【古事記】(原文・読み下し文・現代語訳)上巻・その壱
入見之時宇士多加禮許呂呂岐弖 【此十字以音】 於頭者大雷居於胸者火雷居於腹者黑雷居於陰者拆雷居於左手者若雷居於右手者土雷居於左足者鳴雷居於右足者伏雷居幷八雷神成居於是伊邪那岐命見畏而逃還之時其妹伊邪那美命言令見辱吾
入りたまひ見しし之時宇士多加礼許呂呂岐弖 【此の十字音を以てす】 頭に於者大雷居りて胸に於者火雷居りて腹に於者黒雷居りて陰に於者拆雷居りて左手に於者若雷居りて右手に於者土雷居りて左足に於者鳴雷居りて右足に於者伏雷居りて并て八雷の神成居りき於是伊邪那岐の命見して畏りて而逃げ還りたまひし之時其の妹伊邪那美の命言ひしく吾に辱しけるを見令むといひき
入ってみたところ、蛆がたかりゴロゴロうごめいており、頭には大雷がおり、胸には火雷がおり、腹には黒雷がおり、陰部には裂雷がおり、左手には若雷がおり、右手には土雷がおり、左足には鳴雷がおり、右足には伏雷がおり、合わせて八柱の雷の神が現れていました。
そして、伊邪那岐の命はそれを見て恐れて逃げ帰りました。
その妹伊邪那美の命は言いました。
「私の恥ずかしいところを見ましたね。」
卽遣豫母都志許賣 【此六字以音】 令追爾伊邪那岐命取黑御投棄乃生蒲子是摭食之間逃行猶追亦刺其右御美豆良之湯津津間櫛引闕而投棄乃生笋是拔食之間逃行
即ち予母都志許売 【此の六字音を以てす】 を遣し追は令む爾に伊邪那岐の命黒御縵を取りて投げ棄ち乃ち蒲子生ひ是れを摭ひ食みし之間に逃げ行きき猶追ひて亦其の右の御美豆良に刺しし之湯津津間櫛引き闕き而投げ棄ち乃ち笋生ひ是れを抜き食みし之間に逃げ行きき
そして、予母都志許売(黄泉醜女=黄泉の国に住む霊力の強い女人)に命じて追わせました。
伊邪那岐の命は、黒御鬘(蔦の冠)を投げ捨てたところ蒲子(山葡萄)が生えました。
黄泉醜女が、これを拾って食べている間に伊邪那岐の命は、逃げて行きました。
しかしなお追ってきたので、再びその右の鬟(束ねた髪)に刺していた湯津津間櫛を引き抜き、投げ捨てたところ笋(筍)が生えました。
そして、黄泉醜女がこれを抜いて食べている間に、伊邪那岐の命は逃げて行きました。
且後者於其八雷神副千五百之黃泉軍令追爾拔所御佩之十拳劒而於後手布伎都都 【此四字以音】 逃來猶追到黃泉比良 【此二字以音】 坂之坂本時取在其坂本桃子三箇待擊者悉逃迯也
且後者其の八柱の雷の神に於千五百之黄泉軍を副へて追は令めき爾御佩の所之十拳剣を抜きて而後手に於布伎都都 【此の四字音を以てす】 逃げ来たり猶追ひて黄泉比良 【此の二字音を以てす】 坂之坂本に到りし時其の坂本に在りし桃子三箇を取りたまひて待ちて撃て者悉く逃げに迯げき也
さらに伊邪那美の命は、その後ろに八柱の雷の神と1500の黄泉の軍勢を添えて追わせました。
伊邪那岐の命は腰に帯びていた十拳剣を抜き、後ろ手に振り回しながら逃げました。
なお追い、黄泉比良坂の登り口に到ったとき、その登り口にあった桃3個を取り待ち構えて投げつけたところ、追手はことごとく逃げ去りました。
爾伊邪那岐命告其桃子汝如助吾於葦原中國所有宇都志伎 【此四字以音】 青人草之落苦瀬而患惚時可助告賜名號意富加牟豆美命 【自意至美以音】
爾伊邪那岐の命其の桃子に告はく汝吾を助くる如くして葦原中国に於有る所の宇都志伎 【此の四字音を以てす】 青人草之苦し瀬に落ちて而患ひて惚りし時助く可しとのたまひて名を告り賜はり意富加牟豆美の命と号けたまひき 【意自り美至で音を以てす】
