【古事記】(原文・読み下し文・現代語訳)中巻・その壱

故隨其教覺從其八咫烏之後幸行者到吉野河之河尻時作筌有取魚人爾天神御子問汝者誰也答曰僕者國神名謂贄持之子【此者阿陀之鵜飼之祖】從其地幸行者生尾人自井出來其井有光爾問汝誰也答曰僕者國神名謂井氷鹿【此者吉野首等祖也】卽入其山之亦遇生尾人此人押分巖而出來爾問汝者誰也答曰僕者國神名謂石押分之子今聞天神御子幸行故參向耳【此者吉野國巢之祖】自其地蹈穿越幸宇陀故曰宇陀之穿也

(かれ)(そ)(をし)への(おぼえ)(まにま)(そ)八咫烏(やたがらす)(の)(しりへ)(したが)ひて幸行(いでま)(ば)吉野河(よしのかは)(の)河尻(かはじり)に到りし時(うへ)作り取魚(すなどり)す人有り(ここに)天神御子(あまつかみのみこ)問ふ汝者誰也(いましはたそ)答へ(まを)さく(やつかれ)(は)国神(くにつかみ)名を贄持之子(にへもちのこ)(い)ふ【此者(こは)阿陀之(あたの)鵜飼(うかひ)(の)(みおや)(そ)(ところ)(ゆ)幸行(いでませ)(ば)生尾(をはゆる)(い)(よ)出来(いでき)(そ)(い)(ひかり)有り(ここに)汝誰也(いましはたそ)問はし答へ(まを)さく(やつかれ)(は)国神(くにつかみ)名を井氷鹿(いひか)(い)ふ【此者(こは)吉野(よしの)(おびと)(ら)(みおや)(なり)(すなは)(そ)の山に(い)りて(ここ)(また)生尾(をはゆる)人に(あ)(こ)の人(いはほ)を押し分け(しかるに)出来(いでき)(ここに)汝誰也(いましはたそ)と問ひ答へ(まを)さく(やつかれ)(は)国神(くにつかみ)名を石押分之子(いはほおしわくのこ)(い)ふ今天神御子(あまつかみのみこ)幸行(いでましき)と聞こし(ゆえ)参向(まひむか)ひし(のみ)此者(こは)吉野の国巣(くにす)(の)(みおや)(そ)(ところ)(よ)踏穿越(ふみうかちこえ)宇陀(うだ)(いでま)(ゆえ)宇陀(うだ)(の)穿(うがち)とや(まを)(なり)

そして、その教えられた記憶の通りに、八咫烏やたがらすの後について行かれ、吉野川の上流に到着した時、筌簗うけやなを作って魚を取っている人がありました。

天神御子あまつかみのみこは「そなたは誰か。」と尋ねられ、こうお答え申し上げました。

「私は国つ神にて、名を贄持之子にえもちのこ(海人族)と申します。」

【この者は、阿陀あた(今の奈良県五條市の阿田地区の古称)の鵜飼の始祖しそ(先祖の始め)です】

そこからさらに行かれますと、尾が生えたような人(毛皮を着た人)が井(川岸の井形)より出て来ました。

その井には光(鉱物が放つ光)がありました。

そこで「そなたは誰か。」尋ねられ、こうお答え申し上げました。

「私は国つ神にて、名を井氷鹿いひか(伊比加比いひかひ族)と申します。」

【この者は、吉野のおびと(統率者)らの始祖しそです】

続けて山に入ると、また尾が生えたような人(毛皮を着た人)に会い、この人は岩の間から出て来ました。

そこで「そなたは誰か」と尋ねられ、こうお答え申し上げました。

「私は国つ神にて、名を石押分之子いわおおしわくのこと申します。今天神御子あまつかみのみこがいらっしゃるとお聞きしたので参上したのでございます。」

【この者は吉野の国巣くにす(国栖くず族)の始祖しそです】
その地から 山越えをして宇陀うだに到着しましたので、ここを宇陀うた穿うがち(周囲を山稜に囲まれた地)と申すのです。

