【古事記】(原文・読み下し文・現代語訳)上巻・その陸
故至三年住其國於是火遠理命思其初事而大一歎故豐玉毘賣命聞其歎以白其父言三年雖住恒無歎今夜爲大一歎若有何由故其父大神問其聟夫曰今旦聞我女之語云三年雖坐恒無歎今夜爲大歎若有由哉亦到此間之由奈何爾語其大神備如其兄罸失鉤之狀是以海神悉召集海之大小魚問曰若有取此鉤魚乎故 諸魚白之頃者赤海鯽魚於喉鯁物不得食愁言故必是取於是探赤海鯽魚之喉者有鉤
故三年に至り其の国に住まふ於是火遠理命其の初の事を思ひ而大き一つ歎きし故豊玉毘賣命其の歎き聞くを以ち其の父に言ひ白さく三年住め雖恒歎き無く今夜大き一つ歎き為若し何ぞ由有らむ故其の父大神其の聟夫に問ひ曰す今旦我が女之語り云ふを聞かむ三年坐ませ雖恒歎き無く今夜大き歎き為若し由有り哉亦此の間到り之由や奈何に爾其の大神に備に其の兄鉤失せを罸ち如之状語らむ是以て海神悉海之大小魚を召し集め曰し問わさく若し此の鉤取り魚有り乎故諸魚之白す頃者赤海鯽魚於喉鯁び物を不得食愁ふと言ふ故必ず是れ取らむ於是赤海鯽魚之喉探ら者鉤有り
そして三年に至り、その国に住み続けていました。
そこで改めて火遠理命は、その初めの事(ここに来た訳)を思い出し、太くため息をつきました。
そして豊玉毘売命は、そのため息を聞きその父にこう申し上げました。
「三年間お住いになり、ずっとため息などつかなかったのに昨晩太くため息をつかれました。ことによると何か事情があるのでしょうか。」
そこで、その父の大御神はその婿にこう問われました。
「たった今、私の娘が『三年間いらっしゃたのですが、ずっとため息をついたことなどありませんでした。ところが昨晩、太いため息をつかれました。ことによると何か事情があるのでは。』と問うてきた。やはり、ため息をつくのにはなにか理由があるのではないですか?」
そこで、大御神に兄が自身が釣り針を失ったことにより自身を罰したことなど、その次第を事細かに話されました。
そうしたことから海神は、海の大小の魚を悉く召し集めこう問われました。
「もしや、こうした釣り針を取っていった魚はあるか。」
魚たちは、それに対してこう申し上げました。
「このごろ、赤茅渟(鯛)が喉を詰まらせ、物を食べられないと悩んでいると言うので、必ずこれを取ったに相違ありません。」
そこで赤茅渟の喉を探したところ、釣り針がありました。
卽取出而淸洗奉火遠理命之時其綿津見大神誨曰之以此鉤給其兄時言狀者此鉤者淤煩鉤須須鉤貧鉤宇流鉤云而於後手賜 【於煩及須須亦宇流六字以音】 然而其兄作高田者汝命營下田其兄作下田者汝命營高田爲然者吾掌水故三年之間必其兄貧窮若恨怨其爲然之事而攻戰者出鹽盈珠而溺若其愁請者出鹽乾珠而活如此令惚苦云授鹽盈珠鹽乾珠幷兩箇
即ち取り出て而清め洗ひ火遠理命に奉りし之時其の綿津見大神誨へ之曰さく此の鉤を以て其の兄に給はむ時言の状者此の鉤者淤煩鉤須須鉤貧鉤宇流鉤云らし而於後ろ手に賜へ 【於煩及須須亦宇流六字音を以てす】 然而其の兄高田作ら者汝命下田営れ其の兄下田作ら者汝命高田営れ然為者吾掌水故三年之間必其の兄貧しみ窮む若其然為之事恨怨み而攻戦者塩盈珠出而溺り若其愁請は者塩乾珠出而活け此の如惚れ苦しま令と云し塩盈珠塩乾珠并せ両箇授けき
すぐに取り出し、洗い清めて火遠理命に献上する時、綿津見大神はこのように教えました。
