増えた神様を、分祀していただくということがありました。

これには、有名な神様もまつられているということで、参拝者を増やそうという意図がありました。

例えば、大化の改新直前の常世神とこよのかみ・平将門の乱の頃の志多羅神しだらがみ・江戸時代のお伊勢参りの大流行によりできたお伊勢さまなどが「流行神」として、全国の神社で分祀ぶんしされたりしたのでした。

また末社という言葉は、江戸時代頃には大神だいじん(大尽)を取り巻くとして幇間ほうかん太鼓持たいこもち)の比喩ひゆ表現に使われたりもしました。

こま

神社に入っていくと、参道あるいは拝殿の両側にこま犬と呼ばれる建造物が建っています。

しかしこのこま犬、そもそもは犬ではなく獅子しし(ライオン)でした。

はるか昔、エジプト文明で王家を守る聖獣となっていた獅子像が、やがて中近東から東アジアに伝わり、その後5千年の時を経て日本に渡来したのです。

奈良時代頃渡来したこま犬は、当初は小さな木製の飾り物でした。

そして、高麗こま犬(朝鮮半島から伝わったから)・拒魔こま犬(魔除けのためのもの)などと呼ばれていました。

当初は聖獣として天皇家を守護する目的で献上され、天皇の個室に置かれていました。

それが江戸時代頃になると、一般の神社にも広まり今のように全国の神社に置かれるようになっていったのです。

そして、外来の獣という意味のこまの字が当てられ、こまとなったのです。

また2体のそれぞれの口の形が違うのは、仏教の仁王像に影響を受けたもので、口を開けた形がで閉じた形がうんとされるのは、仏教の阿吽あうん像と同じです。

ただその後、神社を守る聖獣として置かれた狛犬は、時代が下るにつれだんだんマスコット化していきます。

それは日本人の持つおおらかな気質としてか、神社とセットになった愛玩犬のように感じられたということなのでしょう。

例えば、長崎県対馬市豆酘つつにある多久頭魂たくずだま神社にある狛犬は、口を開けたものがオス、閉じたものがメスだとしてその性器が彫り込まれていたり、京都の菅大臣かんだいじん神社の狛犬は、猫のように手招きをしていたりします。

また当時は神仏を区別していなかったため、奈良東大寺の南大門のように寺院に設置されている例もあります。

ただ一方、全国の神社の総本宮である伊勢神宮には、何故か狛犬はいません。

これは、あるいはすでに神の使いとして八咫烏やたがらすがおりましたので、新たに取り入れる必要もなかっのではないかともいわれています。

拝殿

参拝する人がお参りするのは、拝殿と呼ばれる建物です。

お祈りをするための建物である拝殿は、大きく立派なことが多く、そのため拝殿を本殿だと勘違いしそうです

しかし大抵の場合、本殿は拝殿の奥にあります。

本来、神社には本殿しかありませんでした。

しかし、時代が進み一般庶民でも参拝できるようになったことから、拝殿が建てられたのです。

古くからある伊勢神宮・春日大社・宇佐神宮・松尾大社などでは、今でも拝殿はありません。

なぜなら、本来神社自体が神事の儀式以外では立ち入ってはならない場所だったからです。

そのため、かつては幣殿(神職が神事を行う場所)しかなかった神社もありました。

特に天皇家の皇祖をまつるとされる伊勢神宮の場合は、賽銭さいせん箱もありません。

それは、伊勢の正宮にまつられている天照大御神あまてらすおおみかみ供物くもつを捧げることができるのは、その子孫である天皇家だけだからです。

ただ近年正月の初詣に限り、伊勢神宮でも臨時の賽銭箱が置かれるようになりました。

本来神に捧げる供物くもつは穀物でした。

しかし、生活文化が向上していくに連れ、野菜や魚など季節ごとの収穫物が収められるようになりました。

その後貨幣経済が発達し、供物の代わりにお金を納める様になっていきました。

そしてこの頃から、神社は神職が行う神事だけの場所ではなくなっていきます。

人々は普段の暮らしの中でも神社に出向き、厄を払う意味でお賽銭を捧げお参りをするようになっていったのです。

そうしたことから賽銭さいせん箱も置かれるようになっていきました。

こうして神社は一般庶民にも親しみのあるものになっていったのです。

こうしたことから、神社に関係のない一般庶民も参拝できるようにと整備されていったのが、拝殿という建物なのです。

本殿

本殿は、御神体がまつられている建物です。

「御神体」がある本殿には、通常一般の人は立ち入ることは許されず(一部の神社では、一般にも開放されていますが)、神職のみ神事の際だけ立ち入ることが許されています。

ただ、「御神体」といっても神の体という意味ではなく、またそこに神が閉じ込められているわけでもありません。

「御神体」とは、神にその物体に降りていただくための依代よりしろと呼ばれる、神事で儀式を行う際の対象物なのです。

そのため、御神体のことを神の座とも言います。

また、御霊代みたましろ御正体みしょうたいとも呼ばれています。

いにしえの昔には、御神体は山そのものであったり巨岩・大木などでした。

その後、鏡・剣・玉(勾玉まがたま)・ほこ御幣ごへい(白・金・銀または五色の紙を段々に切り、竹や木の幣串へいぐしにはさんだもの)・影像えいぞう(絵画や彫刻に表した像)などに変わっていきました。

江戸時代までは神仏習合という状態で、神道と仏教は区別されていなかったため、御神体が仏・菩薩・沙門などの像である神社もありました。

変わったところでは、かま・枕・鈴・しゃくなどをご神体とする神社もありました。

しかし、明治時代に国が発布した神仏分離令により、これ以降は、御幣ごへいを御神体とする神社が増えていきました。

天皇家の御神体といえば三種の神器ですが、これらは秘匿中の秘匿とされ現在でも皇室と宮内庁の一部のものしかその存在を知らされてはいません。

ただ、草薙くさなぎつるぎは熱田神宮に、八咫鏡やたのかがみは伊勢神宮に、八尺瓊勾玉やさかにのまがたまは皇居の一室にあるとされているのみです。

これと同様に、地方の神社でもご神体は見ることは許されてはいません。

そして、「その本殿に強引に上がり込み御神体を暴いたものは、必ず非業の死を遂げる」という伝説も、日本各地に数多く残っているのです。

それは、この列島の原初からある信仰から来る、「神はおそれ多いものであり、れることはさわることに繋がる」という伝承ともつながっているのです。

神社という存在

第二次世界大戦後、GHQによって廃絶に追い込まれた神道でしたが、日本人の猛烈な反発により残ることになった神社は、いまでも日本人の心の拠り所として親しまれています。

しかし、神社にも幾多の遍歴があり今に至っているのです。

最近、若者の間で神社が見直され取り上げられていますが、それと同時にマナーのない人々も増えて来ていることは心痛の至りです。

流行りすたりなどにより間違った情報に惑わされずに、今一度いにしえの人々の心と真摯しんしに向き合ってみることも、日本人として必要なことなのかもしれません。

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Posted by 風社