故爾於宇陀有兄宇迦斯【自宇以下三字以音下效此也】弟宇迦斯二人故先遣八咫烏問二人曰 今天神御子幸行汝等仕奉乎 於是兄宇迦斯以鳴鏑待射返其使 故其鳴鏑所落之地謂訶夫羅前也 將待擊云而聚軍 然不得聚軍者欺陽仕奉而 作大殿於其殿內作押機待 時弟宇迦斯先參向拜曰 僕兄兄宇迦斯射返天神御子之使 將爲待攻而聚軍 不得聚者作殿其內張押機將待取 故參向顯白

故爾於(そゆえにおいて)宇陀(うた)(え)宇迦斯(うかし)【宇(よ)以下(しもつかたもちて)三字(みもじ)(こえ)もちてす(しもつかた)(こ)(なら)(なり)(おと)宇迦斯(うかし)二人(ふたひと)有り(かれ)(さき)(つか)はし八咫烏(やたがらす)二人(ふたひと)に問ひて(いは)く今天神御子(あまつかみのみこ)幸行(いでま)しき(いまし)(ら)仕奉乎(つかへまつらむや)於是(こにおいて)兄宇迦斯(えうかし)鳴鏑(かぶらや)(もち)て待ち(そ)の使ひに射返(いかへ)(かれ)(そ)鳴鏑(かぶらや)(ところ)(お)(の)(ところ)訶夫羅前(かぶらさき)(い)(なり)(まさ)待ち撃たむと(い)(しかるに)(いくさ)(あつ)めむ(しか)るに(いくさ)不得聚(えあつめざ)(ば)(あざむ)(いつは)りて仕奉(つかへまつ)(しかるに)大殿(おほとの)作り於(そ)殿内(とののうち)押機(おしはた)作りて待ちく時に弟宇迦斯(おとうかし)先に参向(まいむか)(をろが)(まを)さく僕兄(わいろせ)兄宇迦斯(えうかし)天神御子(あまつかみのみこ)(の)使(つかひ)射返(いかへ)(まさ)待ち攻めむと(し)(しかるに)(いくさ)(あつ)不得聚(えあつめざ)(ば)殿(との)作り(そ)の内に押機(おしはた)張りて(まさ)待ちて取らむとす(かれ)参向(まいむか)ひて(あらは)(まを)しき

さて、宇陀うた宇迦斯うかしの兄と、宇迦斯うかしの弟の二人が有りました。

そこで先につかわした八咫烏やたがらすが二人に聞きました。

「これから、天神あまつかみ御子みこ幸行いでます。そなたらはお仕え申すか。」

ところが、宇迦斯うかしの兄は鏑矢かぶらやを持って待ち構え、使者に射返いかえしました。
このことによって、その鏑矢かぶらやが落ちた地は、訶夫羅前かぶらさきといいます。
宇迦斯うかしの兄は、待ち構えて撃ってやろうと言い、軍勢を集めようとしましたが集められないので、お仕えしようとあざむいつわろうと宮殿を作り、その殿内にわなの仕掛けを作って待ちました。
その時、宇迦斯うかしの弟が先に向い参り拝謁はいえつし、こう申し上げました。
「わたしの兄、宇迦斯うかしの兄は天神あまつかみ御子みこの使者に対して射返しました。そして待ち構えて攻めようと軍勢を集めたのですが、 集められなかったので宮殿を作り、その内部に罠を仕掛け待ち構えて討ち取ろうとしています。よって向かい参り洗いざらい申し上げます。」

爾大伴連等之祖道臣命久米直等之祖大久米命二人 召兄宇迦斯罵詈云 伊賀【此二字以音】所作仕奉於大殿內者意禮【此二字以音】先入明白其將爲仕奉之狀而 卽握横刀之手上弟由氣【此二字以音】矢刺而 追入之時乃己所作押見打而死 爾卽控出斬散故其地謂宇陀之血原也 然而其弟宇迦斯之獻大饗者悉賜其御軍 此時歌曰
宇陀能多加紀爾 志藝和那波留 和賀麻都夜 志藝波佐夜良受 伊須久波斯 久治良佐夜流 古那美賀 那許波佐婆 多知曾婆能 微能那祁久袁 許紀志斐惠泥 宇波那理賀 那許婆佐婆 伊知佐加紀 微能意富祁久袁 許紀陀斐惠泥
疊々【音引】志夜胡志夜此者伊能碁布曾【此五字以音】阿々【音引】志夜胡志夜此者嘲咲者也
故其弟宇迦斯【此者宇陀水取等之祖也】

