【古事記】(原文・読み下し文・現代語訳)上巻・その参
又其神之嫡后須勢理毘賣命甚爲嫉妬故其日子遲神和備弖 【三字以音】 自出雲將上坐倭國而束裝立時片御手者繋御馬之鞍片御足蹈入其御鐙而歌曰奴婆多麻能久路岐美祁斯遠麻都夫佐爾登理與曾比淤岐都登理牟那美流登岐波多多藝母許禮婆布佐波受幣都那美曾邇奴岐宇弖蘇邇杼理能阿遠岐美祁斯遠麻都夫佐邇登理與曾比於岐都登理牟那美流登岐波多多藝母許母布佐波受幣都那美曾邇奴棄宇弖夜麻賀多爾麻岐斯阿多泥都岐曾米紀賀斯流邇斯米許呂母遠麻都夫佐邇登理與曾比淤岐都登理牟那美流登岐波多多藝母許斯與呂志伊刀古夜能伊毛能美許等牟良登理能和賀牟禮伊那婆比氣登理能和賀比氣伊那婆那迦士登波那波伊布登母夜麻登能比登母登須須岐宇那加夫斯那賀那加佐麻久阿佐阿米能疑理邇多多牟叙和加久佐能都麻能美許登許登能加多理碁登母許遠婆
又其の神之嫡后須勢理毘売の命甚嫉妬き為し故其の日子遅の神和備弖 【三字音を以てす】 出雲自り将に倭の国に上り坐さむとして而束裝ひて立たし時片御手者御馬之鞍に繋ぎ片御足其の御鐙に踏み入れて而歌ひ曰く奴婆多麻能久路岐美祁斯遠麻都夫佐爾登理與曾比淤岐都登理牟那美流登岐波多多藝母許禮婆布佐波受幣都那美曾邇奴棄宇弖蘇邇杼理能阿遠岐美祁斯遠麻都夫佐邇登理與曾比於岐都登理牟那美流登岐波多多藝母許母布佐波受幣都那美曾邇奴棄宇弖夜麻賀多爾麻岐斯阿多泥都岐曾米紀賀斯流邇斯米許呂母遠麻都夫佐邇登理與曾比淤岐都登理牟那美流登岐波多多藝母許斯與呂志伊刀古夜能伊毛能美許等牟良登理能和賀牟禮伊那婆比氣登理能和賀比氣伊那婆那迦士登波那波伊布登母夜麻登能比登母登須須岐宇那加夫斯那賀那加佐麻久阿佐阿米能疑理邇多多牟叙和加久佐能都麻能美許登許登能加多理碁登母許遠婆
また、その神の后須勢理毘売の命がひどく嫉妬しましたので、日子遅の神(大国主命のこと)は詫びられ、出雲から大和の国に上るために装束を整えて、片手は御馬の鞍をつかみ片足をその鐙に踏み入れながら、このように歌いました。
射干玉の 黒き御衣を 真具さに 取り装ひ 沖つ鳥 胸見る時 はたたぎも 此れは相応はず 辺つ波磯に 脱ぎ棄て 鴗鳥の 青き御衣を 真具さに 取り装ひ 沖つ鳥 胸見る時 はたたぎも 此も相応はず 辺つ波磯に 脱ぎ棄て山県に蒔きし あたね突き 染め木が汁に 染め衣を真具さに 取り装ひ 沖つ鳥 胸見る時 はたたぎも 此し宜し
愛子やの 妹の命 群鳥の 吾が群往なば 引け鳥の 吾が引け往なば 泣かじとは 汝は言ふとも 倭の 一本薄 頂傾し 汝が泣かさまく 朝雨野霧に立たむぞ 若草の 妻の命 言の語り事も 此をば
黒い衣を正装し 胸元を見たり袖の具合をみましたが これは気に入りません 浜辺に寄せる波のように脱ぎ捨てましょう 青い衣を正装し 胸元を見たり袖の具合をみましが これも気に入りません 浜辺に寄せる波のように脱ぎ捨てましょう 山の畑でお前と共に育てた木を突き 染めた衣を正装し 胸元を見たり袖の具合をみましたら これこそ気に入りました
愛しい妻よ 私が群れ鳥のように出かけても 私が皆を引き連れて行っても 泣きはしないとお前は言うが 倭にいても 薄が一本だけ雨や霧に濡れ項を垂れた姿を見れば そこにお前の姿が重なるでしょう 瑞々しい妻よ このことを語って伝えよう