「この釣り針を兄上にお渡しする時、込める言葉は、『この釣り針は、おほち・すすち・まぢち・うるち。』と言って後ろ手によってお渡しください。 そして、兄上が高田を作るようならあなた様は下田を作り、兄上が下田を作るようならあなた様は高田を作りなさい。そうすれば、私めが手水を用いますので、三年の間に必ず兄上は貧窮に陥いります。そしてもしそうなったことを怨んで攻め戦ってきたならば、潮満珠を出して溺れさせ、 もし嘆きを訴え哀願してきたならば、潮乾珠を出して命を助け、呆然とさせ苦しませなさい。」
そして、潮満珠・潮乾珠合わせて2つの珠を授けました。
卽悉召集和邇魚問曰今天津日高之御子虛空津日高爲將出幸上國誰者幾日送奉而覆奏故各隨己身之尋長限日而白之中一尋和邇白僕者一日送卽還來故爾告其一尋和邇然者汝送奉若渡海中時無令惶畏卽載其和邇之頸送出故如期一日之內送奉也其和邇將返之時解所佩之紐小刀著其頸而返故其一尋和邇者於今謂佐比持神也是以備如海神之教言與其鉤故自爾以後稍兪貧更起荒心迫來將攻之時出鹽盈珠而令溺其愁請者出鹽乾珠而救如此令惚苦之時稽首白僕者自今以後爲汝命之晝夜守護人而仕奉故至今其溺時之種種之態不絶仕奉也
即ち悉和邇魚を召し集め問曰く今天津日高之御子虚空津日高将に上国に出幸為誰者幾日送り奉り而覆り奏さむ故各己が身之尋長の隨日を限りて而之白す中一尋の和邇白さく僕者一日送り即ち還り来む故爾其の一尋の和邇に告らす然者汝送り奉りて若し海中渡らむ時無惶畏り令め即ち其の和邇之頸載せ送り出故期の如一日之内送り奉り也其の和邇将返らむ之時所佩之紐小刀解き其の頸著け而返(かへ)しき故其の一尋の和邇者於今謂ふ佐比持神也是以備海神之教へ言如其の鉤与へき故自爾以後稍兪貧更荒き心起き迫め来き将攻む之時塩盈珠出し而溺ほれ令め其れ愁ひ請ひ者塩乾珠出し而救ひき如此惚れ令め苦し之時稽首き白さく僕者自今以後汝が命之昼夜守護人為り而仕へ奉らむ故今に至り其の溺ほりし時之種種之態不絶仕へ奉る也
そこで、すべての鰐(鮫)を召し集め、質問されました。
「今、天津日高の御子である虚空津日高が地上の国に出られようとしております。 誰が何日でお送りし、帰って来られますか。」
そこでおのおのが自分の身長によって日数を定めて申告する中、一尋(5尺=約1.515メートル)の鰐(鮫)が申し上げました。
「私めは一日で送り、すぐ帰って参ります。」
それではと、その一尋の鰐(鮫)に命じられました。
「それならば、お前がお送りしなさい。そして海中を渡っていく間は怖がらせることのなきように。」
こうして、その鰐(鮫)の首につかまらせて載せて送り出し、一日の内にお送りしました。
そして、その鰐(鮫)が帰ろうとした時、腰につけていた紐小刀をほどき、その首に着けてお返しになりました。
こうしたことからその一尋の鰐(鮫)は、今は佐比持神といわれています。
こうしたことがあった後、すべて海神が教えた言葉通りに、その釣り針を兄にお渡しになりました。
よって、これから後に次第に貧しくなり、貧しさが増すにつれ荒々しい心が高まり、迫ってきました。
そしてまさに攻めようとした時、潮満珠を出して溺れさせ、兄はその苦しさを訴えお願いしたので潮干珠を取り出し、お救いになりました。
このように呆然とさせ苦しめた結果、兄は伏して額づき申し上げます。
「私めは、今後はあなた様を昼夜守護する人として、お仕えいたします。」
こうした訳で、今に至るまで溺れた時の種々の様を舞うことを絶やさず、お仕えしているのです。