(ここに)大伴連(おほとものむらじ)(ら)(の)(おや)道臣命(みちのおみのみこと)久米直(くめのあたひ)(ら)(の)(おや)大久米命(おほくめのみこと)二人(ふたひと)兄宇迦斯(えうかし)(よ)びて罵詈云(あしざまにい)はく(い)(が)(こ)二字(ふたもじ)(こえ)(もち)てす】(ところ)作り(つか)(まつ)らむに於(おいて)大殿(おほとの)(うち)(は)意礼(おれ)(こ)二字(ふたもじ)(こえ)(もち)てす】先に(い)りて(そ)(まさ)為仕奉之(つかへまつらむとせし)(かたち)(あきらけ)(まを)(しかるに)(すなは)横刀(たち)(の)手上(たがみ)握り由気(ゆき)(こ)二字(ふたもじ)(こえ)(もち)てす】矢(つが)(さ)(しかるに)追ひ(いり)(の)(すなは)ち己(おの)が(ところ)作りし(おし)見打(うたえ)(しかるに)死にき(これ)(すなは)控出(ひきい)で斬り散らしき(かれ)(そ)の地を宇陀之血原(うだのちはら)(い)(なり)然而(しかるがゆえに)(そ)弟宇迦斯(おとうかし)(が)大饗(おほあへ)(まつ)(ば)(ことごと)(そ)御軍(みいくさ)(たまは)(こ)の時(みうたよみ)たまひて(いは)
宇陀能(うだの)多加紀爾(たかきに) 志藝和那(しぎわな)波留はる 和賀(わが)麻都夜(まつや) 志藝波(しぎは)佐夜良受(さやらず) 伊須久(いすく)波斯(はし) 久治良(くぢら)佐夜流さやる 古那美賀こなみが 那許(なこ)波佐婆(はさば) 多知(たち)曾婆能(そばの) 微能みの那祁久袁(なけくを) 許紀志こきし斐惠泥ひえね 宇波(うは)那理賀(なりが) 那許(なこ)婆佐婆(はさば) 伊知(いち)佐加紀(さかき) 微能(みの)意富祁久袁(おほきくを) 許紀陀(こきだ)斐惠泥(ひえね)
畳々(ぜゝ)音引(こえひく)志夜(しや)胡志夜(こしや) 此者(こは)伊能(いの)碁布曾(ごふぞ)(こ)五字(いつもじ)(こえ)(もち)(てす)】阿々(あゝ)音引(こえひく)志夜(しや)胡志夜(こしや) 此者(こは)嘲咲者(あざけらば)(なり)
(かれ)(そ)弟宇迦斯(おとうかし)此者(こは)宇陀(うた)水取(もひとり)(ら)(の)(みおや)(なり)

そして、大伴連おおとものむらじ始祖しそ(最初の祖先)である道臣命みちのおみのみこと久米直くめのあたい始祖しそ(最初の祖先)である大久米命おおくめのみことの二人が、宇迦斯の兄を呼び出し罵倒ばとうしました。
「お前が作りおつかえしようとしている宮殿の中なのだから、お前が先に入り、そのお仕えしようとする様を洗いざらい示せ。」
そうしてすぐに太刀のつかに手をかけ、うつぼから矢をとり弓につがえ先を向け追い入れたところ、自ら作ったわな仕掛けに打たれて死にました。
そこで引きずり出して斬り散らしたので、その地は宇陀うだ血原ちはらと申します。
こうした事があった後、宇迦斯うかしの弟が饗応きょうおう(酒や食べ物でもてなす)の席を設けて差し上げましたところ、その戦利すべてをたまわりました。
そしてこの時こんな歌をまれました。

宇陀うだの高きに しぎ罠張る 我が待つや しぎさやらず いすくはし くぢらさや先妻こなみはさば 立ち柧棱そばの実の無けくをこきしえね  後妻うはなりはさばいちさかき実の多けくをこきだえね

宇陀の山の上にシギ罠を張って我は待ったが、シギは掛からず鯨がかったよ。 先妻がおかずをねだったら、実がないのをたっぷりいてやれ。後妻がおかずをねだったら実がつまったのをたっぷりいてやれ。

