【古事記】(原文・読み下し文・現代語訳)上巻(序文)
道軼軒后德跨周王握乾符而摠六合得天統而包八荒乘二氣之正齊五行之序設神理以奬俗敷英風以弘國重加智海浩汗潭探上古心鏡煒煌明覩先代
道軒后に軼ぎ徳周王を跨へり乾符握りて而六合摠べ天統得て而八荒包り二気之正しきに乗り五行之序齊へ神しき理設け以て俗奨め英る風敷き以て国弘む重加へ智き海浩汗に潭く上古探る心鏡煒煌にて明らかに先代覩たまふ
乾符(天のお墨付きを示す吉兆の札)を握り六合(東西南北天地)を支配し、天統(天よりの血筋)を得て八荒(東・西・南・北・南東・北東・南西・北西の周辺地域=中華思想)を統治します。
二気(陰陽)において順を正して拠り所とし、五行において序を正して浄めます(世の秩序を正しく直して平安にすること)。
神による理を明らかにして人民に奨められ、すぐれた気風を知らせ国中に広げられました。
さらに加えまして、智は海のように大いに湛えられ、その深みにはるか古い歴史を探り、心は鏡のように澄みきって輝き、その明るさに賢き先人の業績を見ることができます。
編纂の経緯
於是天皇詔之朕聞諸家之所賷帝紀及本辭既違正實多加虛僞當今之時不改其失未經幾年其旨欲滅
是於天皇之詔す朕聞く諸家之帝紀及び本辞賷す所既に正実違え多きに虚偽加はる当し今の時當りて其れ失ふを不改は幾年未経其の旨欲に滅ばむ
ここに、天皇はこう詔げられました。
「朕の聞くところでは、諸家(各豪族)に伝わる帝紀(帝の系譜)、本辞(旧辞・言い伝え)はすでに真実と違ってきており、多くはうそいつわりを加えられた。」
「もし、今この時失われてしまうのを改めねば、何年も経たぬうちに本当の内容が消滅してしまうであろう。」
斯乃邦家之經緯王化之鴻基焉故惟撰錄帝紀討覈舊辭削僞定實欲流後葉時有舍人姓稗田名阿禮年是廿八爲人聰明度目誦口拂耳勒心
斯乃ち邦家之経緯王化之鴻基焉故惟ふ帝紀撰録旧辞討覈す偽を削り実を定め後葉に流えむと欲ふ時舎人姓稗田名阿礼有り年是れ二十八人聡明為し目に度り口に誦へ耳払ひ心に勒む
「これすなわち、邦家(支配下の各地の豪族)のいきさつであり、また王化(王権国家にするため)の大いなる基本である。」
「そこで、帝紀(帝の系図)を整理記録し、旧辞(旧い出来事)を調査検討しようと思う。」
「うそいつわりを削り真実を定め、後世に伝えたい。」
そこにたまたまいたのが、姓を稗田名を阿礼という仕え人でした。
年齢は28歳で、その人は聡明で、一通り目を通すだけで難読文字も難なく理解し、音訓も瞬間に判断して話し言葉に直し意味の分かる言葉で読み上げられることができました。
卽勅語阿禮令誦習帝皇日繼及先代舊辭然運移世異未行其事矣
即ち阿礼に勅し帝皇の日継及び先代旧辞誦習せ令む然るに運りは移り世は異なり未だ其の事行わざりき
そのような訳で、阿礼に勅し(命令を下し)膨大な帝紀(天皇の系図)・旧辞(先人の言い伝え)の資料をしっかり読み込み、全体像を把握しておくよう命じられました。
けれども、天皇継承などの複雑ないきさつにより混乱し、時が移り世も変わり未だそのことは行われませんでした。
元明天皇の業績
伏惟皇帝陛下得一光宅通三亭育御紫宸而德被馬蹄之所極坐玄扈而化照船頭之所逮日浮重暉雲散非烟
伏して惟ふ皇帝陛下徳一光宅し通三亭育す紫宸御し而徳馬蹄極む所被い玄扈に坐し而化船頭之逮ふ所照らす日浮かび重ね暉き雲散り煙るに非り
謹んでただ、陛下が一代で徳を国に大きく広げられ、三統(天・地・人)の徳にて民衆を養い育てられたことを、御推察申し上げます。
紫宸(北極星を指す言葉=天皇の威光)において国中を治められその徳は馬が駆けて行ける限りを覆い、玄扈(東アジア大陸の故事で伝説上の帝が座したという場所=天子の座す場所)におかれまして御風習(その威厳)は船を漕いで行ける限りを照らします。
日は浮かび輝きを増し、雲は消え霞むこともありません。
連柯幷穗之瑞史不絶書列烽重譯之貢府無空月可謂名高文命德冠天乙矣
