【古事記】(原文・読み下し文・現代語訳)中巻・その壱

然後將擊登美毘古之時歌曰
美都美都斯 久米能古良賀 阿波布爾波 賀美良比登母登 曾泥賀母登 曾泥米都那藝弖 宇知弖志夜麻牟 
又歌曰
美都美都斯 久米能古良賀 加岐母登爾 宇惠志波士加美 久知比比久 和禮波和須禮志 宇知弖斯夜麻牟
又歌曰
加牟加是能 伊勢能宇美能 意斐志爾 波比母登富呂布 志多陀美能 伊波比母登富理 宇知弖志夜麻牟
又擊兄師木弟師木之時御軍暫疲 爾歌曰
多多那米弖 伊那佐能夜麻能 許能麻用母 伊由岐麻毛良比 多多加閇婆 和禮波夜惠奴 志麻都登理 宇/上/加比賀登母 伊麻須氣爾許泥

(しか)(のち)(まさ)登美毘古(とみひこ)撃たむ(の)(みうたよみ)たまひて(いは)

美都美都斯(みつみつし) 久米能古良賀(くめのこらが) 阿波布爾波(あはふには) 賀美良比登母登(かみらひともと) 曾泥賀母登(そのがもと) 曾泥米都那藝弖(そねめつなぎて) 宇知弖志夜麻牟(うちてしやまむ)

(みうたよみ)たまひて(いは)

美都美都斯(みつみつし) 久米能古良賀(くめのこらが) 加岐母登爾(かきもとに) 宇惠志波士加美(うえしはじかみ) 久知比比久くちびひく 和禮波和須禮志(われはわすれじ) 宇知弖斯夜麻牟(うちてしやまむ)

(みうたよみ)たまひて(いは)

加牟加是能(かむかぜの) 伊勢能宇美能(いせのうみの) 意斐志爾(おひしに) 波比母登富呂布(いはひもとほる) 志多陀美能(しただみの) 伊波比母登富理(いはひもとほり) 宇知弖志夜麻牟(うちてしやまむ)

兄師木(えしき)撃ち弟師木(おとしき)(の)御軍(みいくさ)(しまし)く疲れ(ここに)(みうたよみ)たまひて(いは)

多多那米弖(たたなめて) 伊那佐能(いなさの)夜麻能(やまの) 許能麻用母(このまゆも) 伊由岐(いゆき)麻毛良比(まもらひ) 多多加閇婆(たたかへば) 和禮波(われは)夜惠奴(やえぬ) 志麻都登理(しまつとり) /上/加比賀登母(かひがとも) 伊麻須氣爾(いますけに)許泥(こね)

この後、登美毘古とみひこ(長髄ながすねむらおさ)を撃とうとした時、歌をみました。

みつみつし 久米の子粟生あはふには 香韮かみら一本ひともと そのもとつなぎて 撃ちてし止まむ

威勢のよい 久米の人々の あわ畑には 香るにらが一本 もとに 根に芽を接ぐように 撃つまで戦おうぞ

 

また、歌をみました。

みつみつし 久米の子垣下かきもとに 植えし山椒はじかみ 口ひひく 我は忘れじ 撃ちてし止まむ

威勢のよい 久米の人々の 垣の下に 植えた山椒さんしょうは口に辛く その辛さを忘れるものか 撃つまで戦おうぞ

また、歌をみました。

神風かむかぜの 伊勢の海の おひしに いもとほ細螺しただみの いもとほり 撃ちてし止まむ

神風の吹く 伊勢の海の 大石に 這い廻っている 巻貝のように 這い廻って 撃つまで戦おうぞ

 

そして、兄師木えしきを撃ち破った時、弟師木おとしきの兵士たちは少し疲れました。

そこで、歌を詠まれました。

 

たためて 伊那佐いなさの山のゆも いき守らひ 戦へば われはやぬ 嶋つ鳥 鵜飼うかいともけに

盾を並べて 伊那佐の山の 木々を抜けて戦ってきて 私は飢えている 鵜飼の友よ 助けに来てほしい

故爾邇藝速日命參赴 白於天神御子 聞天神御子天降坐故追參降來 卽獻天津瑞以仕奉也 故邇藝速日命 娶登美毘古之妹登美夜毘賣 生子宇摩志麻遲命【此者物部連穗積臣婇臣祖也】故如此言向平和荒夫琉神等【夫琉二字以音】退撥不伏人等而 坐畝火之白檮原宮治天下也

(かれ)(その)邇芸速日命(にぎはやひのみこと)(まい)(おもぶ)(おいて)天神(あまつかみ)御子(みこ)(まを)さく天神(あまつかみ)御子(みこ)天降(あまくだ)らし(ま)すと聞きし(ゆえ)追ひ(まい)(くだ)(き)(すなは)天津瑞(あまつしるし)(たてまつ)りて(もち)(つか)(まつ)らむ(や)(かれ)邇芸速日命(にぎはやひのみこと)登美毘古(とみびこ)(の)(いも)登美夜毘売(とみやびめ)(めあは)せ子宇摩志麻遅命(うましまぢのみこと)生まむ【此者(こは)物部(もののべ)(むらじ)穂積(ほづみ)(おみ)(うねめ)(おみ)(おや)(なり)(かれ)如此(このごと)荒夫琉(あらふる)(ら)【夫琉二字(ふたもじ)(こえ)(もち)てす】言向(ことむ)平和(やは)して不伏(ふさざる)(ら)退(しりぞ)(はら)(しかるに)畝火(うねび)(の)白檮原(かしはら)(みや)(ま)天下(あめのした)(をさ)(なり)

