【古事記】(原文・読み下し文・現代語訳)上巻・その壱
故爾伊邪那岐命詔之愛我那邇妹命乎 【那邇二字以音下效此】 謂易子之一木乎乃匍匐御枕方匍匐御足方而哭時於御淚所成神坐香山之畝尾木本名泣澤女神故其所神避之伊邪那美神者葬出雲國與伯伎國堺比婆之山也
故爾伊邪那岐の命詔らさく之の愛し我が那邇妹の命乎 【那邇二字音を以てす下此れ効ふ】 子之一木に易ふと謂ふ乎乃ち御枕の方に匍匐ひ御足の方に匍匐ひて而哭きたる時御涙す所に於神成り香山之畝尾の木の本に坐し名は泣沢女の神故其の神避りし所之伊邪那美の神者出雲国与伯伎国とを堺ふ比婆之山に葬る也
こうした事があって、伊邪那岐の命が言いました。
「このように愛しいわが妹の命が、ただの一人の子と引き替えにできるものか。」
そうして、枕元に向かって這いつくばり足に向かって這いつくばり大声で泣きなされたとき、御涙のところに神が現れて香山の畝傍の木の下におわし、名を泣沢女の神といいます。
かくして、お亡くなりになった伊邪那美の神は、出雲国と伯伎国の国境の比婆の山に葬られました。
於是伊邪那岐命拔所御佩之十拳劒斬其子迦具土神之頸爾著其御刀前之血走就湯津石村所成神名石拆神次根拆神次石筒之男神 【三神】 次著御刀本血亦走就湯津石村所成神名甕速日神次樋速日神次建御雷之男神亦名建布都神 【布都二字以音下效此】 亦名豐布都神 【三神】
於是伊邪那岐命所御佩之十拳の剣を抜きて其の子迦具土の神之頸を斬りたまひき爾其の御刀の前之血を著して湯津石村に走就りて所成れる神の名は石拆の神次に根拆の神次に石筒之男の神といふ 【三柱の神】 次に御刀の本の血を著して亦湯津石村に走就りて所成れる神の名は甕速日の神次に樋速日の神次に建御雷之男の神亦の名を建布都の神 【布都二字音を以てす下此れ効ふ】 亦の名を豊布都の神といふ 【三柱の神】
そこで、伊邪那岐の命は腰から十拳剣を抜き、その子迦具土の神の頸を斬りました。
すると、刀の前方から飛び散った血は湯津石村に走り就き神が成り、名を石拆の神といい、次に根拆の神といい、次に石筒之男の神といいます。
次に、刀の根本から飛び散った血はこれも湯津石村に走り就き神が成り、名を甕速日の神といい、次に樋速日の神といい、次に建御雷之男の神、この神は別名を建布都の神、あるいは豊布都の神といいます。
次集御刀之手上血自手俣漏出所成神名 【訓漏云久伎】 闇淤加美神 【淤以下三字以音下效此】 次闇御津羽神 【上件自石拆神以下闇御津羽神以前幷八神者因御刀所生之神者也】
次に御刀之手上に集まりて血手俣自り漏出)て所成れる神の名は 【漏を訓みて久伎と云ふ】 闇淤加美の神 【淤の以下三字は音を以いる下此に効ふ】 次に闇御津羽の神といふ 【上つ件石拆の神自り以下闇御津羽の神の以前并せて八柱の神者御刀に因りて神生れし所の者也】
次に、刀の鍔の上に集まり血が指の間より漏れ出して神が成り、名を闇淤加美の神、次に闇御津羽の神といいます。
これまでの石拆の神より以下闇御津羽の神以前の合わせて八柱の神は、刀により神が産まれたものでした。
所殺迦具土神之 於頭所成神名正鹿山/上/津見神次於胸所成神名淤縢山津見神 【淤縢二字以音】 次於腹所成神名奧山/上/津見神次於陰所成神名闇山津見神次於左手所成神名志藝山津見神 【志藝二字以音】 次於右手所成神名羽山津見神次於左足所成神名原山津見神次於右足所成神名戸山津見神 【自正鹿山津見神至戸山津見神幷八神】 故所斬之刀名謂天之尾羽張亦名謂伊都之尾羽張 【伊都二字以音】