於是海神之女豐玉毘賣命自參出白之妾已妊身今臨產時此念天神之御子不可生海原故參出到也爾卽於其海邊波限以鵜羽爲葺草造產殿於是其產殿未葺合不忍御腹之急故入坐產殿爾將方產之時白其日子言凡佗國人者臨產時以本國之形產生故妾今以本身爲產願勿見妾於是思奇其言竊伺其方產者化八尋和邇而匍匐委蛇卽見驚畏而遁退爾豐玉毘賣命知其伺見之事以爲心恥乃生置其御子而白妾恒通海道欲往來然伺見吾形是甚怍之卽塞海坂而返入是以名其所產之御子謂天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命【訓波限云那藝佐 訓葺草云加夜】然後者雖恨其伺情不忍戀心因治養其御子之緣附其弟玉依毘賣而獻歌之
於是海神之女豊玉毘売命自り参り出之白す妾已妊身今産む時臨み此天神之御子海原不可生念ふ故参り出到也爾即ち於其海辺波限鵜羽以て葺草と為産殿造りて於是其の産殿未だ葺き合へず不忍御腹之急故産殿入り坐し爾将方産む之時其の日子に言ひ白さく凡佗国人者産むの時臨み本国之形以て産み生す故妾今本の身を以て産み為願はく妾見勿れ於是其の言奇しく思はして其の方産む竊み伺へ者八尋和邇化りて而匍匐ひ委蛇る即ち見し驚き畏みて而遁れ退き爾豊玉毘売命其の伺ひ見し之事を知り以て心恥と為し乃ち其の御子生み置きて而白さく妾恒海道通ひ往来を欲す然る吾が形伺ひ見し是甚く之怍き即ち海坂塞ぎて而返り入りき是以て其の産む所之御子名天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命と謂ふ 【波限を訓み那芸佐と云ふ葺草を訓み加夜と云ふ】 然る後者其の伺ひき情恨め雖恋心不忍其の御子治め養ふ之縁因りて其の弟玉依毘売附け而之歌ひ献らむ
こうした事があった後、海神の娘である豊玉毘売命が自ら出てきて、こう申し上げました。
「わらわはすでに懐妊しております。そして間もなく出産の時期になりました。ただ、天津神の御子を海原などに産んでよいのだろうかと思い、出てまいりました。」
そうして、そのままその海辺の渚に鵜の羽を萱の屋根として産殿を造り始めましたが、 その産殿の屋根がまだ葺き合わされる前に、これ以上忍ぶことができず御腹が緊急となり、産殿に入りました。
そして、まさに出産しようとしたとき、火遠理命に申し上げました。
「一般的に異国の人は出産の時に臨み、生まれ故郷にいたときの姿になって産みます。わらわも生まれ故郷にいたときの姿になって産むことといたします。お願いですのでわらわを見ることのなきように。」
しかしその言葉を不審に思い、その出産しようとするところを覗いてしまいました。
すると、豊玉毘売命は八尋(非常に大きい事)の鰐(鮫)と化して匍匐(腹ばいに歩き)し体をくねらしていました。
それを見て火遠理命は驚き、恐ろしくなりそこから逃げ出しました。
そして豊玉毘売命は、覗かれたことを知り心の底から恥に思い、その御子を産み置きこう申し上げました。
「わらわは、恒(常)に海路を通い往来したいと思っていたのですが、私の姿を窺い見られましたは、いたく恥ずかしいことでございます。」
そして、海境(海のはて)を塞いで、海に入り帰って行ってしまいました。
こうしたことからその産まれた御子は、名付けて天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命といわれています。
その後豊玉姫は、覗かれた事を恨みながらも火遠理命を恋する心を抑えきれず、 御子を教え養う役を担わせた妹の玉依姫に、歌を託して献上させました。
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