さて、ここで邇芸速日命にぎはやひのみことおもむき参上し、天神あまつかみ御子みこに申し上げました。

天神あまつかみ御子みこ天降あまくだりされたとお聞きし、追って降りて参りました。天津瑞あまつしるし(皇位の象徴=十種とくさ神宝かんだから・三種の神器)を献上しお仕えいたします。」

この邇芸速日命にぎはやひのみことは、登美毘古とみびこの妹登美夜毘売とみやびめめとって、子に宇摩志麻遅命うましまじのみことが生まれています。

(この邇芸速日命にぎはやひのみことは、物部もののべむらじ穂積ほずみおみうねめおみの先祖です。)

こののち、このような荒ぶる神たちに言い聞かせ服従させ、服従しない者どもは退け打ち払いました。

そうして、畝傍うねび橿原かしはらみやにおありになって、天下を治めたのです。

故坐日向時娶阿多之小椅君妹名阿比良比賣【自阿以下五字以音】生子 多藝志美美命次岐須美美命 二柱坐也 然更求爲大后之美人時大久米命曰
此間有媛女是謂神御子 其所以謂神御子者 三嶋湟咋之女名勢夜陀多良比賣 其容姿麗美 故美和之大物主神見感而其美人爲大便之時 化丹塗矢自其爲大便之溝流下 突其美人之富登【此二字以音下效此】爾其美人驚而立走伊須須岐伎【此五字以音】乃將來其矢置於床邊忽成麗壯夫 卽娶其美人生子 名謂富登多多良伊須須岐比賣命亦名謂比賣多多良伊須氣余理比賣【是者惡其富登云事後改名者也】故是以謂神御子也

(かれ)日向(ひむか)(ま)し時阿多之小椅(あたのおばし)(きみ)(いも)阿比良比売(あひらひめ)(めあは)し【阿(よ)以下(しもつかた)五字(いつもじ)(こ)(もち)てす】生まれし子多芸志美美(たきしみみ)(みこと)次に岐須美美(きすみみ)(みこと)二柱(ふたはしら)(いま)しき(なり)(しか)して(さら)大后(おほきさき)(な)さむ(の)美人(おみな)求め時に大久米(おほくめ)(みこと)(まを)(こ)(ま)媛女(をとめ)有り(これ)神の御子(みこ)(い)(そ)神の御子(みこ)所以謂(もちていはゆる)(は)三嶋湟咋(みしまのみぞくひ)(の)(むすめ)勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)(なづ)(そ)容姿(すがたかたち)麗美(いとくはし)(かれ)美和(みわ)(の)大物主(おほものぬし)の神(み)(かな)ひて(しかるに)(そ)美人(をみな)大便(くそ)(せ)(の)丹塗矢(にぬりや)(な)(そ)大便(くそ)(せ)(の)(みぞ)(ゆ)流れ(お)(そ)美人(をみな)(の)富登(ほと)突きて【(こ)二字(ふたもじ)(こえ)(もち)てす(しも)(これ)(なら)ふ】(ここ)(そ)美人(をみな)(おどろ)きて(しかるに)立ち(ばし)伊須須岐伎(いすすきき)(こ)五字(いつもじ)(こえ)(もち)てす】(すなは)(まさ)(こ)(そ)(おいて)床辺(とこへ)(お)からむとし(たちまち)(うるはし)壮夫(をとこ)と成りぬ(すなは)(そ)美人(をみな)(めあは)し生まれし子の名富登多多良伊須須岐比売命(ほとたたらいすすきひめのみこと)(い)(また)名づく比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)(い)ふ【是者(こは)(そ)富登(ほと)(い)ふ事(あ)(のち)名を改むれ(ば)(や)(かれ)是以(こもち)て神の御子(みこ)(い)(なり)

これ以前、日向ひむかにいらっしゃった時、阿多あた小椅おばしの君の妹、名は阿比良比売あひらひめめとり、生まれた御子に多芸志美美命たきしみみのみこと、次に岐須美美命きすみみのみことの二柱がいらっしゃいました。