爾其后取大御酒坏立依指擧 而歌曰 夜知富許能 加微能美許登夜 阿賀淤富久邇奴斯 那許曾波 遠邇伊麻世婆 宇知微流斯麻能 佐岐耶岐加岐微流 伊蘇能佐岐淤知受 和加久佐能 都麻母多勢良米 阿波母與 賣邇斯阿禮婆 那遠岐弖 遠波那志 那遠岐弖 都麻波那斯 阿夜加岐能 布波夜賀斯多爾 牟斯夫須麻 爾古夜賀斯多爾 多久夫須麻 佐夜具賀斯多爾 阿和由岐能 和加夜流牟泥遠 多久豆怒能 斯路岐多陀牟岐 曾陀多岐 多多岐麻那賀理 麻多麻傳多麻傳 佐斯麻岐 毛毛那賀邇 伊遠斯那世 登與美岐 多弖麻都良世 如此歌卽爲宇伎由比【四字以音】而宇那賀氣理弖【六字以音】至今鎭坐也此謂之神語也
爾ち其の后大御酒坏を取らし立ち依り指し挙げ而歌ひ曰く夜知富許能加微能美許登夜阿賀淤富久邇奴斯那許曾波遠邇伊麻世婆宇知微流斯麻能佐岐耶岐加岐微流伊蘇能佐岐淤知受和加久佐能都麻母多勢良米阿波母與賣邇斯阿禮婆那遠岐弖遠波那志那遠岐弖都麻波那斯阿夜加岐能布波夜賀斯多爾牟斯夫須麻爾古夜賀斯多爾多久夫須麻佐夜具賀斯多爾阿和由岐能和加夜流牟泥遠多久豆怒能斯路岐多陀牟岐曾陀多岐多多岐麻那賀理麻多麻傳多麻傳佐斯麻岐毛毛那賀邇伊遠斯那世登與美岐多弖麻都良世此の歌の如即ち宇伎由比 【四字音を以てす】 為て而宇那賀気理弖 【六字音を以てす】 至今鎭まり坐す也此に謂はく之神語也
そこでお妃は、杯に大酒を盛り寄りかかって立ち杯を高々と上げて、このように歌いました。
八千矛の 神の命や 吾が大国主 汝こそは 男に坐せば 打ち見る嶋の 先や来掻き廻る 磯の埼落ちず 若草の 妻持たせらめ 吾はもよ 女にしあれば 汝招きて 男は為し 汝招きて 妻は為し 綾垣の ふはやが下に 苧衾 柔やが下に 栲衾 さやぐ下に 沫雪の 若やる胸を 栲綱の 白き腕 素手抱き 手抱きまながり 真玉手玉手 差し枕き 股長に 寝を為寝せ 豊御酒 奉らせ
八千矛神命と呼ばれている大国主よ あなたは男ですから 遠くに見える島の先から来て漕ぎ巡り この磯の岬を見落とさず 妻にしてしまいなされませ 私は女ですからあなた以外に男はいません あなた以外の妻となることもありません 綾織の帳の揺れる下で ふわふわした苧(麻の古名)の布団の下で ざわざわした栲の布団の下で 淡雪のような若い胸真白な腕が あなたの愛しい手で抱かれ幸せな気持ちで 私を眠らせなさいませ おいしいお酒を私に差し上げなさいませ
この歌の通り、杯を交わして愛を誓い、首をもたせかけ、そのまま鎮座し今に至ります。
この謂れは、神の語りによるものです。
故此大國主神娶坐胸形奧津宮神多紀理毘賣命生子阿遲 【二字以音】 鉏高日子根神次妹高比賣命亦名下光比賣命此之阿遲鉏高日子根神者今謂迦毛大御神者也大國主神亦娶神屋楯比賣命生子事代主神亦娶八嶋牟遲能神 【自牟下三字以音】 之女鳥耳神生子鳥鳴海神 【訓鳴云那留】 此神娶日名照額田毘道男伊許知邇神 【田下毘又自伊下至邇皆以音】 生子國忍富神此神娶葦那陀迦神 【自那下三字以音】 亦名八河江比賣生子速甕之多氣佐波夜遲奴美神 【自多下八字以音】 此神娶天之甕主神之女前玉比賣生子甕主日子神此神娶淤加美神之女比那良志毘賣 【此神名以音】 生子多比理岐志麻流美神 【此神名以音】 此神娶比比羅木之其花麻豆美神 【木上三字花下三字以音】 之女活玉前玉比賣神生子美呂浪神 【美呂二字以音】 此神娶敷山主神之女青沼馬沼押比賣生子布忍富鳥鳴海神此神娶若盡女神生子天日腹大科度美神 【度美二字以音】 此神娶天狹霧神之女遠津待根神生子遠津山岬多良斯神右件自八嶋士奴美神以下遠津山岬帶神以前稱十七世神