ぜーしゃこしや はいのごふぞ ああしゃこしや あざけらば
にくきこしや これは威圧だぞ にくきこしや これはあざけりだぞ

にくき越や、これは威圧だぞ。にくき越や、これは嘲笑あざけわらいだぞ。

さて、その宇迦斯の弟。
これは、宇陀うだ主水もんど始祖しそです。

自其地幸行到忍坂大室之時 生尾土雲【訓云具毛】八十建在其室待伊那流【此三字以音】故爾天神御子之命以饗賜八十建 於是宛八十建設八十膳夫 毎人佩刀誨其膳夫等曰 聞歌之者一時共斬 故明將打其土雲之歌曰 意佐加能 意富牟盧夜爾 比登佐波爾 岐伊理袁理 比登佐波爾 伊理袁理登母 美都美都斯 久米能古賀 久夫都都伊 伊斯都都伊母知 宇知弖斯夜麻牟 美都美都斯 久米能古良賀 久夫都都伊 伊斯都都伊母知 伊麻宇多婆余良斯 如此歌而拔刀一時打殺也

(そ)(ところ)(よ)幸行(いでま)して忍坂(おさか)大室(おほむろ)(いた)りましし(の)生尾(をはゆる)土雲(つちぐも)(よ)具毛(ぐも)(い)ふ】の八十建(やそたける)(そ)(むろ)(あ)りて待ち伊那流(いなる)(こ)三字(みもじ)(こえ)(もち)てす】(かれ)(その)天神(あまつかみ)御子(みこ)(の)(みこと)(もち)八十建(やそたける)(あへ)(たまは)於是(こにおいて)八十建(やそたける)(あ)八十(やそ)膳夫(かしはで)(まう)(ひと)(ごと)(たち)(は)(そ)膳夫(かしはで)(ら)(をし)(のたまは)(こ)を歌ふを聞か(ば)一時(ひととき)(とも)に(き)(かれ)(まさ)(そ)土雲(つちぐも)打たむを明かしし(これ)歌に(いは)
意佐加能(おさかの) 意富牟盧夜爾(おほむろやに) 比登佐波爾(ひとさはに) 岐伊理袁理(きいりをり) 比登佐波爾(ひとさはに) 伊理袁理登母(いりをりとも) 美都美都斯(みつみつし) 久米能古賀(くめのこが) 久夫都都伊(くぶつつい) 伊斯都都伊母知(いしつついもち) 宇知弖斯夜麻牟(うちてしやまむ) 美都美都斯(みつみつし) 久米能古良賀(くめのこらが) 久夫都都伊(くぶつつい) 伊斯都都伊母知(いしつついもち) 伊麻宇多婆余良斯(いまうたはよらし)
此の歌の如くして(しかるに)(たち)抜き一時(ひととき)に打ち殺しき(なり)

その地より行かれて、忍坂おさか(今の奈良県桜井市東部・外鎌とかま山西麓)の大室おおむろ(山の斜面に穴に空いた所)に到着されたとき、尾の生えたような土雲つちぐも(土を掘って暮らす人)が八十やそ(大勢)のたける(猛る=荒々しく暴れまわる)者たちがむろ(竪穴たてあなの中)で待ちうけていました。

そこで、天神あまつかみ御子みこ命令によって、大勢のたける者たちのために饗宴きょうえんを開きました。

そして大勢の猛る者たちに、大勢の接待役をてがいました。

接待役には一人づつに刀をびさせ、指示しました。

「私の歌を聞いたら、一気に同時に斬れ。」

このとき、土雲つちぐもたちを討つ合図とした歌は、これです。

忍坂おさか大室屋おおむろやに人さはに来入りり 人さはに入りりとも みつみつし久米くめの子が 頭椎くぶつつ石椎いしつつい持ち 撃ちてしまむ みつみつし 久米くめの子頭椎くぶつつ石椎いしつつい持ち 今撃たばよら

忍坂おさかの大きな土室つちむろに多くの人が来て入ってきている いくら大勢の人が入っていても 久米の子らは 柄頭つかがしらこぶし状にふくらんだ 石のように硬い太刀を持って 今こそ撃ってやろう

 

この歌の如く太刀を抜き 一気に打ち殺しました。

人気ブログランキング

古事記

Posted by 風社