所殺迦具土の神之頭に於所成れる神の名は正鹿山/上声/津見の神次に胸に於所成れる神の名は淤縢山津見の神 【淤縢の二字音を以てす】 次に腹に於所成れる神の名は奧山/上声/津見の神次に陰に於所成れる神の名は闇山津見の神次に左手に於所成れる神の名は志芸山津見の神 【志芸の二字音を以てす】 次に右手に於所成れる神の名は羽山津見の神次に左足に於所成れる神の名は原山津見の神次に右足に於所成れる神の名は戸山津見の神といふ 【正鹿山津見の神自り戸山津見の神に至りて并せて八柱の神なり】 故所斬らえし之刀の名は天之尾羽張と謂ひて亦の名は伊都之尾羽張と謂ふ 【伊都の二字音を以てす】
迦具土の神を殺したことにより、頭に神が成り名を正鹿山津見の神、次に胸に神が成り名を淤縢山津見の神、次に腹に神が成り名を奧山津見の神、次に陰部に神が成り名を闇山津見の神、次に左手に神が成り名を志芸山津見の神、次に右手に神が成り名を羽山津見の神、次に左足に神が成り名を原山津見の神、次に右足に神が成り名を戸山津見の神といいます。
正鹿山津見の神より戸山津見の神に至るまで、合わせて八柱の神です。
この時斬った刀の名を、天之尾羽張またの名を伊都之尾羽張といいます。
於是欲相見其妹伊邪那美命追往黃泉國爾自殿騰戸出向之時伊邪那岐命語詔之愛我那邇妹命吾與汝所作之國未作竟故可還爾伊邪那美命答白悔哉不速來吾者爲黃泉戸喫然愛我那勢命 【那勢二字以音下效此】 入來坐之事恐故欲還且與黃泉神相論莫視我如此白而還入其殿內之間甚久難待故刺左之御美豆良 【三字以音下效此】 湯津津間櫛之男柱一箇取闕而燭一火
於是其の妹伊邪那美の命に相見むと欲して追ひて黃泉つ国に往きたまひき爾殿の騰戸自り出て向ひし之時伊邪那岐の命語りて詔はく之愛我が那邇妹の命よ吾与汝との作りし所之国は未だ作り竟へざりき故還る可し爾伊邪那美の命答へて白さく悔ゆる哉不速来吾者黃泉戸喫らひを為き然愛我が那勢命 【那勢の二字音を以てす下此に効ふ】 入り来坐しし之事恐みまつる故還りたまひて且黃泉つ神与相論きたまはむと欲す我を視る莫れ此の白せし如し而其の殿の内に還り入りし之間甚だ久しかりて待ち難し故左之御美豆良 【三字音を以てす下此れ効ふ】 に刺したる湯津津間櫛之男柱を一箇取り闕けて而一つ火を燭もしたまひき
そこで、彼の妹に逢うことを望み追いかけて黄泉の国に行きました。
神殿の上げ戸から出て伊邪那岐の命が言いました。
「愛しの妹よ、私とお前で作った国はまだ作り終えていない。だから帰ってくるべきだ。」
伊邪那美の命はそれに答えて言いました。
「残念です、もっと早く来てほしかった。私は、黄泉の洞内で食する暮らしを始めています。愛しの兄が来てくださったことは大変嬉しいことです。しかし一度お帰りください。私はもう一度黄泉の神に帰れるようにお願いしてみます。私を決して見てはいけません。」
言われた通り帰りましたが、待つ時間はとても長く待ちきれなくなりました。
そこで左の美豆良(古代人の髪型のこと)に刺していた湯津津間櫛の男柱(櫛の両側の太い部分)の片方を取り欠き、火をつけてひとつの明かりとしました。
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