故此の大国主の神胸形の奧津宮の神多紀理毘売の命を娶せ坐し子阿遅【二字音を以てす】鉏高日子根の神次に妹高比売の命亦の名は下光比売の命を生みたまひき此之阿遅鉏高日子根の神者今に謂ふ迦毛大御神者也大国主の神亦神屋楯比売の命を娶せし子事代主の神を生みたまひき亦八嶋牟遅能神【牟自り下三字音を以てす】之女鳥耳の神を娶せまし子鳥鳴海の神 【鳴を訓み那留と云ふ】 を生みたまひき此の神日名照額田毘道男伊許知邇の神 【田より下毘又伊自り下邇に至り皆音を以てす】を娶せまし子国忍富の神を生みたまひき此の神葦那陀迦の神【那自り下三字音を以てす】亦の名は八河江比売を娶せまし子速甕之多気佐波夜遅奴美の神【多自り下八字音を以てす】 此の神天之甕主の神之女前玉比売を娶せまし子甕主日子の神を生みたまひき此の神淤加美の神之女比那良志毘売【此の神名音を以てす】を娶せまし子多比理岐志麻流美の神【此の神名音を以てす】を生みたまひき此の神比比羅木之其花麻豆美の神【木の上三字花の下三字音を以てす】之女活玉前玉比売の神を娶せまし子美呂浪の神【美呂の二字音を以てす】を生みたまひき此の神敷山主の神之女青沼馬沼押比売を娶せまし子布忍富鳥鳴海の神を生みたまひき此の神若尽女の神を娶せまし子天日腹大科度美の神【度美の二字音を以てす】を娶せまし此の神天狭霧の神之女遠津待根の神を娶せまし子遠津山岬多良斯の神を生みたまひき右の件八嶋士奴美の神自り以下遠津山岬帯の神を以前を十七世の神と称く
さて、この大国主の神は、宗像の沖津宮の祀神多紀理毘売の命を娶られ、 御子阿遅鋤高日子根の神を、 次に妹高比売の命、またの名下光比売の命を産みました。
この阿遅鋤高日子根の神は、今に言う迦毛大御神なのです。
大国主の神はまた、神屋楯比売の命を娶られ、 御子事代主の神を産みました。
また、八嶋牟遅能神の娘、鳥耳の神を娶られ、 御子鳥鳴海の神を産みました。
この神は、日名照額田毘道男伊許知邇の神を娶られ、 御子国忍富の神を産みました。
この神は、葦那陀迦の神、またの名八河江比売を娶られ、 御子速甕之多気佐波夜遅奴美の神を産みました。
この神は、天之甕主の神の娘、前玉比売を娶られ、 御子甕主日子の神を産みました。
この神は、淤加美の神の娘、比那良志毘売を娶られ、 御子多比理岐志麻流美の神を産みました。
この神は、比比羅木之其花麻豆美の神の娘、活玉前玉比売の神を娶られ、 御子美呂浪の神を産みました。
この神は、敷山主の神の娘、青沼馬沼押比売を娶られ、 御子布忍富鳥鳴海の神を産みました。
この神は、若尽女の神を娶られ、 御子天日腹大科度美の神を産みました。
この神は、天狭霧の神の娘、遠津待根の神を娶られ、 御子遠津山岬多良斯の神を産みました。
これまでのことで、八嶋士奴美の神から遠津山岬帯の神までは十七世の神と名付けて呼ばれています。
故大國主神坐出雲之御大之御前時 自波穗乘天之羅摩船 而內剥鵝皮剥爲衣服 有歸來神爾雖問其名不答 且雖問所從之諸神皆白不知爾多邇具久白言 【自多下四字以音】此者久延毘古必知之卽召久延毘古問時答白此者神產巢日神之御子少名毘古那神【自毘下三字以音】故爾白上於神產巢日御祖命者答告此者實我子也於子之中自我手俣久岐斯子也【自久下三字以音】故與汝葦原色許男命爲兄弟而作堅其國故自爾大穴牟遲與少名毘古那二柱神相並作堅此國
