【古事記】(原文・読み下し文・現代語訳)上巻・その伍
天降り
爾天照大御神高木神之命以詔太子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命今平訖葦原中國之白故隨言依賜降坐而知者爾其太子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命答白僕者將降裝束之間子生出名天邇岐志國邇岐志【自邇至志以音】天津日高日子番能邇邇藝命此子應降也此御子者御合高木神之女萬幡豐秋津師比賣命生子天火明命次日子番能邇邇藝命【二柱】也
爾天照大御神高木神之命を以ち太子正勝吾勝勝速日天忍穗耳の命に詔らさく今葦原中国を平げ訖へて之白く故言依せに隨はむ降り坐して而知らし賜へ者爾其の太子正勝吾勝勝速日天忍穗耳の命答へ白さく僕者将に降りむと裝束ひし之間子生み出で天邇岐志国邇岐志【邇自り志至で音を以てす】天津日高日子番能邇邇芸の命と名づく此の子降る応し也此の御子者高木神之女万幡豊秋津師比売の命と御合ひ子天火明の命次に日子番能邇邇芸の命 二柱 を生みき也
そこで、天照大御神高木神のお言葉をもって、皇太子、正勝吾勝勝速日天忍穗耳の命に詔しました。
「今、葦原中国を平定し終え、大国主が言いつけに従いますと申したゆえ、天降りして統治しなさい。」
これにその皇太子、正勝吾勝勝速日天忍穗耳の命が、答えて申し上げました。
「私が、まさに降りようと準備を進めている間に子が生まれ、その名を天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸の命と申します。この子が降りるのが良いでしょう。」
この御子は、高木神の娘万幡豊秋津師比売の命と結婚し、 御子天火明の命、そして日子番能邇邇芸の命を生みました。
是以隨白之科詔日子番能邇邇藝命此豐葦原水穗國者汝將知國言依賜故隨命以可天降爾日子番能邇邇藝命將天降之時居天之八衢而上光高天原下光葦原中國之神於是有故爾天照大御神高木神之命以詔天宇受賣神汝者雖有手弱女人與伊牟迦布神【自伊至布以音】面勝神故專汝往將問者吾御子爲天降之道誰如此而居故問賜之時答白僕者國神名猨田毘古神也所以出居者聞天神御子天降坐故仕奉御前而參向之侍
是以之白すに隨ひ日子番能邇邇芸の命に科し詔らさく此の豊葦原の水穂の国者汝が将に知らむ国と言依せ賜ふ故命に隨ひ以て天降る可爾日子番能邇邇芸の命将に天降む之時天之八衢に居りて而上高天原に光り下葦原中国に光りし之神於是有る故爾天照大御神高木神之命を以ち天宇受売の神に詔らさく汝者手弱女人有れ雖伊牟迦布神【伊自り布至で音を以てす】与面勝神故專ら汝往き将に問はむ者吾が御子天降為之道は誰か如此而居るぞとのらしき故問ひ賜ひし之時答へ白さく僕者国つ神名は猿田毘古の神也出で居る所以者天つ神の御子天降り坐すを聞きし故に御前に仕へ奉りて而参り向かひ之侍ふとまをしき
よって、天忍穗耳の命の申し出に従い、日子番能邇邇芸の命に詔されました。
「この豊葦原の水穂の国は、あなたが治める国として委ねます。そこで言いつけに従い、よって天降りしなさい。」
そこで日子番能邇邇芸の命が天降りしようとした時 天の八巷(道がいくつにも分かれている所)に、上は高天原に光りを放ち、下は葦原の中つ国に光を放つ神がおりました。
そのゆえに、 天照大御神と高木神は、そのお言葉によって天宇受売の神に前もっておっしゃっていました。
「お前はか弱き女子ではあるが、向かってくる神に対して顔で勝てる神であるから、 お前こそが行きそこでこのように問いなさい。『私の御子が天降りする道を、誰か案内してくれる者はいないか。』」
こうして天宇受売が問うた時、ある神がお答えしました。
「私めは、地祇(地の神=国津神)で、名は猿田毘古の神と申します。このように出て参りました理由は、天津神(天の神)の御子が天降りされるとお聞きしたので、その御前に仕え奉り御目にかかるためでございます。」
爾天兒屋命布刀玉命天宇受賣命伊斯許理度賣命玉祖命幷五伴緖矣支加而天降也於是副賜其遠岐斯【此三字以音】八尺勾璁鏡及草那藝劒亦常世思金神手力男神天石門別神而詔者
爾天児屋の命布刀玉の命天宇受売の命伊斯許理度売の命玉祖の命并せ五の伴緖矣支け加へて而天降らしき也於是其れ遠岐斯【此の三字音を以てす】八尺の勾瓊鏡草那芸剣及で亦常世思金の神手力男の神天石門別の神を副ひ賜ひて而詔らす者
