【古事記】(原文・読み下し文・現代語訳)上巻・その壱
伊邪那岐命詔然者吾與汝行廻逢是天之御柱而爲美斗能麻具波比 【此七字以音】 如此之期乃詔汝者自右廻逢我者自左廻逢約竟廻時伊邪那美命先言阿那邇夜志愛/上/袁登古袁 【此十字以音下效】 此後伊邪那岐命言阿那邇夜志愛/上/袁登賣袁
伊邪那岐の命詔はく然者吾与汝是の天之御柱を行き廻り逢ひて而美斗能麻具波比を為む 【此の七字音を以てす】 此之期の如く乃ち詔はく汝者右自り廻りて逢ひ我者左自り廻りて逢はむとのたまひ約び竟へ廻りし時伊邪那美の命先に言はく阿那邇夜志愛/上声/袁登古袁 【此の十字音を以ちてす下効ふ】 此の後に伊邪那岐の命言はく阿那邇夜志愛/上声/袁登賣袁
伊邪那岐の命が言いました。
「それでは、わたしとお前でこの天之御柱を回って逢い、寝所での交わりをしよう。」
そして「おまえは右から回って逢い、わたしは左から回って逢おう。」と言い約束しました。
回り終え、伊邪那美の命が先に言いました。
「まあ、本当にすてきな男性です。」
その後に、伊邪那岐の命が言いました。
「ああ、本当に美しい女性だ。」
各言竟之後告其妹曰女人先言不良雖然久美度邇 【此四字以音】 興而生子水蛭子此子者入葦船而流去次生淡嶋是亦不入子之例
各言竟へし之後其妹に告たまはく曰女人の先に言ふは良不れど雖然くすべしとのたまひ久美度邇 【此の四字音を以てす】 興して而生みし子は水蛭子にて此の子者葦船に入れて而流し去りき次に淡嶋を生みき是れ亦子之例に不入
それぞれに言った後、その妹に「女人が先に言うのはよくないが、それでもかまわないだろう。」と告げて、寝所での交わりをして子を産みました。
しかし、その子は水蛭子(障害がある子)であったので、葦船に乗せて流し去りました。
次に淡島を生みましたが、この子も不完全だったので子のうちに含めません。
於是二柱神議云今吾所生之子不良猶宜白天神之御所卽共參上請天神之命爾天神之命以布斗麻邇爾/上/ 【此五字以音】 ト相而詔之因女先言而不良亦還降改言
於是二柱の神議りて云はく今吾らが生みし所之子不良猶宜天つ神之御所に白すべし即ち共に参上り天つ神之命を請はむといひき爾天つ神之命布斗麻邇爾/上声/ 【此の五字音を以てす】 卜相ふを以ちて而之れを詔女の先に言ふに因りて而不良亦還り降り言を改むべし
ここに、二柱の神は相談して言いました。
「今わたしたちが産んだ子は良く有りませんでした。良くなるように天つ神の所へ行って申しましょう。」
「そうですね。一緒に天上界に行って天つ神がなんと言われるか聞いてまいりましょう。」
そして天つ神が、太占により割れ目から占いその告げたところによれば、「女が先に言ったことが原因で、良くない事になった。もう一度帰って言う順番を改めよ。」でした。
故爾反降更往廻其天之御柱如先於是伊邪那岐命先言阿那邇夜志愛袁登賣袁後妹伊邪那美命言阿那邇夜志愛袁登古袁如此言竟而御合生子淡道之穗之狹別嶋 【訓別云和氣下效此】
爾るが故に反り降り更に其の天之御柱を往き廻ること先の如し是於伊邪那岐の命先に阿那邇夜志愛袁登賣袁と言ひ後に妹伊邪那美の命阿那邇夜志愛袁登古袁と言ひき此の言の如く竟えて而御合ひ生みし子は淡道之穗之狹別嶋の島 【別を訓み和気と云ふ下此れ効ふ】
そうして戻り降って、先と同様に天之御柱を回られ、今度は伊邪那岐の命が先に「ああ、本当に美しい女性だ。」と言い、後に妹の伊邪那美の命が「まあ、本当にすてきな男性です。」と言いました。
こうして言われたとおりに終えて、そうしたところ子の淡道之穗之狹別の島を生んだのでした。
次生伊豫之二名嶋此嶋者身一而有面四毎面有名故伊豫國謂愛/上/比賣 【此三字以音下效此也】 讚岐國謂飯依比古粟國謂大宜都比賣 【此四字以音】 土左國謂建依別
次に伊予之二名の島を生みき此の島者身一つにて而面四つ有り面毎に名有り故伊予の国は愛/上声/比賣と謂ひ 【此の三字音を以てす下此れ効ふ也】 讃岐の国は飯依比古と謂ひ粟の国は大宜都比売 【此の四字音を以てす】 と謂ひ土左の国は建依別と謂ふ
次に伊予之二名の島(四国)を産みました。この島は、からだ一つに4つの顔があり、顔ごとに名前がありました。
その内訳は伊予の国(愛媛県)は愛比賣といい、讃岐の国(香川県)は飯依比古といい、阿波の国(徳島県)は大宜都比売といい、土佐の国(高知県)は建依別といいます。
次生隱伎之三子嶋亦名天之忍許呂別 【許呂二字以音】 次生筑紫嶋此嶋亦身一而有面四毎面有名故筑紫國謂白日別豐國謂豐日別肥國謂建日向日豐久士比泥別 【自久至泥以音】 熊曾國謂建日別 【曾字以音】 次生伊伎嶋亦名謂天比登都柱 【自比至都以音訓天如天】 次生津嶋亦名謂天之狹手依比賣次生佐度嶋次生大倭豐秋津嶋亦名謂天御虛空豐秋津根別故因此八嶋先所生謂大八嶋國
次に隠岐之三子の島を生みき亦の名は天之忍許呂別 【許呂二字音を以てす】 次に筑紫の島を生みき此の島は亦身一つにして而面四つ有り面毎に名有り故筑紫の国は白日別と謂ひ豊の国は豊日別と謂ひ肥の国は建日向日豊久士比泥別 【久自り泥至で音を以てす】 と謂ひ熊曽の国は建日別と謂ふ 【曽の字音を以てす】 次に伊伎の島を生みき亦の名は天比登都柱と謂ふ 【比自り都至で音を以てす天を訓む天の如し】 次に津島を生みき亦の名は天之狭手依比売と謂ふ次に佐度の島を生みき次に大倭豊秋津島を生みき亦の名を天御虚空豊秋津根別と謂ふ故此の八島先に生まれし所に因り大八島の国と謂ふ
次に隠岐之三子の島(隠岐の島)を産みました。またの名を、天之忍許呂別といいます。
次に筑紫の島(九州)を産みました。この島も、からだ一つに4つの顔があり、顔ごとに名前がありました。
その内訳は筑紫の国(福岡県東部以外)は白日別といい、豊の国(福岡県東部・大分県)は豊日別といい、肥の国(熊本県・佐賀県・長崎県)は建日向日豊久士比泥別といい、熊襲の国(宮崎県・鹿児島県)は建日別といいます。
次に壱岐の島を産みました。またの名を、天比登都柱といいます。
次に対馬を産みました。またの名を、天之狭手依比売といいます。
次に佐渡の島を産みました。
次に大倭豊秋津島(本州)を産みました。またの名を天御虚空豊秋津根別といいます。
そして、これまでの八つの島は先に生まれたことによって、大八洲の国といいます。
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