そこで伊邪那岐の命は、桃たちに告げました。
「お前たちは私を助けたように、葦原中津国にて、人間たちが苦境に陥り患い悩む時に助けなさい。」
そして名を告げ賜り意富加牟豆美命(大神実命)と名付けました。
最後其妹伊邪那美命身自追來焉爾千引石引塞其黃泉比良坂其石置中各對立而度事戸之時伊邪那美命言愛我那勢命爲如此者汝國之人草一日絞殺千頭爾伊邪那岐命詔愛我那邇妹命汝爲然者吾一日立千五百產屋
最も後其の妹伊邪那美命の身自ら追ひ来たり焉爾に千引の石を引きて其の黄泉比良坂を塞きたまひき其の石を中に置きて各対ひ立ちて而事戸を度せし之時伊邪那美の命言したまひしく愛し我が那勢命よ此の如く為たまへ者汝の国之人草を一日に千頭絞め殺しまつらむ爾伊邪那岐の命詔はく愛し我が那邇妹命よ汝が然為たまへ者吾は一日に千五百産屋を立たしたまはむ
最後に妹である伊邪那美の命自身が追って来ました。
伊邪那岐の命は千引きの岩を引いて黄泉平坂を塞ぎました。
その岩を間にして向い立ち事戸を渡しました。(永遠のお別れを言い渡しました。)
そして伊邪那美の命は言いました。
「愛しい私の兄よ、このような事をされた以上は、あなたの国の人草(人を葦草に例えた言葉)を一日に1000人絞め殺すしかありません。」
そこで伊邪那岐の命は告げました。
「愛しい私の妹よ、そのようなことをするならば、一日に1500の産屋(お産のために使う部屋)を立てましょう。」
是以一日必千人死一日必千五百人生也故號其伊邪那美神命謂黃泉津大神亦云以其追斯伎斯 【此三字以音】 而號道敷大神亦所塞其黃泉坂之石者號道反大神亦謂塞坐黃泉戸大神故其所謂黃泉比良坂者今謂出雲國之伊賦夜坂也
是以て一日必ず千人死にし一日必ず千五百人生まる也故其の伊邪那美の命を号け黄泉津大神と謂ひて亦其の追ひ斯伎斯 【此の三字音を以てす】 を以ちて云ひて而道敷大神と号く亦其の所塞かえし黄泉坂之石を者道反大神と号け亦塞坐黄泉戸大神と謂ふ故其の所謂黄泉比良坂者今に出雲国之伊賦夜坂と謂ふ也
このようなことから、一日に必ず千人死に、一日に必ず千五百人生まれることになりました。
そして、伊邪那美の命を名づけ、黄泉津大神と呼び、またこのように追ってきた事により道敷大神と名付けました。
またその黃泉坂の岩が塞がれたので、道反大神と名付け、また塞坐黃泉戸大神ともいいます。
その黄泉比良坂といわれる所は、今は出雲国の伊賦夜坂(現在の島根県松江市東出雲町揖屋にある山道とされる)といいます。
是以伊邪那伎大神詔吾者到於伊那志許米/上/志許米岐 【此九字以音】 穢國而在祁理 【此二字以音】 故吾者爲御身之禊而到坐竺紫日向之橘小門之阿波岐 【此三字以音】 原而禊祓也
是以伊邪那伎大神詔はく吾者伊那志許米/上声/志許米岐 【此の九字音を以ちてす】 穢き国於到りて而在り祁理 【此の二字音を以てす】 故吾者御身之禊を為むとのたまひて而竺紫日向之橘の小門之阿波岐 【此の三字音を以てす】 原にて而禊ぎ祓ひたまひき也
こうしたことがあって、伊邪那伎大神は言いました。
「私は、あってはならぬ目にも不吉な不吉で穢れた国を訪れてしまった。この身体を禊しよう。」
そこで、筑紫の日向の橘小門の阿波岐原(現在の宮崎県宮崎市阿波岐原町にある江田神社とされる)において、禊ぎ祓いをしました。
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