そこで、天児屋の命、布刀玉の命、天宇受売の命、伊斯許理度売の命、玉祖の命、合わせて五伴緖の神を支えに加えて天降りさせました。
ここに、取り寄せた八尺の勾瓊、鏡、草那芸剣、そして常世思金の神、手力男の神、天石門別の神を付き添えにしてお言葉をいただきました。
此之鏡者專爲我御魂而如拜吾前伊都岐奉次思金神者取持前事爲政此二柱神者拜祭佐久久斯侶伊須受能宮【自佐至能以音】次登由宇氣神此者坐外宮之度相神者也次天石戸別神亦名謂櫛石窻神亦名謂豐石窻神此神者御門之神也次手力男神者坐佐那那縣也故其天兒屋命者中臣連等之祖布刀玉命者忌部首等之祖天宇受賣命者猨女君等之祖伊斯許理度賣命者作鏡連等之祖玉祖命者玉祖連等之祖
此之鏡者專我御魂と為て而吾前を拝む如伊都岐奉へ次に思金の神者前事を取り持ち政を為よ此の二柱の神者佐久久斯侶伊須受能宮【佐自り能至で音を以てす】に拝み祭れ次に登由宇気の神此者外宮之度相に坐す神者也次に天石戸別の神亦の名は櫛石窓の神と謂ひ亦の名は豊石窓の神と謂ひ此の神者御門之神ぞ也次に手力男の神者佐那那県に坐せ也故其に天児屋の命者中臣の連等之祖布刀玉の命者忌部の首等之祖天宇受売の命者猿女の君等之祖伊斯許理度売の命者作鏡の連等之祖玉祖の命者玉祖の連等之祖
「この鏡はひたすら私の御魂として、我が御前に拝むのと同じく、祀りなさい。次に、思金の神は御前の言葉を取り持ち政り事をしなさい。この二柱の神は、五十鈴の宮(伊勢神宮・内宮=皇大神宮)に祀り拝みなさい。次に豊受の神、この神は外宮の度会郡(伊勢国度会郡=三重県度会郡)におわします神です。次に天石戸別の神は、またの名櫛石窓の神、あるいは豊石窓の神として、この神は御門の神(門を守る神)です。次に手力男の神は佐那那県(伊勢国多気郡の佐那神社)に居りなさい。」
この故事により、天児屋の命は中臣の連の先祖、布刀玉の命は忌部の首の先祖、天宇受売の命は猿女の君の先祖、伊斯許理度売の命は作鏡の連の先祖、玉祖の命は玉祖の連の先祖です。
故爾詔天津日子番能邇邇藝命而離天之石位押分天之八重多那【此二字以音】雲而伊都能知和岐知和岐弖【自伊以下十字以音】於天浮橋宇岐士摩理蘇理多多斯弖【自宇以下十一字亦以音】天降坐于竺紫日向之高千穗之久士布流多氣【自久以下六字以音】故爾天忍日命天津久米命二人取負天之石靫取佩頭椎之大刀取持天之波士弓手挾天之眞鹿兒矢立御前而仕奉
故爾天津日子番能邇邇芸の命に詔ひて而天之石位を離れ天之八重多那【此の二字音を以てす】雲を押し分けて而伊都能知和岐知和岐弖【伊自り以下十字音を以てす】於天浮橋に宇岐士摩理蘇理多多斯弖【宇自り以下十一字亦音を以てす】于竺紫の日向之高千穂之久士布流多気【久自り以下六字音を以てす】に天降り坐す故爾天忍日命天津久米命の二人天之石靫を取り負ひ頭椎之大刀を取り佩け天之波士弓を取り持ち天之真鹿児矢を手挟み御前に立ちまをして而仕へ奉る
そこで、天津日子番能邇邇芸命に命じ、天の磐座を離れ、天の八重の棚雲を押し分け、御稜威(天皇の威光)の道を拓きながら進みました。
天の浮橋まで来て見ると浮き島があり、そのなだらかな丘にお立ちになりました。
そして、筑紫の日向国の高千穂の奇しふる岳に天降りされました。
そこで、天忍日命と天津久米命の二人は、天の石靫(頑丈な矢入れ)を背負い、頭椎の大刀を帯び、天の櫨弓(ハゼの木の弓)を持ち、天の真鹿児矢(シカやイノシシなどを射るのに用いた頑丈な矢)を挟み持ち、御前にお仕えしました。
故其天忍日命此者大伴連等之祖天津久米命此者久米直等之祖也於是詔之此地者向韓國眞來通笠紗之御前而朝日之直刺國夕日之日照國也故此地甚吉地詔而於底津石根宮柱布斗斯理於高天原氷椽多迦斯理而坐也
故其の天忍日命此者大伴の連等之祖天津久米命此者久米の直等之祖也於是詔之此の地者韓国に向き真来通ふ笠紗之御前にて而朝日之直に刺す国夕日之日照る国也故に此の地甚吉き地と詔ひ而於底津石根宮柱布斗斯理於高天原氷椽多迦斯理而坐す也
ところで、この天忍日命は大伴の連の先祖、天津久米命は久米の直の先祖です。
そこで邇邇芸命がおっしゃいました。
「この国はからの国に向かい、往来するのに適した笠紗の岬があり、朝日が直接差し夕日が明るく照らす土地なので、この国はとてもよい土地であることよ。」
そして、地の底に宮柱太く天に千木の高い宮を建て、お住まいになりました。
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