【古事記】(原文・読み下し文・現代語訳)上巻・その陸

其歌曰阿加陀麻波袁佐閇比迦禮杼斯良多麻能岐美何余曾比斯多布斗久阿理祁理爾其比古遲【三字以音】答歌曰意岐都登理加毛度久斯麻邇和賀韋泥斯伊毛波和須禮士余能許登碁登邇故日子穗穗手見命者坐高千穗宮伍佰捌拾歲御陵者卽在其高千穗山之西也是天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命娶其姨玉依毘賣命生御子名五瀬命次稻氷命次御毛沼命 次若御毛沼命亦名豐御毛沼命亦名神倭伊波禮毘古命【四柱】故御毛沼命者跳波穗渡坐于常世國稻氷命者爲妣國而入坐海原也

(そ)の歌に(いは)

阿加陀麻波(あかだまは) 袁佐閇比迦禮杼(をさへひかれど) 斯良多麻能(しらたまの) 岐美何余曾比斯(きみがよそひし) 多布斗久阿理祁理(たふとくありけり)

(しか)して(そ)比古遅(ひこぢ)三字(みもじ)(こえ)(もち)てす】 答歌(かへしうた)(いは)

意岐都登理(おきつとり) 加毛度久斯麻邇(かもどくしまに) 和賀韋泥斯(わがいねし) 伊毛波和須禮士(いもはわすれじ) 余能許登碁登邇(よのことごとに)

(かれ)日子穂穂手見命(ひこほほでみのみこと)(は)高千穂宮(たかちほのみや)(ま)し、五百八十歳(いほとせあまりやそとせ)御陵(みささき)(は)(すなは)(そ)高千穂山(たかちほのやま)(の)西に在り(なり)(こ)天津(あまつ)日高日子(ひこひこ)波限建(なぎさたけ)鵜葺(うかや)草葺不合命(ふきあへずのみこと)(そ)(をば)玉依毘売命(たまよりひめのみこと)(めあ)はし(う)みし御子(みこ)(なづ)五瀬命(いつせのみこと)次に稲氷命(いなひのみこと)次に御毛沼命(みけぬのみこと)次に若御毛沼命(わかみけぬのみこと)(また)の名豊御毛沼命(とよみけぬのみこと)(また)の名神倭伊波礼毘古命(かむやまといはれびこのみこと)四柱(よはしら)(かれ)御毛沼命(みけぬのみこと)(は)波穂(なみのほ)(は)(おひて)常世国(とこよのくに)(わた)(ま)稲氷命(いなひのみこと)(は)妣国(ははのくに)(な)(しかるに)海原(うなはら)(い)(ま)しき(なり)

その歌は、こうでした。

赤瓊あかだまは さえひかれど 白瓊しらたまの 君がよそおいし とうとりけり

赤珠はその通し紐まで輝いていますが、地味な白珠であってもあなたが身に着けるなら、これはまた尊いものです。

それに対して、彦父は返歌を歌いました。

沖津鳥おきつとり 鴨く島に 我が率寝いねし いもは忘れじ 世の事々に

鴨が集まる島に私が連れていき、夜を共にした愛しい人。世の些事さじわずらわされる間も、決して忘れません。

こうして、日子穂穂手見命ひこほほでみのみこと高千穂たかちほの宮に住み、五百八十歳まで生きました。

御陵ごりょうは、高千穂の山の西にあります。

そして天津あまつ日高日子ひこひこ波限建なぎさたけ鵜葺うかや草葺不合命ふきあえずのみことはその叔母おば玉依毘売命たまよりひめのみことめとりました。

そうして生みなされた子の名は、五瀬命いつせのみこと、次に稲氷命いなひのみこと、次に御毛沼命みけぬのみこと、 次に若御毛沼命わかみけぬのみこと、その別名は豊御毛沼命とよみけぬのみこと神倭伊波礼毘古命かむやまといわれびこのみこと(初代神武天皇)です。

この後御毛沼命みけぬのみことは、少名毘古那神すくなびこなのかみのように波の穂を踏み越えて、常世国とこよのくにに行かれております。

また稻氷命いなひのみことは、須佐之男すさのおのように妣国ははのくにである海原に入られております。

古事記 上巻かみつまき 完

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Posted by 風社