故大国主神出雲之御大之御前に坐し時波の穗自り天之羅摩船に乗りて而鵝の皮を内剥に剥ぎて衣服と為帰り来たる神有り爾ち其の名を問雖不答ず且諸神に之れ従る所問雖皆不知ずと白しき爾ち多邇具久白して言はく【多自り下四字音を以てす】此者久延毘古必ず之を知らむ即ち久延毘古を召び問ひし時答へ白さく此者神産巣日の神之御子少名毘古那の神【毘自り下三字音を以てす】 なり故爾に神産巣日御祖の命に於白し上げし者答へ告らさく此者実我が子也子之中に於我が手俣自り久岐斯子也 【久自り下三字音を以てす】故汝葦原色許男の命与兄弟と為りて而堅く其の国を作れ故自爾り大穴牟遅与少名毘古那二柱の神相並びて堅く此の国作りき
さて、大国主神が出雲で食膳の前におられた時、波頭の間から、天之羅摩船(ガガイモの莢の舟)に乗りガチョウを剥いだものを衣服とし、帰って来た神がおられました。
そこでその名を問いましたが答えず、また神々にあなたの所の神ではありませんかと尋ねても、皆が知らないと申されました。
その時、蟇蛙が申し上げました。
「これは、久延毘古が、必ずこれを知っているでしょう。」
そこで久延毘古を招き尋ねたところ、答え申し上げました。
「これは、神産巣日の神の御子、少名毘古那の神です。」
そのため、神産巣日御祖の命に申し上げたところ、 答えて仰いました。
「これは、本当に私の子です。 子らの中で私の指の間から漏れ落ちた子です。 そこで、お前葦原色許男の命とで兄弟となり、しっかりとしていて崩れない国を作ってください。」
こうして、大穴牟遅と少名毘古那の二柱の神は、肩を並べて堅くこの国を作りました。
然後者其少名毘古那神者度于常世國也 故顯白其少名毘古那神所謂久延毘古者於今者山田之曾富騰者也 此神者足雖不行盡知天下之事神於是大國主神愁 而告吾獨何能得作此國孰神與吾能相作 此國耶是時有光海依來之神其神言能治我前者吾能共與相作成若不然者國難成爾大國主神曰然者治奉之狀奈何答言吾者伊都岐奉于倭之青垣東山上此者坐御諸山上神也
然る後者其の少名毘古那の神者常世の国于度りき也故顕らけく其れ少名毘古那の神と白す所謂久延毘古者於今者山田之曽富騰者也此の神者足雖不行盡く天下之事を知る神也於是大国主の神愁ひて而告らさく吾独り何に能く此の国を作り得るや孰れの神与吾と此の国を能く相作らむ耶是の時光る海に依り来し之神有り其の神言はく我が前に能く治め者吾能く共に与し相作り成す若し不然れ者国成り難し爾るに大国主の神曰く然者治奉る状は奈何答へて言はく吾者倭之青垣の東の山の上に于伊都岐奉らむ此者御諸山の上の神に坐す也
その後、その少名毘古那の神は常世の国に渡ってしまいました。
そこで、高らかに少名毘古那の神と申します。
いわゆる久延毘古は、今では山田の曽富騰(案山子)と言います。
この神は、歩くことはできませんが、あらゆる天下の事を知る神です。
さて、大国主の神が憂いて仰いました。
「私一人で、どうやってこの国を作ることができよう。 誰かの神と私で、協力してこの国を作ることはできないだろうか。」
この時、光る海から近づいてきた神がいました。
その神は言いました。
「私を祭り、御前に斎すれば、私は協力して国を作り上げることができます。 もしそうしなければ、国は成り難いでしょう。」
そこで、大国主の神は言いました。
「それなら、どのような形でお祀りしたらよろしいのでしょうか。」
それに答えて言われました。
「私を、大和国を囲む緑の、東の山上に祀りなさい。」
これが、御諸山(三輪山)の山上に鎮座される神(大物主大神)なのです。(現在の大神神社のこと)
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