連柯并穗之れ瑞史書すこと絶へず烽列ね訳重ぬ之に貢ぎ府空しき月無し名文命より高し徳は天乙に冠れりと謂ふ可き矣
連柯(連理木=一つの枝が他の枝と連なって木目が通じた様)并穗(嘉禾=穂がたくさんついた立派な稲)は吉祥の兆し(繁栄することの前触れ)であり、歴史書への記録は絶えることがありません。
また、国境いには烽火(のろしび)を並べ言葉の違う遠い国から貢物があり、倉が空になる月はありません。
その高名は禹王(最古の中華王朝・夏朝を創始した王)を越え、その徳は成湯(夏朝を滅ぼし殷朝を創始した湯王)を凌ぐと言ってよいほどであります。
記述方法の解説
於焉惜舊辭之誤忤正先紀之謬錯以和銅四年九月十八日詔臣安萬侶撰錄稗田阿禮所誦之勅語舊辭以獻上者謹隨詔旨
焉に於いて旧辞の誤忤惜しみ先紀の謬錯正す和銅四年九月十八日以て臣安万侶稗田阿礼所之勅語されし旧辞誦す所撰録せむ詔す以て献上するは謹みて詔旨に随ふ
そこで、旧辞、先紀の誤りや食い違いを惜しまれながら正されました。
和同四年九月十八日に至り、わたくし安万侶に稗田阿礼が先に詔された旧辞を読み上げるところを撰録(選び記録)するよう、詔(命令)されました。
このたびこれによって献上しますは、謹んで御旨(その命令)に従うところであります。
子細採摭然上古之時言意並朴敷文構句於字即難已因訓述者詞不逮心全以音連者事趣更長是以今或一句之中交用音訓或一事之內全以訓錄卽辭理叵見以注明意況易解更非注
子細に採摭す然るに上古の時言意ひ並びて朴にて文に敷き句に構ずは字に於いて即ち難し已に訓に因りて述ぶれば詞心逮へず全て音以て連ぬるは事の趣更に長し是以て今或ひは一句の中に音訓交に用ひ或ひは一事の內に全て訓録以す即ち辞理見るに叵しは注ぐを以て明らかとなし意況解くに易しは更に注ぐに非ず
なるべく、そのままを細部まで記録しようと努めました。
しかし、古い時代は全体に今では使わなくなった言葉が使われ、文章化しようとして漢字を使うことは困難です。
訓読みで記述してみましたが、うまく分かるようには表せませんでした。
かといって全文音で書き連ねれば、長くなりすぎて困ります。
このようなわけで今、ある場合は一つの区切りのなかに音読み訓読みの両方を用い、ある場合は一つの部分のうちに訓読みだけとします。
そして、言葉の理解が困難な場合は注をつけて分かるようにし、語句の解釈が容易な場合は全く注をつけないことにします。
亦於姓日下謂玖沙訶於名帶字謂多羅斯如此之類隨本不改大抵所記者自天地開闢始以訖于小治田御世
亦姓日下に於いて玖沙訶と謂ひ名帯の字に於いて多羅斯と謂ふ此之類の如く本に随ひ改め不大抵記す所天地開闢自り始めて以て小治田の御世于訖る
また、姓「日下」においては「くさか」と読み、名「帯」においては「たらし」と読みます。
これに類する場合は元のままに従い、改めないこととします。
全体として記録した範囲は、天地の開闢(世界が初めてできた時)から、小治田宮の時代(33代推古天皇の時代)までです。
故天御中主神以下日子波限建鵜草葺不合尊以前爲上卷神倭伊波禮毘古天皇以下品陀御世以前爲中卷大雀皇帝以下小治田大宮以前爲下卷幷錄三卷謹以獻上
故天御中主神以下日子波限建鵜草葺不合尊以前上巻と為し神倭伊波礼毘古天皇以下品陀の御世以前中巻と為し大雀皇帝以下小治田大宮以前下巻と為し并せて三つの卷に録し謹しみ以て献り上る
そのうち、天御中主神から日子波限建鵜草葺不合尊までを上巻とし、神倭伊波礼毘古天皇(初代神武天皇)から品陀和気命(15代応神天皇)の時代までを中巻とし、大雀皇帝(16代仁徳天皇)から小治田大宮(33代推古天皇)までを下巻としました。
合わせて三巻に収録し、謹んで献上いたします。
臣安萬侶誠惶誠恐頓首頓首和銅五年正月廿八日正五位上勳五等太朝臣安萬侶
臣安万侶誠惶誠恐頓首頓首和銅五年正月廿八日正五位上勳五等太朝臣安万侶
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