しかし、更に美人を求め正妃にしようとしておられました。

ある時、大久米命おおくめのみことが申し上げました。

「この間、乙女がおりました。それが神の御子と言っております。神の御子だと言う理由はこうです。

三嶋湟咋みしまのみぞくいの娘がおりまして、名を勢夜陀多良比売せやだたらひめと言います。それは容姿端麗ようしたんれいでございましたので三輪みわ大物主おおものぬしの神が見てびびっと感じました。ですのでその美人が大便をしていた時に、丹塗矢にぬりやに化けその大便をする溝を流れ下り、その美人の富登ほと(陰部)を突きました。するとその美人は、驚き走り回りあたふたしました。そしてやって来た矢は、床の辺りに置かれました。するとたちまうるわしく立派な男と化したのです。そしてその美人をめとり生まれた子が、名を富登多多良伊須須岐比売命ほとたたらいすすきひめのみことと申し、またの名を比売多多良伊須気余理比売ひめたたらいすけよりひめと申すのです。』

【これはその名の「ほと」という部分が悪いので、後に名を改めたのでございます。】

そうした事により、神の御子みこだと申しておりました。」

於是七媛女遊行於高佐士野【佐士二字以音】伊須氣余理比賣在其中 爾大久米命見其伊須氣余理比賣而 以歌白於天皇曰 夜麻登能 多加佐士怒袁 那那由久 袁登賣杼母 多禮袁志摩加牟 爾伊須氣余理比賣者 立其媛女等之前 乃天皇見其媛女等而 御心知伊須氣余理比賣立於最前 以歌答曰 加都賀都母 伊夜佐岐陀弖流 延袁斯麻加牟

於是(こにおいて)(なな)媛女(をとめ)(おいて)高佐士野(たかさじの)【佐士二字(ふたもじ)(こえ)(もち)てす】遊び行き伊須気余理比売(いすきよりひめ)(そ)の中に(あ)(かれ)大久米命(おほくめのみこと)(そ)伊須気余理比売(いすきよりひめ)(しかるに)(もち)(おいて)天皇に(まを)さき(いは)
夜麻登能(やまとの) 多加佐士怒袁(たかさじのを) 那那由久(ななゆく) 袁登賣杼母(をとめども) 多禮袁志摩加牟(たれをしまかむ)
(かれ)伊須気余理比売(いすきよりひめ)(は)(そ)媛女(をとめ)(ら)(の)(さき)立てり(すなは)天皇(すめらみこと)(そ)媛女(をとめ)(ら)見て(しかるに)御心(みこころ)伊須気余理比売(いすきよりひめ)(おいて)(もとも)(さき)立てるを知り歌(もち)(こた)(たまは)
加都賀都母(かつがつも) 伊夜佐岐陀弖流(いやさきだてる) 延袁斯麻加牟(えをしまかむ)

それから後、七人の乙女が高佐士野たかさじのという所で遊んでおりまして、伊須気余理比売いすきよりひめがその中にありました。

そして、大久米命おおくめのみことがその伊須気余理比売いすきよりひめを見て、歌によって天皇に申し上げました。

大和やまとの 高佐士野たかさじのなな行く 乙女ども 誰をし枕かむ

大和国の、高佐士野を七人行く乙女のうち、誰と枕を共にされますか。

すると、伊須気余理比売いすきよりひめはその乙女らの前に立ち、 天皇はその乙女らを見て、御心に伊須気余理比売いすきよりひめが最前に立った意味を感じ取り、み歌をもって答えなされました。

かつがつも いやさき立てるをし枕かむ

さしあたって、前に立っている年長の者と枕しようか。

爾大久米命以天皇之命詔 其伊須氣余理比賣之時 見其大久米命黥利目 而思奇歌曰
阿米都都 知杼理麻斯登登 那杼佐祁流斗米
爾大久米命答歌曰
袁登賣爾 多陀爾阿波牟登 和加佐祁流斗米
故其孃子白之仕奉也

(かれ)大久米命(おおくめのみこと)天皇(すめらみこと)(の)(みこと)(もち)(そ)伊須気余理比売(いすけよりひめ)(め)しし(の)(そ)大久米命(おおくめのみこと)(さ)くる利目(とめ)を見(しかるに)(あやし)と思ひ歌曰(うたはく)
阿米都都(あめつつ) 知杼理麻斯登登(ちどりましとと) 那杼佐祁流斗米(などさけるとめ)
(かれ)大久米命(おおくめのみこと)答へ歌曰(うたはく)
袁登賣爾(をとめに) 多陀爾阿波牟登(ただにあはむと) 和加佐祁流斗米(わがさけるとめ)
(かれ)(そ)嬢子(むすめ)(まを)さく(これ)(つか)(まつ)らむ(なり)

その後、大久米命は天皇のめいに従い、その伊須気余理比売いすけよりひめを召した時、 伊須気余理比売いすけよりひめは大久米命のげい(いれずみ)した鋭い目を見て、怪しく思い歌いました。

胡鷰子あめ鶺鴒つつ 千鳥ちどりしとと 何故などける利目とめ

胡鷰子あめつばめ 鶺鴒せきれい 千鳥ちどりあら頬白ほおじろかしら どうしてそんないれずみした鋭い目なの?

 

それに、大久米命は返歌しました。

 

乙女おとめただに逢はむと げいける利目とめ

あなたのような乙女と会おうとして、こんないれずみの鋭い目なのですよ。

このようにして、その令嬢は「お仕え致しますわ。」と申し上げました。

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Posted by 風社